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1.星月夜

「ラジオでは貴方達は中央西部を出た事になってるみたいよ。第8寮を調
べていた人達も帰っていったって、ディーンが」
「シスター……すみません」
「ううん。気にしないでちょうだい」
 薄暗い部屋。明かりは下の方からさしこみ、話し声が聞こえる。
「なるべく早く、行く場所を考えますから」
「本当に気にしないで。私にも原因はあるのだから」
 シスター・パットは憂い顔で言った。
 そのあとで、小さく笑って。
「少し、逆らわせてちょうだい……あの時何もできなかったから」
「シスター」
 何かあったら言ってねと言って、シスターは車椅子を動かすと去っていっ
た。
 扉が閉まる音がして、差し込んでいた明かりが消える。
 ほどなくして、信也がはしご段を登ってきた。
「シスター、大丈夫だった?」
「今のところはな。中央西部を出たってことになってるらしい」
「ここに迷惑がかからないといいんだけど」
「ねぇ、Mr.PEACEは本当に……?」
 信じられない様子で聞くアテネに、リョウが頷いた。
 Mr.PEACE殺害の犯人として、手配されてしまった10人。
 どうやってPC本部から逃げ出したのか、絵麻は覚えていない。
 ショックな事が多すぎて、心がこれ以上の情報を受け入れなかったよう
だった。
 気がつくと教会の天上裏にいた。シスター・パットが場所を貸してくれ
たのだ。
 1枚ガラスの窓があって、光はそこからしか入ってこないから薄暗い。
 けれど、今日は星がたくさん出ていて。『青い球体(ブルースフィア)』も綺麗な形だった。
 絵麻はリリィが貸してくれたショールにくるまって、彼女の肩に寄りか
かっていた。
 窓際で、携帯端末を使って調べ物をしていた翔と哉人が戻ってくる。
「どう?」
「いろいろ凄い事になってるよ。まだ公式に発表されてないけど、武装集
団も攻撃声明出したって」
「うわー……」
 唯美が額を押さえる。
「厄日だわ」
「そういうレベルじゃないだろ」
 封隼が息をついた。
「攻撃声明だよ? 無差別に攻撃される。たくさん人が死ぬ……」
「アタシたちで助ければいいじゃない」
「無理だよ。おれたち10人しかいないんだから」
「お兄ちゃん……」
 膝に子猫を抱いたアテネが、不安そうに兄の傍らに身を寄せる。
 ディーンに連れてきてもらったのだ。
「大丈夫だって。オレたちは10人もいるだろ? な?」
 シエルはそっと、妹のふわふわした髪を撫ぜてやった。
「でも犯罪者かー。犯罪には手を染めないのが信条だったんだがな」
「ごめん、シエル」
 翔が頭を下げる。が、横にいた哉人がシエルの髪を引っ張った。
「てっ」
「謝ることないって。どっちにしろぼくらとっくに犯罪者なんだから」
「あ、そっか」
 シエルは笑ったのだが、誰も同調しなかった。
 すぐに重い空気が場を支配する。
「……どうする?」
 かなり間を置いてから、信也が口を開いた。
「何とかして濡れ衣晴らさないと」
「僕が出頭するよ」
「翔?」
「自分のぶんだけ認めて黙秘すれば……僕は元々罪人なわけだし」
 翔が暗い瞳で言う。
「だめ。絶対だめ!」
「そうよ。翔だけで背負い込むことない。私だって、あそこにいたのに止
められなかった」
 絵麻と、リリィがすぐに反論する。
「それに今は、武装集団の方が先決だろ?」
 襲撃が始まれば警察は機能しなくなる。哉人はそう吐き捨てた。
「どうしたら……」
「わたし、武装集団領に行く」
「絵麻?!」
「止めなきゃ……壊れされたらだめだよ! みんな死んじゃう。シスター
達も、みんな。
 それは絶対いやなの。だって、わたしのせいで……」
 ガイアに戦乱が続いているのは、100年前に絵麻の祖母、舞由がパン
ドラを消滅させることができなかったせいだった。
 舞由――エマイユは、パンドラを消滅させるために生まれた。
 そのためには自分の魂を差し出し、平和姫(ピーシーズ)を呼ばなければいけない。そ
れはエマイユがこの世から消える事を意味していた。
 自分の死を簡単に受け入れられる人間は、そういない。
 エマイユもそうだった。彼女は受け入れる事ができず、パンドラを消滅
させることができなかった。そのせいで、争いは今も続いている。
 絵麻は祖母の舞由から、その役割を継いだ。
 一度死んだ時に、ガイアに行くように。そこで何にとらわれることなく、
平和姫を呼ぶように。舞由は絵麻をそのために育てたのだ。
「わたしがここにいるから……わたしがまだ生きているから!」
「絵麻!」
 包帯の残る左腕を押さえた絵麻を、とっさに翔が支える。
「落ち着いて。絵麻のせいじゃない」
「だって、内戦のせいでみんな……翔だって」
 指先が強くくいこみ、包帯に鮮やかに朱色が浮かんだ。
「絵麻のせいじゃない」
 翔ははっきりと言って、それから表情を緩めた。
「絶対違う。だいたい、何で絵麻が生きてると僕らが不幸ってことになる
の?
 そりゃ、内戦なんて起きてない方がいいに決まってる。けど、僕は絵麻
と会えて幸せなんだよ?」
「……」
「僕だけじゃないよね?」
 翔はリリィと目を合わせて、笑った。
「うん。翔だけじゃない。私もそうだから」
「リリィ……」
 リリィは白い手を伸ばして、絵麻の、包帯に食い込んでいた指先を外し
た。
「お願いだから、痛めつけないで。絵麻のせいじゃないから。ね?」
「ほら、とっとと診せる」
 いつの間にか側に来ていたリョウが、絵麻の左腕を取った。月長石のブ
レスレットを外して、静かに集中する。
「……治療効(ヒール)」
 乳白色の光が灯る。と、暖かい波動が流れ込んできて、痛みが遠のいた。
「どう? まだ痛い?」
「楽になった……ありがとう」
 言ってから、絵麻はつと表情を曇らせた。
「でも、きっとみんなもっとずっと痛いんだよね」
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