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 目を開けると、そこは自分の家だった。
 ようやく慣れはじめた、新しい家。
 元々、絵麻が住んでいたのは祖母の家の近所にあるマンションだった。この
一戸建ては結女が自分がどれだけ稼いでいるかを周囲に見せつけるために絵麻
が中3の時に建てたのだ。
 おかげで大事な受験期だというのに、絵麻は転校するハメになってしまった。
 友達はまだできない。
 芸能人の妹ということですりよってくる人はいるけれど、その人たちが見て
いるのは、友達になってほしいと思っているのは『結女』であって『自分』で
はなかった。
 祖母の家の近所の、元のマンションに戻りたかった。
 ここからは電車で1時間強。遊びに行けない距離ではないのだが、そんなに
いつもいつもは戻れない。
 絵麻は真新しいフローリングに素足を降ろすと、パジャマのまま部屋を出た。
 絵麻の部屋の向かいには父の書斎。その隣に和室があって、そこが両親の部
屋である。
 絵麻はそっと両親の部屋に入った。
 そっけない、生活感のない部屋。
 当然かもしれない。
 両親は引っ越しの日に一度ここに泊まっただけで、それ以来帰って来ていな
いのだから。
 絵麻の両親は赤十字の職員である。
 世界中の紛争地帯を点々として働いている。祖母からは「絵麻のお母さんと
お父さんは、他の国のお母さんとお父さんがいない子のために働いているんだ
よ」と教えられた。
 別にそれが悪いという気持ちはない。
 ただ、自分の実の子供達を放って海外に出て行く両親の気持ちはわからなく
て。
 空っぽの部屋を見ていると、寂しさがこみあげてくる。
「……」
 絵麻は階下に降りた。
 朝食を作る元気がわかなかったので、シリアルに牛乳をかけたもので済ませ
てしまった。結女が気まぐれにやるダイエット用の朝食なので、買ってあるの
である。
 ちなみに、その結女は一昨日から泊まりのロケとやらで出かけている。
「……」
 片付けをしている絵麻の視線の先に、引っ越しと同時に買ったFAXつきの
電話が映った。
 祖母は今日、入院している知人の見舞いに行くと言っていたから留守だろう。
 かけ時計を見て、時差を確認する。そんなに忙しい時間ではないはずだ。
 絵麻は両親のもとに国際電話をかけた。
『Hello.』
 出た声は外国人。外国なんだから当然か。
「ハロー。えっと……may I speak to Fukagawa, please?(深川をお願いでき
ますか?)」
『Who`s calling, please?(どなたですか?)』
「えっとえっと……This is Ema Fukagawa. Fukagawa`s daughter.(深川絵麻
といいます。深川の娘です)」
『Hold on a minute, please. I`ll check.(お待ちください。見て来ます)』
 ほどなくして、電話の声が日本人の女性にかわった。
『Hello, This is Kana.(もしもし。香菜です)』
「お母さん?」
『お母さんって……結女と絵麻、どっち?』
「絵麻だよ、お母さん」
『どうしたの』
 電話の向こうの母の声は、何かに気をとられているようにそっけない。
「うん……特に用はないんだけど」
 引っ越したばかりで寂しい……そう絵麻は言おうとしたのだが。
『用がないならかけないでちょうだい』
 ぴしゃりと、母にそう言い切られてしまった。
『わかってるの? 国際電話はお金がかかるの。そのお金を募金してみなさい。
どれだけの子供が助けられると思う?』
「お母さん……」
『絵麻は安全な日本にいるからわからないかもしれないけど』
「ねえ、お母さん。お父さんは?」
『お父さんなら仕事よ。ねえ、絵麻。用もないのにかけてこないで頂戴?
絵麻は日本で安全に暮らしているんだから、大丈夫でしょう? こっちには
ごはんも食べられない子が大勢いるの。私たち、忙しいのよ』
 母親の声は本当に絵麻を迷惑がっていた。
『結女はこんなに手をかけさせなかったわよ。絵麻だってもう15歳でしょう?』
「……ごめんなさい」
『それじゃあね』
 プツッと電話が切れる。ツーという発信音にかわる。
「……お母さん」
 発信音に変わった受話器を握りしめて、絵麻はぽつりと呟いた。
 忙しいのは知ってる。
 大事な仕事をしてるのはわかっている。
 けれど、少しだけ。こんなに寂しい日は少しくらい、わたしを見てよ。
 そんなに、世界の親のいない子が大切? わたしだって、親はいないも同然
じゃない。
 少しくらい……構ってよ。
 絵麻は受話器をおくとソファに寝転がった。
「お母さん……お父さん……」
 そして目を閉じた。
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