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「症状が出はじめたね……」
  PC本部へ向かう道筋で、翔は『本題』を切り出した。
「絵麻が何もないのなら傍観しておこうと思ってたんだけど」
「潜伏期間があったのかしら?」
「多分」
  翔は心配するように、今出て来たばかりの寮を振り返った。
  絵麻を1人で残して来たのである。
  側で見ていたかったのだが、3日前に有給を使ったばかりの身ではそうもい
かなかった。
「・・・・・・・・・・?」
「私のせいかって?  それは違うでしょ」
「だいぶ慣れたみたいだったしな」
  表情を曇らせたリリィに、リョウと信也が明るく声をかける。
「そうだよ。あんまり脅えなくなってきたからね。少し元気になったみたい」
「で、元気になったとたんに廃人化?」
「……」
  痛い部分を突かれ、今度は翔が顔を曇らせる。
「ここ3日間、本業を放り出して調べてるんだけど……前例がない」
「作れないのか?  覚え切れないほど長い通り名持ちなのに」
「『Gガイア最年少最短最多記録保持天才少年修士』?」
「あ、それそれ。覚えないと」
「覚えなくていいって……だいたい僕は天才なんかじゃないよ」
  翔は物憂げに自分の焼け爛れた手を目の前にかざした。
「3日間。これだけ調べて何もできないんだよ?
  絵麻がどんな世界から来たのかも、どうして血星石を吸収できたのかも、そ
れをどうやって取り出すかも……全然わからない」
「なあ。このまま廃人になって終わりなのか?  予防薬とかないの?」
  信也が医者の幼なじみを振り返る。
「パワーストーンの力を押さえる薬は聞いたことない」
  リョウがホールド・アップの仕草をする。
  その後で、翔は彼女が横の信也にだけ聞こえるようにささやくのを聞いた。
「だいたい、専門家の翔がサジ投げてるものをあたしがどうにかできるわけな
いでしょ」
「一応、学者だからね。調べは一巡目通り越して二巡目に突入してるよ」
  翔はいくらかムッとしながら言葉をつなげた。
「血星石さえ取り出せてしまえば、廃人化は確実に止まるっていうのが今の僕
の結論」
「取り出す?」
「っていっても、体のどこに入ってるかわからない以上、何の手立てもないん
だけど」
  表情が歪むのを感じる。
  学者だ、専門家だってつっぱっても……自分は何もできない。
「えっと……あれで調べられないか?  骨とか脳とか写すやつ」
「レントゲンっていいたいの?」
「そうそう」
「そっか。写れば切除できるわね」
「ちょっと待って」
  2人が盛り上がりかけたのを、翔が制する。
「でも、急にそんな精密検査しちゃったら、絵麻がまた脅えてしまうと思うん
だ。
それに、みんな知ってるだろ?  血星石は脳や内臓みたいな主要臓器の中心に
巣食ってることが多いんだ」
「でも、腕とかのケースなら助かるんじゃないの?  切除すれば」
  あっさりと言うのは医者のリョウである。
「まあ……そうなんだけど」
「とにかく、考えてみてよ?  自分の命のことなのに何も知らないなんてヘン
だよ。あたし達の考えを押しつける話じゃない。それが傷つくことでも」
  長話をしているうちに、いつの間にか4人はPC本部の建物がある賑やかな
地域に来ていた。
  ここ、エヴァーピースはPC本部を中心とする、森に囲まれた町である。
  周囲を深い森に囲まれていて、外部との行き来は1時間に1本来るかこない
かのバスで行う。はっきりいって辺境の田舎町なのだ。
  だから、商店などもバス停のあるPC本部を中心に固まっていて、森に近づ
くほど人口密度は少なくなる。
「それじゃ、あたしはここで」
  リョウが清潔な印象を与える建物の前で、1人だけ歩みを止めた。
  彼女だけはPC本部ではなく、併設された付属病院に医師として務めている。
「おお。また夕方にな」
「翔、絵麻に話すことを考えておいてね」
「わかった」
  翔はそれだけ言うと、リョウに背を向けた。
  さっきの建物がPC付属病院で、PC本部の建物まではまだ少し歩く。そろ
そろPCの始業時間が迫っているせいか、人通りが多くなってきた。
「傷つけない方法ってないのかな」
「お前って、いつも妙なとこで優しいな」
「え?」
  信也は前を向いたままで続けた。
「『傷つけないように』。それだけを考えて、待ったあげく廃人にするのか?
  絵麻の気持ちを考えてるんだろうけど、そんな優しさ、いらないかもしれな
いだろ?  廃人になってくのを見守られる優しさなんて」
「……」
「あ、ついた」
  立ち止まった3人の先には、大きな煉瓦造りの建物があった。
  古風な外見とは裏腹に内部は近代的、事務的で、入るとすぐに受付のカウン
ターがある。廊下や階段があらゆる方向に伸びている部分が役所などのお堅い
場所に通じる雰囲気を感じさせた。
「えっと、通信室は2階……だったよな」
「リリィは情報整理課だから、ここの3階だよね」
  翔は自分の確認する声が無機質なものになっているのを感じた。
  リリィは不安そうに瞳を泳がせたが、こくんと頷く。
「あれ?  お前も3階じゃなかった?」
「同じ3階でも、僕は調査部の科学開発課だから、B棟」
  翔はカウンターの奥に続く廊下を指し示した。声はまだ、堅い。
「じゃ、また夜にね」
  翔は2人と別れようとしたのだが、すっと伸ばされた白い手に袖をつかまれ
た。
「リリィ?」
「・・・・・・・」
「え……B棟に行くって?  用事でもあるの?」
  リリィはこくんと頷いた。
「じゃ、途中まで一緒に行こうか」
「夜にな」
「うん」

  信也と別れて、2人はB棟に続く奥の廊下に向かった。
「・・・」
  階段を昇り、3階まで行ったところでリリィが声のない口を開く。
「どうしたの?」
「・・・、・・・・・・・・・・。・・・・・?」
「え?」
  リリィが一生懸命に、何かを告げている。
  翔は短い、簡単な内容ならリリィの言いたいことを察してあげられる。けれ
ど、長い言葉となるととたんにダメだ。
「・・・・・・。・・・・・・・・、・・・・・・」
「い……あいえ?  リリィ、何を言ってるの?」
「・・・・・・・・、・・・・・・・・。・・・」
  空気だけがこすれる音がする。
  リリィはもどかしそうに喉を押さえたが、それでも止めようとしなかった。
「・・・・・・」
「いい、いあいえ……そっか」
  やっと短い言葉がわかり、翔は肩を落とした。
「『気にしないで』か」
  リリィが何度も頷く。
「やっぱりバレちゃった?  さっき、信也に言われたこと気にしたの」
  翔は自嘲するように呟いた。
「リリィ、結構鋭いもんね」
 翔のあきらめたような言葉も気にせず、リリィは声なき声で必死に訴え続け
る。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「え?」
「・・・・、・・・・・・・・・」
「優しい方がいいって、言ってくれてるの?」
  リリィはこくりと、静かに頷いた。
「実際迷ったんだ。レントゲンのこと、本当は気がついてた。
  けど、絵麻が脅えたら……可哀想で」
「・・・・」
  その時、廊下に軽い足音が響いた。
「翔くん。リリィちゃんも」
  声の方向に2人が振り向くと、そこでは銀髪の青年が笑っていた。
  ラフな格好の翔と対称的に、アイボリーのベストとスラックスという上下揃
いの服を着て、シャツにちゃんとネクタイをしめた品のいいスタイルだ。
  真っすぐな銀髪はリリィと同じく後ろで束ねられていて、青い目が柔和に笑
う。
「ユーリ」
「お久しぶりです」
  ユーリと呼ばれた青年は、穏やかに微笑んで一礼した。
  外国人で背が高いから、リリィと並ぶとちょうどいい。
「朝からどうしたの?  まだ始業時刻前なのに」
「会議に回す急ぎの資料がありまして。各課に配らないといけないんですよ」
  ユーリが抱えていた一束の書類を示した。
「Mr.PEACEの直属秘書っていうのもたいへんだね」
「これが仕事ですから」
  そう言ってユーリは立ち去ろうとしたのだが、ふと思いついたように翔を見
た。
「翔くん」
「何か?」
  ユーリが声を落としてささやく。
「貴方がここに戻って来ているということは、『血星石』は回収できたんでしょ
うね?」
  ユーリが微笑のままで、翔の痛い部分をついてくる。
「あ……えーっと……」
  あまりに唐突に言われたので、言葉に動揺が出てしまった。
「まさか、できないで戻って来たとか?」
「いえ……そういうわけでも……」
  ぼそぼそと言ったのだが、ユーリは容赦してくれない。
「Mrがこぼしてましたよ。『報告が遅い』とね」
「報告?  報告なら、シエル達の方と同時って話だったんじゃ?」
「2組ともあんまり遅いんで、どちらかが先に帰っているのなら報告を優先し
て欲しいと通信を送ったはずですが。見てませんか?」
「通信?  リリィ、確認した?」
  リリィが首を振る。
  そういえば絵麻の一件のせいで、ろくに確認をしていなかった。コンピュー
タはそっちのデータを探すのにフル活動だったし、『情報管理』担当の哉人は
出かけたきりときている。
  確認を怠っても仕方なかったかもしれない。
「……見てないようですね」
「ちょっと忙しくて……」
「それでは、ここでお知らせしましょう。早急に『血星石』に、発見時の状況
を分析したデータを添付してMrの執務室へ提出してください」
「早急……猶予はどのくらい?」
  ユーリが意外そうに目をまたたいた。
「貴方ほどの処理能力があれば本日中でも十分じゃないですか?」
「本日中?!」
  声のトーンが思いっきりあがり、翔はしまったというふうに口を押さえた。
「まあ、人間誰でもさぼりたい時というのがあるでしょうから、明日いっぱい
ということでいかがでしょう?」
「明日……」
  翔が黙り込んだ時、頭上でPC始業を告げるチャイムがなった。
「おや。もうこんな時間ですか。資料を届けないと」
  ユーリは2人に背を向け、廊下を歩き始める。
「くどいようですが、Mrがお待ちです。この意味、わかりますね?」
「ええ。痛いくらいに」
「ならよかった」
  そう言って振り返ったユーリはやはり笑っていたが、アイスブルーの瞳は刺
すような光を宿していた。
「ちょっと待ってよ。明日中って……」
  ユーリが角を曲がるのを確認してから、翔が顔色をかえて壁にもたれこむ。
「要するに、今日中に絵麻の身体から血星石を取り出す方法を探さないとアウ
トってこと?」
「・・・・・」
「待ってくれよ……」
  翔は思わず、天井をあおいで額をおさえた。
「3日かかってもやれなかったことを、今日1日でしろと?  そんな無茶な」
「・・、・・・・・・・・・」
「うん。ユーリの言葉はMr.PEACEの言葉」
  翔は額から手を外して、リリィと視線をあわせる。
「所詮、僕ら雇われの身だもんね。雇い主の指示には従わないと」
「・・・・・・、・・・・・・・・?」
「ごめん。もう1回ゆっくり」
「・・・・・・・・?」
「絵麻をさし出すのかって?  そんなことすれば、Mrは絵麻を亜生命体と認
識して『処分』するだろうな」
「・・」
「でも、そうしないと僕ら……給料もらえないんだよね。死活問題」
  翔たちはNONETとして『仕事』をこなすことを条件にPCに雇われてい
る。
  その仕事が果たせなければ、解雇通告が来ても文句は言えない。
  Mr.PEACEは平和部隊PCの総帥……企業で言ってしまえば社長、い
や会長クラスの人材だ。敵に回して得になることはない。
  だいたい、翔やリリィが普通のPC職員だったなら、さっきのユーリとだっ
て気安くは話せないのだ。
  ユーリは総帥直属の秘書にして腹心。Mrが彼をどれだけ信頼しているかは、
彼に『NONET』との連絡係をまかせていることからも容易に想像できる。
「とにかく、対策考えておくよ。そろそろ行った方がいい」
  翔は腕時計に目を落として、始業時刻から幾分過ぎてしまったのを確認する
と、そっとリリィを促した。
「・・・・」
  翔の視界の隅で、金色の光が揺れる。
  翔はぼんやりとその残光を見送っていたのだが、廊下を曲がるところでリリィ
は振り向くと、翔を安堵させるように頷いてみせた。
「また夜にね」
  リリィが角を曲がって行くのを確認すると、翔はもたれていた壁から体を起
こした。
  リリィが行ったのと別の方向へ歩いて、自分の所属する科学開発課のドアに
歩きつく。
「誰だ、遅刻した奴は……」
  主任の怒鳴り声は、翔の姿を認めたとたんに細くなって消えた。
「なんだ。明宝(めいほう)じゃないか」
「すみません。廊下でユーリと話こんでしまって」
「それならいいんだ」
  わざとユーリの名前をだして牽制すると、翔はおとがめなしでごちゃごちゃ
になった自分の研究机に向かった。
  ジャケットを脱ぎ、椅子の背にかけておいた白衣と交換する。
  椅子に座って、そこでようやく一息つけた。
(ふう……朝から疲れた)
  なにげなく手元の資料をあさって、1枚のプリントアウトを引っ張り出す。
  それはもう暗記してしまった『パワーストーン同調による身体能力の成長と
それに伴う廃人化現象』のプリントだったが、なんとなく目で追っていた。
  絵麻には症状が現れつつある。自覚に至るのもそう遠い日ではなさそうだ。
  信也の言うとおりに全てを話し、一縷の望みにかけた実験道具のような生活
を強要するべきなのだろうか?
  あるいはこのまま『科学者』の目線で、廃人化現象の終始を観察するか?
  それとも……一瞬で終わる『処分』に回す?
  さしだして、『処分』してもらえば一瞬で事は終わる。
  翔が思い煩う必要はないし、今みたいに遅刻しても、NONETの仕事で途
中早退、無断欠席の繰り返しになってもMr.PEACEの権限で首はつなが
る。
  絵麻だって、苦しむのは一瞬。
  お互い、楽になるのがいちばんいいことではないのか……?
「……」
  プリントアウトの前で、翔はもうどうしようもなくなっていた。
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