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「あ……」
  その光景を、南の森へと避難した絵麻は見てしまった。
「ダメ……ダメ!!  唯美、やめて!!」
  悲鳴を上げるが、距離があって届かない。
  何より、絵麻の足は完全にすくんでしまっている。
(動いて……お願いだから動いて!!  唯美を止めなくちゃ!!)
  けれど、足はまるで他人のようにいうことを聞いてくれない。
  どうして動けないの?
「お願い!  唯美、唯美やめて!  唯美!!」
  激しい炸裂音と悲鳴が聞こえるかと思った。けれど、違った。
  振り上げた唯美の手を、後ろからはがいじめにした人影かあったのだ。
「民間人を巻き添えにするな」
  唯美と同じ漆黒の目をした、黒衣の兵士。
  封隼が唯美を止めたのだった。
「封隼?」
  唯美は憎しみのこもった目を自分を止めた人物に向けた。
「何をやってるんだよ?  お前がやるのは武装兵であって、民間人じゃないだ
ろうが」
「止めないで!!」
  唯美は乱暴に封隼を振り払った。
  その手にはいつの間にか、一振りのナイフが握られている。
  ナイフに赤い何かが付着しているのが、絵麻の目でもはっきりみえた。
「……」
  封隼が無言で右頬を押さえる。
  手を離したとき、そこにはナイフでつけられたとおぼしき切り傷があった。
「唯美……」
  唯美の漆黒の瞳に、狂おしい殺意が灯っている。
  その目を見た時、絵麻は自分が凍りついているかのようにその場で動けなく
なってしまった。
(え?)
  この目は、どこかで見たことがある。
  どこで見たのだろう?
  どこかで自分は明確な殺意にさらされた。
  パンドラに?  それとも、アレクトに?
  ううん。違う。
  もっともっと怖い。ふいに牙をむく、狂ったようなあの感触……。
(『お姉さん』)
  その発想に思い当たった時、絵麻は体を震わせて息を飲んだ。
  そうだ。あの時、姉の結女が今の唯美と同じ目をしていた。
  そして、その直後に自分は……!
「あ……あ……」
  殺されてしまう。
  唯美は封隼を殺すつもりだ。
  絵麻はその時になってやっと、なぜ自分が唯美に賛同できなかったかを悟っ
た。
  唯美は『お姉さん』だから。
  それで、唯美の意見が正しいことをわかりながら賛成できなかったのだ。
  封隼を排除できなかった理由もわかった。
  彼が自分と同じだから。
  すべてから否定され、それでも生き続けていくしかできない封隼は自分と同 
じ。
  けれど、それは遅かった。
  絵麻はもう、声も出せないほどに震え出していたから。
(逃げて)
  体が震え、出そうとした声は喉の奥でくぐもってしまう。
(お願い。わたしと同じにならないで!!)
  悲鳴でもいい。泣き叫んだっていい。
  お願いだから、こんな無意味なこともう止めて!
  目をそらしたい。けれど、視線を動かすことさえできない。
  血のついたナイフを持った唯美は、狂ったような笑いを浮かべた。
  思いと現実とのねじれから、唯美の中に生まれてしまった『狂気』。
「アンタ、武装兵を殺るって言ったよね」
「言ったよ」
「アンタも武装兵でしょ。殺されたいの?」
  じりじりと、唯美の中で狂気が膨れ上がって行く。
「……殺せば?」
  封隼は僅かに笑ったようにみえた。
「じゃあ、死んで!!」
  逆なでされたかのように、唯美の瞳の中の狂気が燃え上がる。
  唯美はナイフを振りかざすと、封隼に向かって突進した。

  ざくり。

「……」
  突き出されたナイフは、封隼の胸を正面から刺していて。
  黒い軍服を着た小さな体が、スローモーションのように仰向けに倒れる。
  唯美のダークローズのセパレートも、返り血でどす黒く染まっていた。
  そして、その一部始終を、絵麻は何ひとつもらさずに見てしまった。
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