Love&Place------1部2章8

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「ただいまー」
 玄関のドアが開く音がした。リョウが帰ってきたようだった。
 程なく彼女は居間に顔を覗かせた。両腕で紙袋を抱えている。
「おかえりなさい」
「ただいま。翔から説明してもらってるの?」
 絵麻ははいと頷いた。
「今創世神話の説明が終わったところだよ」
「ちょうどいいわ。翔、あなた夕飯の当番よね?」
 リョウが唇をつり上げて笑う。
「えー? この前回ってきた気がするんだけど」
「今人数が少ないから回るの早いのよ。さっさと手伝う!」
 リョウは紙袋を翔に渡すと、荷物を置いてくるねと言って階段の方に行ってしまった。
「当番でごはんを作るの?」
「そうなんだよ」
 翔は立ち上がると、紙袋を抱えて台所に向かった。絵麻も着いていく。翔がテーブルに紙袋を置くと、結構重い音がした。
「ここ、平和部隊の隊員寮ではあるんだけど、他のところと違って寮監さんを置いてないんだ。監督されないのは気楽なんだけど、家事も自分たちでやらなきゃならないからね」
 臨時隊員の翔たちは毎日仕事に出るわけではないので、空いている日に当番が回るように調整する約束になっているのだそうだ。
 階段を降りる音がして、リョウが台所に入ってきた。今日は何を作るのかと翔が聞くと、彼女は野菜スープだと言って、紙袋の中から材料を取りだした。馬鈴薯と人参、それから蕪のようだった。五人分と言うことで野菜はそれなりに量があった。
「食材ってまだ少しは残ってたわよね?」
「えーっと……多分」
 翔は食器棚の前に行くと、下の方の引き出しを開けて、絵麻には玉葱のように見える丸い野菜を数個出してきた。そこが野菜の貯蔵庫になっているらしい。玉葱は少し萎びて、ひとつからは芽でなく根が生えていた。
「わたしも手伝います」
 絵麻はそう申し出た。
「え? いいの?」
「ゆっくりしてくれて構わないのよ。翔の話を聞いてて疲れてない?」
「料理はいつもしてるから。これを切ったらいいですか?」
 絵麻は包丁を借りると、馬鈴薯の下ごしらえを始めた。
「皮削ぎを使わなくていいの? あるよ?」
 リョウが引き出しからピーラーのようなものを出してくれたが、絵麻はやんわりと断った。
「包丁だけで大丈夫」
 絵麻は料理や掃除のことを祖母の舞由から教わった。祖母は特に「包丁を上手く使えるようになっておきなさい」と言って、念入りに教えてくれた。
「便利な調理器具はたくさんあるけれど、それがどの台所にもあるわけではないでしょ? でも、包丁がない台所というのはほとんどないはずだから、使い方を覚えて損することはない。ピーラーは食べられる部分まで剥いでしまうしね」
 そういう祖母に育てられたため、絵麻はピーラーを使わずに野菜や果物の下ごしらえができるようになった。翔とリョウがやった野菜の下ごしらえの倍の量をひとりで片付けた絵麻に、二人は目を丸くした。
「絵麻ってすごい」
「もうできちゃった。あたしたちだけだともっとかかるよね」
「……これ、すごい?」
 絵麻にとってはいつものことで、凄いと言われても実感がない。
「凄いよ。僕、玉葱だけしかできてないし」
「普段から料理をしてるの?」
「家のことは全部わたしの仕事だったから」
 そうだった。絵麻は働いていないので、そのぶん家事をすることになっていたのだ。それは世間とは違う価値観のようだったが、逆らえるはずがなかった。
「他に、何かやることはある?」
「スープを作ったり、テーブルセットしたりだけど……ね、よかったらスープ、絵麻が味を見てくれない? こんなに包丁が使えるんだもの。あたしがやるより美味しそう」
「そうかな」
「リョウはたまに味付けかっ飛ぶしね」
 翔に言われて、リョウは下から彼を睨め付けた。リョウも女性としては大柄なほうだが、翔はずっと上背がある。
 絵麻は戸惑ったのだが、リョウに重ねて「お願い」と言われて断れなくなってしまった。調味料の場所を聞いたりと彼女の手を多少煩わせたが、リョウは嫌な顔をせず、興味深そうに絵麻の手順を観察していた。
「先にお湯をわかさなくていいの?」
「根菜は水から茹でる……ってわたしは教わったんだけど」
「あ、そうなんだ。知らなかった」
 二人で鍋を見ている間に翔がテーブルを調え、リョウが買い足した固パンを切って籠に入れてくれた。パンを等分に切ろうとする様子が理科の実験めいて見えて、絵麻は内心でちょっとだけ笑った。
 スープはだいたい絵麻が作りたかった味に仕上った。食材や調味料がいつものものとは違うせいか、完全に思ったとおりとはいかなかったが、材料が違うのに僅かな差ですんだのはむしろ上手くできたほうだと後から思った。
「できた?」
「味付けこんなかんじだけど、大丈夫?」
 絵麻は小皿にスープを取って、リョウに渡した。
「えっ、何これ」
 味を見たリョウは目を丸くした。
「美味しくなかった?」
「逆よ逆。すっごく美味しい。何か変わったことをしてるの?」
「別に特には何も……」
 リョウに勢いこんで聞かれて、絵麻は思わずあとずさった。特別なことは何もしていない。
「なに? どうしたの?」
「翔、絵麻のごはんすっごく美味しいよ!」
 リョウが小皿にスープを取って翔に手渡した。味見した翔もまた驚いたように「何これ美味しい」と言った。
「このスープってもっと辛いんだとばかり」
「使ったお肉に塩気が結構あったから、香辛料の味付けは薄くしたんだけど」
「そうなんだ。同じ材料なのにいつもよりあっさりしてて美味しいよ」
 悪かったわねと口で言いつつ、リョウは笑っていた。他の二人を呼んできて、五人で食事を始める。並ぶのがスープと固パンの他には飲み物だけというのは絵麻の目には少々寂しく映ったが、大人数で囲む食卓は賑やかだった。
 絵麻はほとんど祖母と二人か、一人きりで食事をすることが多かった。そういえば、祖母が亡くなってからはずっと一人だったように思う。
「本当だ。いつもと味付け全然違ってる」
「美味しいでしょ? 蕪も馬鈴薯もほくほくだよ」
「このスープって辛いか赤いかだと思ってたよ」
「赤いの?」
 絵麻は信也に問い返した。赤くなるような要素は台所にはなかったのだが。
「こいつが作ると赤くなるんだよ」
 信也は苦笑いのように笑って、隣にいたリョウを指した。
「だってあんた、辛いほうが好きでしょ。あたしは甘いほうが好きだけど」
「限度ってもんを考えてくれ……そろそろ胃に穴が空く」
 信也が大仰に息をついて、翔が笑い出した。リリィも口元を押さえている。
 リョウは唇を尖らせたが特に反論しなかった。目が楽しそうにキラキラしている。
「あ、あの?」
「僕たちって臨時隊員に採用されてからの知り合いなんだけど、この二人だけは昔馴染みなんだ」
 何でも、同じ村で育った幼馴染なんだそうだ。だからひときわ仲が良いのだろう。長身なのも髪の色もどこか似ているから、故郷が同じというのは納得できた。
「スープ、残ってる? もう一杯食べてもいい?」
 翔はそう言ってもう一杯よそってきた。固いパンをスープにひたしてやわらかくして食べている。パンを頬張ったときに目じりが下がって、その様子は年上の男性に言っていいのかわからなかったが、ひどくかわいらしかった。こんな風に美味しそうに自分の料理を食べてくれる人に絵麻は初めて会った。信也もリョウも、リリィまで二杯目をよそっていた。
 こんなにも喜んでもらえることが絵麻には不思議で仕方なかったのだが、同時に、ここにいることに意味が見出せたような気がして嬉しかった。
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