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 いくつか角を折れ、階段を上る。
 静かな物陰についたところで、翔は絵麻をリリィに預けた。そのまま周囲を
探りに出る。
 もう目を閉じても、祖母の姿は見えなくなっていた。けれど、さっきの光景
は頭に焼きついてしまっている。
 静かに泣き続ける絵麻を、リリィはずっと抱きしめていてくれた。
 大丈夫だから、というように何度も背を撫ぜてくれる。
「ごめんなさい……」
「絵麻、落ち着いた?」
 しばらくして、翔が戻ってきた。
「ここは大丈夫みたい」
 目顔で「どう?」と状況を聞くリリィに、翔は答えた。
 だったらしばらく、絵麻を休ませたい。リリィはそう考えたようだったが、
それを伝えた時に翔は首を振った。
「僕もそうさせたいんだけど、時間が経てば経つほどさっきの騒ぎが標的に伝
わって、暗殺が難しくなる」
 2人は考え込んだ。
 絵麻は大丈夫だと言いたかったのだが、それはできなかった。今はカラ元気
を出すことさえできなかった。
 そのことを、絵麻は一生涯悔やむことになる。
「じゃあ、僕が暗殺行って来るよ。リリィは絵麻を連れてさっきの場所から宿
に戻って」
 しばらくして言った翔に、リリィは首を振った。
「リリィ?」
 彼女はメモ帳を出してそこに綴った。
『翔が絵麻の側にいてあげて。その方が絵麻は安心できると思うから』
「でも、それだとリリィが暗殺する事に」
『仕事だもの』
「だけど、リリィはNONET抜けて結婚するかもしれないんでしょ? 普通
の生活に戻れるのに、その最後に暗殺なんかさせたくないよ」
『ありがとう』
 リリィは花のように微笑んだ。
『でも、大丈夫。私が行く。私の手はもう十分に汚れているから、今更1人増
えるくらいは気にしない』
「けど、リリィは女の子だよ? 僕は男だから失敗してもどうにかなるけど、
もし万一の事があったら」
『大丈夫よ。私、これでいて結構強いのよ?』
 確かに、リリィのパワーストーンの潜在能力は翔に続いて2番目に高い。
『絵麻をお願い。早く落ち着ける場所に行って休ませてあげて』
 リリィはそう綴るとページを破り、もう1枚綴った。
 それから絵麻の肩を叩き、そのメモを絵麻の手に滑り込ませる。
『すぐに戻ってくるから、ゆっくり休んでいてね』
 そこにはそう書かれていた。
「リリィ……」
 まだ涙に掠れる声で呼んだ絵麻を、リリィはぎゅっと抱きしめ、笑った。
 絵麻の好きな、春の花の笑顔。
 そしてショールをきちんと羽織らせてやると、立ち上がって翔に何かを問い
かけた。
「階段をもう1階あがって、廊下を左。突き当たりの部屋」
 それを聞くと、リリィは最後にもう一度だけ2人に微笑んでから、踵を返し
た。
 それが絵麻の、優しいリリィを見た最後だった。

 リリィは翔に言われた通りに階段を上り、廊下を進んだ。
 まだ上の階までは騒ぎが伝わっていないらしい。廊下は静かだった。
 足音を立てないように進み、扉の前に立つ。
 と、ふいにリリィは軽い既視感のような物を覚えた。
 この扉をどこかで見た気がする。
 この廊下も、歩いた事がある気がする。
 絵麻に感化されたのだろうか。
 リリィは苦笑いすると、扉に耳をつけて中の様子を伺った。
 人の気配が2人。誰かが怒鳴る声がして、続いて少女と思しき悲鳴がした。
 中で行われているであろう行為にリリィは一瞬きつく唇を噛む。
 そして、そのまま扉を破って部屋の中に進入した。
 広い部屋の真ん中に、大きなベッドが据えられた部屋だった。洒落たバーカ
ウンターも作り付けになっている。何のための部屋なのかは明らかだった。
 その広いベッドの上で、男が全裸の少女を組み敷いていた。男の汚い指が少
女の頚動脈を圧迫している。少女が死の縁にいるのは明らかだった。
(あれ……私……)
 さっきよりも激しい既視感が襲ってきて、頭がくらくらした。
 扉が破られた音に、男が驚いてリリィの方を見つめる。
 同時にリリィは能力で具現化した氷の刃を男に向けて放った。
 けれど、ふらつく頭のせいか、その刃は外れてしまう。
 どうして、こんなに頭がくらくらするんだろう。
 どうして、胸の奥がこんなに痛いんだろう。
 ここから今すぐ立ち去りたい。けれど、そのためには目の前の男を殺さなけ
れば。
 リリィがもう一度刃を放とうとした時、正気に返った男――マーチスが激昂
した。
「薄汚い殺し屋め!」
 言って、リリィが刃を具現化するより早く彼女に体当たりする。
 リリィはマーチスともつれるようにして床に倒れた。
 その手に握られていた刃を奪い取り、マーチスはリリィの喉元に突き立てよ
うとする。
 が、その手がリリィの表情を除きこんだ一瞬で止まった。
「お前は……」
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