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「……」
 Mr.PEACEの呪いの声が、今も耳の中に残っている。
 ユーリの目にあった、深い絶望の色もありありと思い出せる。
 パンドラが処刑される。人の肉が、髪が焼けるにおい。墨のように崩れ
た生命の残骸。
 恨みが連鎖する。
 終わらせなければ。そう強く思った。
「でも……わたし、いってくるね」
 絵麻は全員に向き直った。
「わたし、パンドラを消滅させる。終わらせる」
「絵麻」
 翔が絵麻の腕をつかむ。
「わかってるの? パンドラを消滅させたら、絵麻は」
 消えてなくなるのだ。今度こそ、命が終わる。
「それでいいの。だって、わたしはそのためにここにいるんだから」
「絵麻がよくても僕は嫌だよ!」
 大切な人が命を絶とうとしたら、誰だって嫌がるだろう。
「何かないの? 何か方法……絵麻が死ななくて済む方法」
「そんなに都合のいいことなんて、ないと思う」
「絵麻ちゃん、怖くないの?」
 アテネが不思議そうにいう。
 絵麻の声には、他人の話をしているように突き放した響きがあったから。
純粋に疑問だったのだろう。
 絵麻は怖いという言葉を飲み込んで、無理矢理に笑った。
 その笑顔のいびつさに、翔は気づいたようだった。支えられている手に
力がこもる。
「絵麻1人でやることはない」
「翔?」
「僕も行く」
 翔はきっぱりと言い切った。
「パンドラを倒す。僕が終わらせる。絵麻が平和姫を呼ばなくて済むよう
に、僕が守る」
「でも、翔のその気持ちは……」
 Mr.PEACEは、翔が絵麻を思う気持ちはそういうふうに作られた
ものだと言った。
 『平和姫』を存続させるための安全装置。器を守るため、迷いなく命を
投げ出せるように器に恋愛感情を抱く。
「絵麻。『平和姫』をやめてよ。絵麻がやる必要なんかないから……」
 翔の表情には、悲痛な色があった。
 絵麻は目を伏せて、微かに首を振った。
 確かに、ここは絵麻の生まれた世界ではない。育った世界でもない。
 自己犠牲ではなくて。大儀のために命を捨てるという言葉の甘さに酔っ
ているわけでもなくて。
 上手く言葉にできないけれど、ひとつ、わかっていることがある。
 自分が守りたい人がいるのは、この場所だ。
「……」
 翔はしばらく絵麻をじっと見ていたが、あきらめたように息をついた。
「絵麻がどうしても『平和姫』の役割を果たしたいんなら、僕も『守護者(セイバー)』
をやる」
「翔?」
「何て言われても、絵麻が行くなら僕も行くからね」
 迷いのない瞳で、彼はそう言い切った。もう悲しんではいなかった。
「翔……」
「それじゃ、私も行く」
「リリィ?」
 リリィは絵麻の肩に手を置いた。
「私、絵麻だけを危ない場所に行かせて平気な、薄情な人に見える?」
 絵麻は首を振った。
「そんなわけないじゃない」
「しょうがない。アタシも行くか」
「唯美も……?」
 唯美は帽子をずらして、笑った。
「移動役兼戦闘力兼マスコットガールがいなきゃ、ね?」
「誰がマスコットガールだ」
「な」
 シエルと哉人が同時に息をついて、笑い出す。
「何よアンタたち」
 唯美が2人をにらんだ。
「しょーがない。オレらも行くか。な、哉人?」
「絵麻と唯美の暴走止めないとな。唯美に関して、止める自信ないけど」
「唯美姉さんはおれが止めるよ」
「封隼?」
「おれも行く」
 唯美が封隼の腕を押さえたが、彼は首を振った。その横顔に、唯美はそ
れ以上何も言わずに、ただ、腕を叩いた。
「じゃ、あたしも行かなきゃね。絶っ対ケガするから」
「……」
「俺も行くか……シエルと哉人の喧嘩収めなきゃ」
 リョウと信也が、目を合わせて苦笑いする。
「みんな……でも、だって」
「放っておけるわけがないでしょ?」
 リョウがぴっと、絵麻を指した。
「絵麻が自分で決めたのと同じ。あたしたちも、自分で決めてるの」
「……ごめんなさい」
「謝らない謝らない。弱気だと負けちまうから」
「アテネも行く! 行くからね!!」
 自分の横でぴょんぴょん跳ねだした妹を見て、シエルはため息をついた。
「あー……ダメって言ってもついて来るんだろうなとは思うんだけど、兄
ちゃんとして一応抵抗してみてもいい?」
「1人だけ置いてきぼりやだ!」
「ンな子供みたいな理由で行かせられるかっ」
 アテネはきっと、兄の自分と同じ色の瞳をにらんだ。
「子供じゃないよ。アテネだって、絵麻ちゃんがつらい思いするのは嫌な
の。絵麻ちゃんがいなくなるのは嫌なの。みんなだって、そうでしょ?」
 胸をつかれ、絵麻は口元を手で覆った。
「アテネ」
 シエルが妹を引き寄せて黙らせる。
「わたしが……つらい思いって……みんな……?」
 わたしのせいで、みんなは傷ついたのに。
 わたしは、ずっと疎まれるだけの存在だったのに。
 それなのに、わたしがつらい思いをしないように……?
 それぞれが、それぞれの表情で頷く。
「だから、リリィが言ってるだろう。俺らそんなに薄情に見える?」
「9人いるんだから、分けて9分の1ならなんとかなるよ、きっと」
「人数いるって便利だな」
「誰にも傷ついて欲しくないよ。絵麻と同じ気持ち。でしょ?」
「自分がいなくなっていいとか思わないでね?」
「……」
 泣かないと決めたはずなのに。
 それなのに、涙がこぼれた。
「ありがとう」
 そう言ってまた泣いてしまった絵麻の髪を、翔が熱い手のひらで撫ぜて
くれていた。
 その熱が、とても心地よかった。
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