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「これでいいよね。ぬいぐるみが持って行けないのはちょっと残念だけど」
  その頃、アテネはウェイクフィールド邸の一角にある自分の部屋で、1人荷
造りをしていた。
  とても豪華な内装の施された、普通の子供では絶対に持てない広い広い部屋。
  けれど、アテネにとってこの部屋は拷問部屋のような気がしていた。
  10歳でここに来てからの4年間、アテネはこの部屋にほとんど閉じ込められ
て過ごして来たからである。
  たまには出してもらえた。義父たちの機嫌がいい日や、地方貴族のパーティ
などに見世物として連れ出される時。
  最も、ここ半年はほとんど部屋から出してもらえなかった。
  まず、屋敷にたくさんの警備員が入った。その警備員たちは何かを義父の宝
石部屋に運び込んでいるようだった。
  何をしているのかを義父に聞くと、こっぴどく怒られて夕食を抜かれてしまっ
た。同時に義母もヒステリックさを増して行き、アテネは義父母としゃべりた
くなくなった。
  義父母たちも同じ思いなのか、アテネに庭とサンルームを与えるとその部屋
から出そうとしなくなった。
  いつも偉い誰かが来て、ぺこぺこしている様子だった。それが終わると義父
母はたいていアテネの部屋に来て、口汚くアテネをののしった。
  でも、それらはもうどうでもいい。
  兄に会えるから。兄の元に行けるから。
  アテネは3つ年上の兄のことが大好きだ。赤ん坊のころから不自由な体でア
テネの世話をして、たった1人アテネを愛してくれた。
  アテネがママとパパがいなくて寂しいと泣くと、決まってこう言ってなぐさ
めてくれた。
「アテネ。他の奴らは1人っきりだけど、アテネには兄ちゃんがいるだろう? 
 だから、寂しく思うことなんてないんだよ。兄ちゃんが抱きしめてやるから」
  そう言って、左腕だけでアテネをぎゅっと抱きしめてくれた。
  その感触がアテネは好きだった。他の孤児院の子供たちは兄の不自由な体を
からかったけれど、アテネはそれがわからなかった。シエルは世界中でいちば
んのお兄さんだ。それがわからないなんて。
  アテネはそっと、ワンピースの内ポケットからあるものを取り出した。
  手のひらに収まる大きさの、木製のプレートだ。
  円形……というのには語弊があるだろう。あちこち歪んで、一か所などは大
きく欠けている。
  上部にひび割れのような切り込みが入っていて、そこに爪の先ほどの大きさ
の緑色の石が押し込まれていた。
  プレートには歪んだ文字で、こう彫り込まれている。
『DEAR  ATHENE  FROM  CIEL』
  ──大切なアテネへ。シエルより。
  これは兄が学校の図工の時間に作ってくれたものだ。
  本当は装身具のメダルを作ってくれるつもりだったらしい。けれど、片腕の
人間が誰の力も借りずに工芸をやるには無理がある。
  それでもシエルはここまでの物を作って、アテネに贈ってくれた。
  いつか本当の装身具が買える時まで、それで我慢してくれ、と。
  アテネは本物の装身具なんてどうでもいいと思った。このプレートだって紙
やすりで綺麗に磨きあげてあるし、高級品みたいにずっしりとした厚みがある。
 飾り石もきれいな緑色だ。
  孤児院からは何も持ち出すなと言われたのだが、アテネはこのプレートだけ、
こっそり服の内側に滑り込ませて持ち込んだのである。
  以来4年間、アテネはこのプレートを肌身はなさず持ち歩いて来た。お金を
払い終わったら、いつかお兄ちゃんに会える。そう祈りをこめて持っていた。
  その願いが、今日叶う。
「早く夜にならないかな。お兄ちゃんに会いたいよ」
  義父母には今日も来客があるらしい。ガードマンが忙しく屋敷の中を歩き回っ
ているが、客は夜には帰ってしまうので、みんなが来るころには屋敷は静かに
なっているだろう。
  でも、もしも客が泊まって行くことになったら?
「連絡、しといたほうがいいかな」
  アテネは枕の下に隠しておいた通信機を出した。
「そうだ。これもかばんに入れておかないと」
  通信用のスイッチを入れようとした時だった。
「アテナイ」
  部屋の扉がコンコンとノックされる。
「はい」
  慌ててプレートを内ポケットに、通信機をポケットにしまうと、アテネは扉
を開けた。
  そこには義父が立っていた。
「お義父さま、どうしたの?  お客様じゃ……」
  義父はアテネが今までみたどの顔より怖い顔をしていた。
  後ろには青ざめ、ヒステリックな形相をした義母の姿もある。
「お義母さま?」
  立ちすくんだアテネの体を押すようにして、2人は部屋に入って来た。
「アテナイ」
「はい」
「お前、お父様たちに何か隠し事をしていないか?」
「え?!」
  核心をつかれ、アテネはどきりとする。
  けれど、冷静を装って。
「やだな、アテナイはお義父さま達に隠し事なんかしないよ」
「悪い子だな」
  義父は唇を歪めると、いきなりアテネの肩をわしづかみにした。
「お義父さま?!」
  そのままがくがくと体をゆする。
「お義父さま、止めて!  お義父……」

  コトン。

  揺すられた衝撃で、ポケットに入れていた通信機が転がり落ちた。
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