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 翔が叫ぶのが聞こえる。
 絵麻は自分の体に走るであろう痛みを覚悟した。しかし、それはいつま
でたっても訪れなかった。
 代わりに響いたのは、男性の断末魔。
 目を開けたその先で、ユーリのナイフはMr.PEACEの背を刺して
いた。
「!」
「ユーリ?!」
 Mr.PEACEが振り向き、信じられないといった目でユーリを見上
げる。
「……言ったでしょう」
 ユーリはナイフを引き抜くと、今度は正面からMr.PEACEを刺し
た。
「『僕は貴方に忠誠を誓います。けれど、僕は貴方を決して許さない』と」
 低い声には、Mr.PEACEよりずっと深い怒りがこめられていた。
「貴方は僕の恩人で、イオの義兄です。だから尊敬していました。
 けれど、イオを自分の欲しいままに弄んだ事だけは、僕はどうしても許
せなかった!」
 そう言って、何度も、何度もMr.PEACEにナイフを振り下ろす。
 意外な行動に、誰も動けなかった。
「だめ……ユーリ、だめ!」
 自分の悲鳴で、絵麻は動く力を取り戻した。
 絵麻はMr.PEACEをかばうように割って入った。
 その絵麻ごと、ユーリはMr.PEACEを刺した。
 Mr.PEACEの胸をかばっていた左腕に、ぱっと赤い飛沫が散る。
「きゃああっ!」
 その悲鳴で、ユーリの中の狂気が消えた。彼は呆然と、返り血でどろど
ろになった自分のベストとスラックスを見つめていた。
 信也がユーリに剣を突きつけ、手にしていた凶器を取り上げる。
「絵麻!」
 Mr.PEACEの傍らに崩れ落ちた絵麻を、翔とリリィが支えた。
「リョウ、早く絵麻を治して!」
「わたしより、Mr.PEACEを……」
 絵麻は痛みにあえぎながら言った。
 リョウは、Mr.PEACEを治そうとした。手をかざしたとき、彼女
はMr.PEACEが既に事切れているのに気づいた。
 彼の目は開かれたまま、ただ、妻の安置されている隠し部屋を見ていた。
「……」
 リョウはMr.PEACEの瞼を閉じさせた。
 その時、空間が歪んだ。
「え……?」
 赤く流れた、Mr.PEACEと絵麻の命の断片。
 そこから手が突きだした。
「アハハ……ついにこの男が逝ったのね」
 高笑いと共に現れた、妖艶なる美女。
「パンドラ?!」
「どうしてここに」
「アタシは憎しみのあるところは感じられるの。この部屋には憎しみが渦
巻いている。ずっとずーっとたまっていたのねぇ」
「パンドラ様」
 いつの間にか、彼女の足元にアレクトとメガイラがひざまづいていた。
 2人は血星石を手にしていた。
 人の憎しみの血を吸い、力を増す石。
「……!」
 誰が止める間もなく、2人はその石を血だまりに落とした。
 闇の波動が、蒸気のように噴き上がる。
 パンドラがそれを浴びた。蒸気が消えた時、パンドラの体は、もう透き
通っていなかった。完全な実体がそこにあった。
「……復活」
 パンドラが赤い舌で、唇を舐める。
「嘘だろ……」
 力なく落ちた声は、誰のものだったのか。確認する間もなく、パンドラ
の哄笑が部屋を満たした。
「アハハハ……これで世界を滅ぼせる! 憎むべき世界を! 浄化される
べき理不尽な世界を!!」
「待って! お願い、待って!!」
 絵麻は叫んだ。
「恨みをぶつけちゃいけない! この世界で懸命に生きている人がいる。
その人達の邪魔をしちゃだめ!!」
「アンタは相変わらず綺麗ごとを言うのね、平和姫」
「お願い。このままじゃ永遠に繰り返すだけよ!
 わたしたち、つらかったけど。とてもつらかったけど、それを人にぶつ
けちゃいけないよ!!」
 絵麻の声に、パンドラは不愉快そうに柳眉を跳ね上げた。
「アンタはこんな世界を守りたいっていうのね。その世界が、アンタたち
に何をしてくれるかしら?」
「え……?」
 パンドラの視線の先に、全身を血で汚したユーリがいた。
 彼は、Mr.PEACEの執務机の通信回線をいじっていたが、通信が
つながったらしく、静かな声で言った。
「緊急連絡。PC全部隊に告ぐ。Mr.PEACEがPC本部調査課所属、
明宝翔に殺害されました。犯行はこの2人以下、PC本部第8寮住人、合
計10名が関わっている模様。至急、捕まえられたし。繰り返します、Mr.
PEACEがPC本部調査課所属、明宝翔に殺害……」
「ユーリっ!」
 信也が慌てて回線を切断する。
「なんで……」
「貴方だったらどうしましたか?」
 低い声が響く。
「大切な人を同じ目に遭わせられたら、貴方だったらどうしましたか?」
 ユーリもまた、壊れた瞳で微笑むのみだった。
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