Love&Place------1部3章5

戻る | 進む | 目次

 リリィが手伝ってくれたので、存外に早く台所と玄関を綺麗にすることができた。窓を磨くと雑巾は使い物にならなくなってしまったが、外の綺麗な緑がよりくっきりと見えるようになった。明日外に出られるのが楽しみだった。
 それから冷蔵庫の中身を確認して、ありあわせの食材で三人分の昼食を作った。残っていた馬鈴薯を薄く切りフライパンで炒め、上から溶き卵を落とす。ボリュームがあって手軽に作れる料理なのだが、姉からは手抜き料理と呼ばれていた。それでも翔とリリィはとても喜んでくれた。
「作りたてのご飯は美味しいね」
 そう言って笑う翔は頬にたまごをくっつけているので、絵麻はそれがおかしくて笑ってしまった。
 リリィの、美人の模範のように見苦しいところが一切ない食事作法とは違って、翔にはところどころマナーに怪しい部分があった。けれど、それが気にならないくらいに翔は気持ちよく食べてくれるのだった。
 食事が終わった後は翔とリリィはそれぞれの部屋に戻っていて、絵麻はひとり残って使った食器とフライパンを洗っていた。そこに、呼び鈴のような音が聞こえてきた。
「? なに?」
 来客があったのかと思ったが、音は玄関からではなく居間から聞こえていた。居間の本棚のそばにある、電話のような機械が音の発信源のようだ。
 取り次げばいいと思い、絵麻は受話器と思われる部分を取り上げた。それだけでは鳴り止まなくて、少し困ったのだが機械で点滅していた黄色のボタンを押すと呼び鈴の音は止まった。同時に、受話器の向こうから声が聞こえてきた。
『やっと通じましたか。緊急の連絡です、トゥレラがこの近辺に発生したようです』
「あの……」
『黒髪の若い女の子を連れ去る種類の、極めて凶悪なトゥレラです。注意喚起はしているのですが、早々に駆逐と保護に動いてください。シエルたちには既に連絡済みです』
 落ち着いた男性の声だった。ペンダントの自動変換はきちんと働いているようで、絵麻は内容を理解することができた。けれど、聞けば聞くほど困惑してしまった。
「あの、翔かリリィに」
『……あなたはリョウではないのですか?』
 絵麻が違うと言い返そうとしたところで、指に熱が走って受話器をもぎとられた。
「受信しました。明宝です」
 いつの間にか翔が階下に下りてきていて、彼は困惑したような顔で受信機の向こう側にいるであろう人物の言葉を聞いていた。
「了解しました。その件については信也が報告したとおりで……はい、報告書は明日僕が直接。……わかりました。失礼します」
 話はすぐ終わり、翔は受話器を置いた。
「絵麻、何かヘンなことを話さなかった?」
 ひどく真剣な調子に、絵麻は慌てて首を左右に振った。
「してないよ。翔かリリィにって言っただけ」
「本当に?」
「わたしが聞いたらいけない電話だった?」
「デンワ? まあともかく……仕事の話だったから」
 翔はいつもの穏和な笑顔に戻った。
 彼は多分、ごまかして切り上げようとしたのだろう。だからいつものいちばん楽な表情になった。けれど、それは絵麻にも翔の態度に疑問をぶつける余裕を与えた。
「翔たちのお仕事って、何?」
「平和部隊の臨時隊員だって言わなかったっけ?」
「うん。力包石の兵器開発のお仕事って聞いたよ。翔は学者さんなんでしょ?」
 そうだよと、翔は頷いた。
「それなのに、トゥレラを殲滅する仕事の連絡があるの? 学者さんがどうしてそんなに危ないことをするの?」
「危ないことって」
 翔と絵麻が言い合うのが聞こえたのか、あるいはさっきの呼び出し音が気になったのかはわからなかったが、リリィも居間にやってきた。彼女は言い合う翔と絵麻に驚いた顔をしていた。
「わたしの知らない事でどこかに行ってしまったら、わたし、どうすればいいかわからなくなっちゃうよ。ううん、それより、翔たちに危ないことしてほしくない」
「絵麻……」
 今、翔たちがいなくなってしまったら、絵麻はほとんど何もわからない状態で取り残されてしまう。自分の知らないところで物事が動くのは、慣れているとはいえ悲しかった。
 そして何より、彼らに危ないことはしてほしくない。
 絵麻の真っ直ぐな言葉を受けて、翔はそれでも少しためらったようだった。彼はリリィのほうに伺うような視線を投げた。リリィはメモ帳に何かを綴ると翔に見せた。
「そうだね。信也たちもきっと同じ事を言う」
 翔はほんの少しだけ待ってくれと絵麻に言った。
「説明するよ。でも、あの内容を聞いたのなら少しだけ待って欲しい。命に関わることだから」
 翔は言って、リリィを玄関のほうへ連れて行くと何事かを話していた。彼女がぱたぱたと走っていく音がした。その音が消えた頃に翔が戻ってきた。
 座って話そうかと、翔は絵麻にソファを勧めた。
「翔は行かなくていいの?」
「僕はあんまり役に立たないから……絵麻を守る人がいなきゃっていうのもあるし」
 翔はふいに口調を改めた。
「これから話すことを他の人に言ってはいけない。何があってもだ」
 絵麻が口封じに殺されてしまうからねと、翔は平然と言うのだった。
「え。待って。何その冗談」
「冗談じゃないよ。手にかけるのは僕らかも。それでも聞きたい?」
 絵麻は悩んだが、聞くと伝えた。知らなければ何もできない。
「僕たちは、正確には臨時隊員ではないんだ」
 臨時隊員という所属は確かに存在するが、翔たちのように仕事がない時に待機するのではなく、普段は平和部隊以外の本業を持ち、そちらの手が空いているときに臨時隊員として活動するのだという。絵麻の感覚では、それはアルバイトやダブルワークに近いものだった。
 それでは、翔たちの『本業』とは一体何なのか。
 翔は悪戯めかすようにして囁いた。
「平和部隊総帥直属の、非合法部隊」
「ヒゴウホウブタイ?」
「物事を主に力包石の暴力で解決しようっていう、正義の味方には存在しちゃいけないチームだよ」
 平和部隊は国府から委ねられた「合法的な救済」を目的として掲げている。
 平和部隊の武力は武装集団の非情な暴力と対峙する正しさ――正義の鉄槌でなければならなかった。しかし、そんな綺麗な理想だけで百年の単位で続いている内戦の平定を成し遂げられるわけがない。でも相手と同じ暴力を使うことはできない。
 この矛盾を解決する方法を考えた末、平和部隊は「公式には存在しない非合法部隊を極秘で作成する」ことを検討することになった。総帥の意志で動かせる裏の部隊。大きければ大きいほど力を行使できるが、そのぶんだけ人目についてしまい、いくら人員を厳選したとしても隊員の口に完全な戸は立てられない。しかし、少人数で武装集団に、闇偶人や闇傀儡に対抗する方法があるのだろうか?
 そして辿り着いた結論が「『力包石の主』の力を持つ者を中心に据えた少数精鋭部隊を作る」ということだった。
「『力包石の主』? それって一体」
「力包石は、回路がなければただの石ころって言ったけど、稀に、本当にごく稀な確率で、ガイア人の中には生身で力包石の力を引き出せる人が現れるんだ」
「生身で、力を引き出す?」
「その場合の力は電気エネルギーではなく、石本来が持っていると仮定される種類の力。回路も本当はそのエネルギーを引き出してるんだけど、変換の技術が追いついていなくて全て電気的エネルギーになってるっていう説が主流だね。その辺りは古今東西の研究者が躍起になって調べてるけど……それは置いておいて。
 見た目は普通の人間なのに、やろうと思えば超常的な現象を操って一軍にも匹敵する力を行使できる、規格外な人々」
 翔の声が低く沈んだ。
「僕たちはその『力包石の主』。そして、平和部隊の非合法部隊員なんだ」
「それじゃ、翔のあの時の力は」
 翔が雷鳴のような轟音と閃光でトゥレラを退けたのを絵麻は思い出した。翔は護身具を使ったと言ったが、後で見せてくれた力包石に回路のような物は見当たらなかった。
「僕の能力は弱くて、多少音と光が凄いってだけなんだ」
 あの時、他の人だったらすぐに逃げ出さなくてよかったんだよと翔が苦笑いする。
「他の人たちもなの?」
 おそるおそる絵麻が聞くと、翔は少し考えるように頭を傾けてから言った。
「リョウの能力は見たよね?」
「え?」
 いつそんな機会があっただろうか。
 リョウとのことを考えていって、絵麻は自分の首の痣が消えたことを思い出した。
「まさか、怪我を治したのは……」
「正解」
 リョウは怪我を治療する能力者なのだそうだ。
「そんなに豊富な前例があるわけじゃあないんだけど、治療って何らかの制約がある場合が多いんだよね。リョウの場合は自分の体力に左右されるみたいで、いつでも相手を全快させられるわけじゃなくて、病気も治せない」
「その力を病院で使ってるの?」
「いや? この能力を公にしたら国中の怪我人が押し寄せるし、そんなことになれば非合法部隊どころじゃなくなるしリョウの体も保たないよ。リョウは本業が医者で、力包石の能力よりはそっちを必要とされて非合法部隊に呼ばれてるから」
 だから、彼女は毎日病院を手伝うことができるのだ。看護士のように考えていたから、医者という肩書きは意外だった。
「みんなが力包石の能力者ではないのね?」
「そうだね。僕も能力者ではあるけど、弱いし」
 そう言った時の翔の横顔はどこか悲しそうに見えた。
「部隊に所属してるのは、力包石の力を使う場合にどんな現象が起こるかの調査や、使った場合の副作用の回避、力包石の機器の調節役としてで……簡単に言うと実際に戦うのが信也とリリィたちで、僕とリョウはサポート役」
「そうだったんだ」
 絵麻は煙を上げそうになっている自分の頭の中を懸命に整理した。
 翔が戦場にいたのは非合法部隊の仕事という理由で。隠されている非合法部隊が本来の姿であるから、ここは他の寮のように専門のスタッフを置かず最小限の人数で共同生活をさせているのだ。
「さっきの電話が依頼なのね。翔たちはいつも戦場に行くなんて危ないことをしているの?」
 翔は戸惑ったように絵麻を見下ろした。
「危ない、かなあ……。ガイアにいればいつどこが戦場になるかはわからないんだし」
 絵麻の顔に怯えが走ったのを見て取った翔は、安心させるように笑ってみせた。
「大丈夫だよ。絵麻が怖いことにならないように、僕がちゃんとするから」
「本当?」
「うん。約束。最初に会ったときにも『大丈夫』って言ったでしょ?」
 翔が笑う。絵麻も笑った。確かに彼はそう言ってくれていた。
戻る | 進む | 目次
Copyright (c) 2013 Noda Nohto All rights reserved.
 

このページにしおりを挟む

-Powered by HTML DWARF-