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「それじゃ、明日の朝決行でいい?」
 それから。
 みんなで簡単な打ち合わせをした。必要な道具は、唯美が瞬間移動を使っ
て第8寮から持ち出してきた。
 特に綿密な作戦があるわけではない。はっきり言って、勝算もない。
 それなのに、悲壮な色はどこにもなくて。
 むしろ、笑う場面さえあった。普通にソファで談笑している時のようだっ
た。
「いいよ」
「とっとと終わらせますか」
「……で、今日どうするの? ここでザコ寝?」
「それしかないだろう。第8寮は誰かが見張ってるかも知れないし」
「明日早く出れば、シスター達にこれ以上の迷惑かからないよね」
 シスター・パットは10人にできる限りのことをしてくれていた。でも、
流石にこれ以上は危ないだろう。PC本部の支援を受けている者が、PC
総帥殺害の犯行グループをかくまっているのだから、知れたらシスターは
もちろん、無関係な子供たちまで巻き込んでしまう。メアリーと、年かさ
のディーンは知っていて協力してくれていたが。
「確か、メアリーが毛布貸してくれてたよな」
 言って、哉人が階下に続くはしご段の側に置いてあった毛布を持ってく
る。
「全員分ある?」
「いや……5枚だな」
「2人で1枚?」
「げっ、男同士で使うの?!」
 そんな能天気な騒動を横目に、翔が絵麻の制服の袖を引っ張った。
「?」
 翔は目顔で、はしご段の方を指した。そして、自分は音を立てないよう
にそちらに移動して、降りて行く。
 絵麻もそっと後を追いかけた。
 はしご段は礼拝堂の物置に通じている。物置からはすぐに庭に出る事が
できる。教会に訪れる人は少なく、物置の存在を知る人はさらに少ない。
ユーリは知っているかもしれないが、彼は同時に、唯美の瞬間移動の能力
を知っている。それで彼らが信じられない距離を移動することを何より恐
れたようで、そのせいで捜索が全国区になっているのだが、そのぶんだけ
エヴァーピースの、身近な場所への対応が甘くなっていた。
 だから、絵麻と翔が外に出ても、誰にも見咎められなかった。
 建物から見えない、庭の片隅。木立の影に隠れて、2人で並んで座って
いた。何も言わず、ただ空を眺めていた。
 今にも降ってきそうな、満天の星。
 月とは違った光をたたえた『青い球体(ブルースフィア)』。
 絵麻がよく知っている空とは違っていた。でも、とても綺麗だと思った。
「綺麗だね」
「うん」
 2人で同じ感想を持っている事が嬉しかった。
 翔と、気持ちが同じだと思っていた。お互い好きだから、だからこうし
ているのだと思っていた。
「……翔」
「何?」
「翔、大丈夫? 苦しくない?」
 唐突な質問に、翔は目を瞬かせた。
「いきなり、どうしたの?」
「だって、翔のわたしへの気持ちは作られた物なんだよ?」
 自分の体が作り物であることを、翔は何より嫌っていた。感情と一致す
るのかわからないと言っていた。
 それなのに、その感情すら作り物だと言われてしまったら?
「辛すぎるよ……」
「そうかな?」
 うつむいた絵麻に、翔は笑いかけた。
 穏やかで、優しい笑顔。絵麻の好きな表情。
「僕の気持ちだよ。絵麻を好きなのは、守りたいのは間違いなく僕自身の
気持ちだ」
 口調は自信に満ちていた。
 顔をあげた絵麻に、翔はもう一度笑って。
「だって、作り物だとして、押し付けられているのだとしたら、逆らえな
くて従っても、僕は抗うと思う。心のどこかで絶対に反発する。
 でも、今、僕は抵抗する気は全くない。だから、これは僕の、心からの
気持ちだよ」
 翔は納得しているようだった。けれど、絵麻にはわからない。
 決められて押し付けられているから、だから、反発する気も起こらない
んじゃ?
「あのね、僕は嬉しいんだよ」
「どうして」
「子供はみんな、愛されて生まれるけど、僕はそうじゃなかった。僕に被
験体以外の意味なんてなかった。でも、絵麻を守るために生まれたのだと
したら」
「それ、違う」
 絵麻は翔の言葉を途中で遮った。
「?」
「わたしは『平和姫(ピーシーズ)』じゃなくて、深川絵麻だよ」
「うん。そうだけど」
「それと同じ。翔は翔だよ。翔はわたしじゃないから、わたしのために生
まれたわけじゃないよ。誰かの都合に付き合わなくていいんだよ?」
 これ以上、心を偽らないで。
「翔は、翔の思うように、自分のために生きて」
 自分のために生きるといっても、そのために人に迷惑をかけることがい
けないのは当然だ。けれど、犯罪の重さをよく知っている翔に、そんな言
葉はいらないだろう。
 自分の思う道を進んで欲しい。
 翔ならきっと、自分のいない世界で輝かしい未来を手にするだろう。
「許される範囲で、僕の自由にしていいってことだよね?」
 頷いた絵麻に、翔は真剣な目を向けた。
「絵麻」
「何?」
「ずっと、僕と一緒にいて欲しい」
 絵麻は目を丸くした。
 翔は真剣な表情を崩さなかった。彼が本気で言っていることが、痛いく
らいに伝わってくる。
 言葉が継げないでいる絵麻のことを、翔は自分の腕の中に引き寄せた。
 自分の頬に熱い手が触れたのがわかった。上向いた視界。青い光が降る
のを絵麻はただ眺めていた。
 そのまま、翔はゆっくりと絵麻に口付けた。
(――!)
 やわらかく触れる感触に、絵麻は目を閉じた。
 どのくらいそうしていたかはわからない。気がついた時には離れていた。
一瞬だった気もしたし、何時間もそうしていたような気もした。
 翔がじっと、自分を見ている。求めているのは、絵麻の出す答え。
 頷こうとして、そして。

 涙があふれた。

「……あれ?」
「絵麻?!」
 頬をいくつもの雫が伝う。
 漫画やドラマなら、嬉しくて泣いているというのだろう。けれど、そう
じゃなかった。
 嫌なはずがない。でも、喜んでいるわけでもない。
 知っているどの感情とも違う。ただただ、涙が止まらなかった。
「ごめん、嫌だった?」
 翔がぎこちなく体を離した。
「違うの。そうじゃないの。でも、嬉しいわけでもないの……」
 声になったのはそこまでだった。
 絵麻はしゃくりあげながら、翔に謝り続けた。
「謝らないでよ。断られてるみたいだ」
「そうじゃな……」
 もう言葉にならない絵麻のことを、翔は自分の胸に抱き寄せた。
 そのまま、なだめるように肩を抱く。
 絵麻は暖かい胸の中で、記憶にある限りずっとずっと泣き続けていた。
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