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「……」
 ゆっくりとノイズが晴れる。
 気がつくと、全身に汗がにじんでいた。呼吸が浅く弾んでいる。
 パンドラは、自分と同じだ。
 たった1人に弄ばれて、誰にもわかってもらえず、理不尽な理由で殺さ
れた。
 同じどころではない。パンドラの方がもっと酷い……!
「どうした?」
 Mr.PEACEに声をかけられ、絵麻は反射的に叫んだ。
「戦うの、止めてください」
 肩におかれた手に、ぎゅっと力がこもる。
「話せばきっとわかってくれる。こんな事を続けちゃダメ! だって、あ
の人は、パンドラは悪くない!」
「『流れ』を見せられたな?」
「流れ……?」
「私も見ていた。見せられ続けた」
 突然の言葉に、絵麻は口をつぐんだ。
「そうだ。彼女は悪くない」
 ぞっとするような低い声が響く。
 絵麻はMr.PEACEの目の中を覗き、背筋が凍るのを感じた。
 彼は薄く笑っていた。
「Mr……?」
「悪いのはお前だよ」
 置かれた手が、絵麻の体に爪を立てる。
「痛っ」
「ガイアに内戦が続いているのは、全ての諸悪の根源は、『平和姫(ピーシーズ)』であ
るお前だ!」
「平和姫?」
 おとぎ話の、平和の守り手の名前。
「違う。わたしは深川絵麻で、平和姫なんかじゃ……」
「お前は『平和姫』だ」
 Mr.PEACEはきっぱりと言い切った。
「いや、少し違うな。
 絵麻、お前は平和姫を降ろす『器』だ。その役割をエマイユから受け継
いだ」
「エマイユ?」
 自分が何度か見た、幻影に出てくる少女。自分と同じ顔の少女。
「どうして、あなたがそれを知って……」
「流れに全てを見せられたのに、お前は何も知らないんだな」
 Mr.PEACEの口調には、今まで誰も聞いた事のない嘲りがあった。
「エマイユ=ウィスタリア。100年前のガイアを生きた、PC創設者の
養女。彼女は『平和姫の器』として、自らの命と引きかえに不和姫を殺す
ため生まれた」
「殺すために、生まれた?」
 自らの命を捨てるために、生まれた人間。
 それは、あまりに理不尽だ。
「そうだ。それなのに、彼女は死ななかった。自分の身可愛さに不和姫を
殺さず、恋人を犠牲にして別の平和な世界へと逃げた。そこで孫まで成し
た」
「別の、世界……孫?」
 声が掠れた。奇妙な確信が、絵麻に既に真実を告げている。
「だから、ガイアには未だ『不和姫』がいる。ガイアに平和は訪れない。
『平和姫』が生きながらえているから。
自分の仕事を果たさなかったから!」
 Mr.PEACEの声は激しい怒りを帯びていた。
「エマイユは老い、自分のした事を後悔しはじめた。しかし、一度役目を
放棄した自分にもう『平和姫』の力はない。彼女は自分の2人いる孫の片
方に、自分の力を移しはじめた」
 体が震えた。
 なぜ自分がここにいるのか。ガイアの人でも持ち得ない力を持っていた
のはなぜなのか。
 ずっと隠されていた禁断の箱が開く。
「エマイユは自分の力を孫娘に注ぎ、次第に弱った。弱りながら、彼女は
もう二度と自分と同じ事を繰り返させないために、常に孫娘の側にいて、
孫娘を愛するフリをして孫娘の行動と思考を制御した。全てから切り離さ
れるように。全てに絶望するように。いつでも言われるまま、命を捨てて
ガイアに呼ばれるように。ガイアでもう一度死ねるように」
「それって……」
「そうして力を注ぎ終えた彼女は弱って死んだ。孫娘は後追いすると考え
ていたようで、生き延びて姉娘に殺されることになるのは予想外だったよ
うだがな」
「ねえ、それって……それって!」
 絵麻の声は悲鳴に近かった。
「そう。諸悪の根源――エマイユは、お前の祖母、藤江舞由のことだ」
 Mr.PEACEは残酷に笑う。
「彼女はお前に全ての役割を押し付け、お前の死を願った! お前は彼
女の道具だ!」
「嘘だ」
 祖母の優しい笑顔が浮かぶ。
 あの笑顔は嘘だったの?
 お祖母ちゃんにとっても、わたしは道具だったの?
「嘘よ……お祖母ちゃんがそんなことするはずがないっ!」
 頭を抱え、耳をふさいでうずくまる。
 優しかった祖母が、自分を?
 祖母が死んだのは、自分のせい?
 これも幻だと思いたかった。目が覚めたらベッドにいて、翔が側にいる。
そんな現実を夢みた。
(翔……翔、助けて!)
 無性に、彼の優しい笑顔に会いたくなった。
 けれど、目の前にいたのは鬼のような形相のMr.PEACEで。彼は
絵麻に容赦のない現実を突き付けた。
「お前が生きているせいで、内戦は終わらない! ガイアが争いを続けて
いるのは、お前と祖母のせいだ! お前達のせいなんだ!」
 Mr.PEACEは絶叫した。
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