Love&Place------1部2章7

戻る | 進む | 目次

 信也とリリィは、二階にある信也の部屋にいた。
 二階は基本的に隊員の私室になっていて、どの部屋も同じ家具が作り付けられている。普通に生活するならこれだけあればまず不自由しない。
「絵麻って、何かあるとすぐに謝るんだよな」
 信也の言葉に、リリィはこくりと頷いた。
「なんであんなに卑屈なのかね」
 友人であり自分たちのリーダー格である青年の言葉に、リリィは持っていた手帳に鉛筆を走らせて、書いた内容――自分が言いたい言葉を見せた。
『そうしなきゃならない相手がいた?』
「それが首を絞めた犯人、って?」
 今度はリリィは文字を書かず、わかるように頷くのに留めた。
 リリィは以前、不幸にも襲撃に巻きこまれてしまい、その時に煙にやられて声が出なくなってしまった。喉の損傷は一時的なもので、体の他の傷が癒える頃には声も出るようになる、というのが最初の医者の見立てだったが、なぜか傷が治っても、いつまで経っても声は戻らなかった。別の医者にも診てもらったが、喉にも声帯にも異常はない。
 煙を吸ったこと以外の理由は思い当たらない。何かとてつもなく苦しく、悲しいことがあったのをぼんやりと覚えているが、それが何かはわからない。自分の心を守るために忘れてしまったのではないかと医者から言われた。
 その経験があるから、リリィは絵麻の気持ちに少しでも沿えるのではないかと思っている。何かから逃げてきた女の子。それは内戦には関係がないようだったが、彼女がそれをひどく恐れて怯えているのは感じられた。
 リリィが話しかけることができたなら、絵麻が文字を読むことができたなら――もっといろいろ話して安心させてあげたいけれど、生憎と現状ではどちらもできない。友人たちに助力を頼めば彼らは力を貸してくれるが、それぞれの忙しい時間を割いて通訳にしてしまうのは気が引けるし、人を介した言葉はリリィの意図とどこかずれてしまう。どれだけ正確に訳してもらっても、唇を読めるリョウに頼んでも、それはリリィが思った言葉とずれていってしまうのだ。
 信也はシャツのポケットを探ると、紙の箱に入った煙草を取り出した。気がつくと先端に赤く火が灯っていて、少しの後で煙が吐き出された。同時に独特の匂いがする。
「どう見たって被害者だ。その時点でボロボロなのに、逃げてきた先が黒髪の女の子は命の危険がある世界で、狙われやすい血星石をくっつけられて。それなのに一生懸命掃除してくれて……なのにずっと謝ってるって筋違いにも程があるだろう」
 いたたまれないよと、低い声がした。リリィも頷く。頷いて、手帳に短く書き付ける。
『何とかしてあげたい』
「リリィは優しいからなあ」
 書き付けられた文字に、信也は煙草から口を離すと緩く笑った。リリィは一、二、三と順番に指を立てて、その手を右側に振る。仲間内だけで伝わるハンドサインだ。ハンドサインは公式に使われる物があるのだが、特殊部隊としての行動時に意思疎通を図りやすいようにと信也とリョウが相談して決めてくれた。玄関に百合の花の絵を飾ってくれたのもこの二人だった。
 ありがとなと笑った信也は、ふと表情を改めて言った。
「あとは翔が何とかするのを祈るくらいか。あいつもわかってるんだろうなあ」
 欠けている主語が何を指すかは知っているから、リリィは敢えてわかるような合図はしなかった。
「万が一の時は消えてもらわなきゃならないんだ」

*****

 翔はしばらく絵麻のしたいようにさせてくれた。
「落ち着いた?」
 居間に行こうかと翔に促され、絵麻は立ち上がった。
「ここよりあったかいからね」
 居間に移動して、昨日と同じソファに座る。午前中に窓を開けて掃除をしたせいか、こざっぱりしたように思えた。翔も同じように感じたらしかった。
「もしかして、ここも掃除してくれた?」
 聞かれて絵麻は頷いた。
「掃除機がまだで、棚も拭きたかったんだけど道具が見当たらなくて」
「掃除機は一緒のところにあったと思ったけど、誰か持っていったのかな」
「コードがなかったんだけど」
「コード?」
 翔は不思議そうに聞き返した。
「コンセントとつなぐ……」
「こんせんと? スイッチを入れるだけで動くよ。エネルギーが切れた力包石は使ってないはずだから」
 言われて、絵麻はようやくこの世界の動力が力包石と呼ばれる、電池のような鉱石だったことに思い当たった。掃除機もラジオと同じで、コードでコンセントにつながなくてもいいのだ。
「絵麻の世界ってこんせんとっていうのが力包石なの?」
「家の壁にコンセントがあって、家と電線がつながってて、電線は発電所につながっていてそこから電気が来る」
 これであっているっけ? と絵麻は首を捻る。
「全部線でつながってるってこと? そんなにしたら動かすのに絡まってたいへんじゃない? ハツデンショってところに力包石みたいなものがあるの?」
「発電所で電気を作っているはずなんだけど……」
 いろいろな発電方法があることを絵麻は学校で習ったはずだが、生憎と何も知らない相手に伝えるほど絵麻はこの事柄について修めていなかった。当たり前のことを知らない相手に説明するのがこんなに難しいと思わなかった。翔たちが昨日から四苦八苦するはずだ。
「……ごめんなさい」
 結局、絵麻はまた謝ってしまった。
「謝らないでよ。悪いことはしてないんだし。おどおどもなし。じゃないと本当に悪いことをして謝らなきゃならない時に、謝罪できなくなってしまう」
 翔は低い声で言った。何か思うところがあるようだった。
 彼のいうとおりだった。しかし、周囲は絵麻がおどおどしていることを望んでいたように思えた。絵麻は祖母の葬儀をさぼった悪い娘で、悪いことをした相手でおどおどする様子も気にくわないなら、自分たちが好き放題に叩いてしまっていいんだという理由になるからというのがあった気がした。
「わからないから勉強するんだよ。僕も昨日上手く話せなかったから、絵麻に説明できるようにいろいろ準備したんだし」
 翔は一緒に持ってきた鞄から、数冊の本を取り出した。一冊は自分用のノートのようだった。他の本の中から、翔は一冊を絵麻に渡した。題字はやはり読めなかったが、黒いドレスを着た少女と白いドレスを着た少女が対決しているような絵が描かれていた。
「この国は力包石によって興った王制国家で、石がいろいろな力を持っている。そして、内戦が繰り返されているってところまでは昨日話したよね?」
 絵麻は頷いた。そこからわからない言葉がたくさんでてきたのだった。
「ちょっとあちこち話が飛ぶかもだけど。絵麻が昨日わからなかった『不和姫』(ディスコード)っていうのは、この国に伝わる創世神話の人物だよ」
 神の力を持つ存在だから厳密には人じゃないんだけど、と翔は付け足した。
「こっちの黒い服の人が『不和姫』。反対側の白い服の人が『平和姫』(ピーシーズ)」
 翔の焼けた指先が、代わる代わるに表紙の少女たちを指す。
「この本の内容が創世神話なんだ。だいたいの内容だけ話すけど、ガイアの国教になってるノイトラール正教ってものがあって、それによると創世の女神ノイトラールは世界を作った後、自分の二柱の息子に「どちらかひとりにこの地上を統治する権利を譲る」と告げたんだ。一柱は光神リヒト。もう一柱は闇神ダンケル。七日七晩続いた争いはお互いの武装を砕いて血を流させて、その時に砕けたいろんなものの破片が力包石になったらしいんだけど……ともかく、光神リヒトが勝者になって、世界は光に包まれた。リヒト神はダンケル神を地の底へと追いやってしまったから、地面の底は真っ暗闇の世界になった」
 翔は絵本を数頁、ぱらぱらと捲ってみせた。絵麻は字が読めなかったが、挿絵の内容は翔の話と一致しているようだった。
「ここまでは大丈夫?」
 絵麻は頷いた。わかりやすくするために、翔はわざわざ絵本を用意してくれたのだろうか。
「追いやられたダンケル神は、リヒト神に復讐を考えた。ところが戦いで疲れたうえに、地底に追いやられたダンケル神は、もう自ら地上に出向くことはできなかった。そこで、自分の持てる力をすべて注ぎこんで、自分の代わりに地上世界を破壊し闇に染めることのできる存在を作り上げたんだ。それが不和姫。不和姫は地上に現れ、ダンケル神から授かった闇を操る力で破壊を繰り返した。その力のひとつが闇偶人(ダークドール)の創造で、平たく言うと、闇から自分の言うとおりに動く人形を作る力だね」
 翔が示した頁では、黒い服を着て胸に赤いペンダントを下げた女性の周りに真っ黒な人影が集まって、彼女を拝むようにしていた。
「リヒト神としては当然、この惨状を黙って見ていられない。けれど、戦いで疲れたのはリヒト神もまた同じ。そして神である自分が出向けば、不和姫ごと地上を消し飛ばしてしまう恐れもあった。リヒト神はダンケル神と同じように持てる力をすべて注ぎこんで、自分の代わりに全てを光に変える存在を作り上げたんだ」
 それが白い服の女性だった。不和姫とは何もかも対照的で、白い服に黒髪、胸に下げたペンダントの石は青だった。
「名前は平和姫。この世の全ての物質を分解して光に変える力を持った存在。平和姫がいれば、不和姫を消し去ることができるはずだった。だけど、ダンケル神の――不和姫の憎悪はあまりに深い闇で、平和姫がどれだけ手を尽くしても光に変えることは出来なかった」
 翔はそこで一度言葉を切った。
「平和姫は最後に、自分の敵対者だった不和姫を抱きしめた。抱きしめて、自分の一部として――そうして自らを分解した。この犠牲によって地上は崩壊の危機から救われた。これが創世神話」
「何だかどこかで聞いた気がする……」
 聞き終えた絵麻の素直な感想だった。翔も「よくあるパターンだよね」と笑った。
「これと内戦がどう関係するの?」
「武装集団の首領が『不和姫』と名乗ってる」
 翔は笑っていた表情を改めた。
「実際に、人間である武装集団員の他に、闇偶人や闇傀儡が発生していて、そいつらには人間の機動力の計算が通用しない。いろんな場所に現れて、容赦なく壊していくんだ」
 困るよね、と翔の声が沈んだ。確かにその通りだった。安全な場所がガイアにはないということになる。
「その中でもトゥレラっていうのはなかなか厄介な存在でね。普通、闇偶人や闇傀儡は破壊衝動だけで動いているものなんだけど、トゥレラには判断能力がある。人を選んで襲うんだ。真っ黒な髪を鞭みたいに振り上げて、獲物に絡みつけて――中身を吸い取る」
 絵麻は自分が総毛立ったのを感じた。
「……映画とかじゃなくて?」
「残念ながら、ね」
 翔は肩をすくめ、そのあとで考えるようにしながら言った。
「その……生命反応のある闇の色に寄ってくるんだ。だから絵麻は、ちょっと危ない」
「生命反応のある?」
「髪」
 翔に言われて、絵麻は自分の髪に触れた。そういえば黒い。だから翔は、あの時絵麻に自分の上着を被せたのか。
「でも翔だって髪は黒いのに」
「僕はいいの。ちょっとその……珍しいから」
 そういえば、彼の髪は日ざしに青く透けるのだった。こちらでは当たり前なのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「とにかく、気をつけてね。トゥレラに捕まったら生きて戻ってはこられない。今まで捕まった人で生還した人はいない。ひとりだけ、死亡が確認されてないって人ならいるけど」
 たったひとりだけ、トゥレラに襲われてから消息が知れない人がいるのだという。
「創世神話の話だったはずなのに、現実に創世神話のお化けが出てきたのよね。でも、それなら平和部隊に『平和姫』がいるんじゃないの?」
「そんなに世の中上手く行かないから」
 平和部隊の指導者は壮年の男性だと、翔はそう言った。
「でも、仮に『平和姫』が現れたとしても、その人に僕らは「世界のために死んでください」って言うの? 最良の選択なのはわかるんだけど……なんだか違う気がして」
 絵麻は何も言えずに黙ってしまった。
 この人はひどく優しい人なんだなと、絵麻は改めて思った。
戻る | 進む | 目次
Copyright (c) 2013 Noda Nohto All rights reserved.
 

このページにしおりを挟む

-Powered by HTML DWARF-