Love&Place------1部1章5

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 自宅で、絵麻はずっと俯いていた。
 どうしよう。どうしたらいいんだろう。
 サインなんて一枚たりとも持っていない。あんなにきつい性格の姉が絵麻に何かをしてくれるはずがない。姉に頼むことは論外だ。絵麻と結女の関係は世間の人たちが考える物とは違いすぎている
 考えたところで妙案が降ってくるわけもなく、絵麻はいつもするようにポケットからペンダントを出し、手の中にぎゅっと握りこんだ。
 本当に綺麗なペンダントだ。絵麻がどれだけ握りしめても汚れる気配すら見せない。本当に高価な宝石というのはこういうものなのだろうか?
 一瞬だけ、このペンダントを売って、そのお金を使って店で売っている芸能人のサインを買えばいいのではないかと思ったが、その考えを絵麻は即座に首を振って打ち消した。命と交換だと言われたとしても、絵麻はこのペンダントだけは手放したいとは思わない。
「アンタ、何してるの?」
 急に声がして、絵麻ははっとしてその方向を見た。どうやら帰ってきたらしい結女が戸口に立っている。流行のツーピースの上下がよく似合っていて、持っている鞄も絵麻がわかるブランドのものだった。
「お帰りなさい!」
 絵麻は慌てて後ろ手にペンダントを隠した。
「なーに? ヘンな動きして……まあいいわ。ご飯頂戴」
 結女は訝しげに眉をしかめたが、気にしないことにしたらしく鞄を放り出してソファに座りながら言った。
「はい! すぐ作ります」
 絵麻はペンダントをポケットに押し込むと、姉の気が変わらないうちに食卓を調えるべく冷蔵庫を開けた。

*****

「深川さん。深川絵麻さん」
 登校し、ロッカーで上靴とローファーを履き替えていた絵麻に声がかかった。
 振り向くと石川が親しげな笑顔を浮かべてそこに立っていた。彼女の後ろに似たような格好の女生徒が二人ほどいたが、こちらは笑っていなかった。絵麻が反射的に笑顔を作ると、小馬鹿にしたような笑顔になったが。
「おはよう」
「文化祭のことだけど、今日返事するんでしょ。どうなったの?」
「わたし、サインなんて持ってない……から。だから、断る」
 声は後に行くほど小さくなったが、それでも絵麻ははっきり断ると言った。
 絵麻がどれだけ頑張ったとしてもサインが降ってくることはない。それなら安請け合いをするより、きちんと説明する方が迷惑をかけないはずだ。
「持ってないの? 嘘でしょ」
「嘘じゃないです……」
「持ってないなら結女ちゃんに頼めばいいじゃん? 文化祭までまだ二週間以上あるんだし」
 石川は気楽に笑っている。
「……お姉さんも、周囲の人も、お仕事をしてるから。サインを貰いに行っているわけじゃないから」
「何その言い方」
 石川の取り巻きの片方がむっとしたように絵麻に詰め寄ったが、石川はそれを手で押さえた。
「うん。お仕事だよね。だったら、文化祭でトークショーとかしてもらうってことできない? それだったらあたし、実行委員とかやってあげてもいいよ?」
 石川の笑顔が大きくなる。どうやらそちらの方が都合が良いようだった。
 絵麻は何度も首を振った。
「駄目。仕事は事前にオファーが入って、それはお姉さんだったら一ヶ月前でも遅いくらいだから」
「あー、オファーだって! 専門用語だ!」
 石川が派手なリアクションで手を叩いて笑う。
「おっかしい。深川さんは芸能人じゃないのにね」
 取り巻き達が手を取ってはしゃぎ、その嬌声に何があったのかと他の生徒達が集まってきた。
「なになに? 何かあったの?」
「お、一年の深川じゃん」
「誰だよソイツ」
「芸能人の深川結女ちゃんの妹」
「あー、葬式サボったって奴か」
 人がどんどん増えてきて、絵麻は青ざめた。
 笑わなきゃ。いい印象にならなきゃ。頭ではわかっているのに、頬が引きつれて上手く笑顔にならない。
(お祖母ちゃん、助けて……)
 絵麻はすがるような気持ちで、ポケットの中のお守り袋に手を伸ばした。指先で鎖をひっかけようとする。
 ところが、どれだけ探してもペンダントの冷たい感触は絵麻に応えてくれなかった。
「えっ?!」
 絵麻は周囲の目線も構わず、制服のスカートをぱしぱしと叩いた。けれど、布を叩いたときの感覚があるだけで、中に何かがあるようにはとうてい感じられなかった。
 ポケットの中身を取り出す。いつものフェルトの袋が出てきた。けれど、それだけだ。肝心の中身は消え失せていた。
「落とした……?」
 絵麻は学校を飛び出した。
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