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 夕刻の、のどかな田園風景。収穫の穂を腕いっぱいに持っているのはパ
ンドラだ。
 いつかの夜にみた姿と同じ、簡素なデザインのワンピースの上から、穀
物の粒がついたエプロンをしていた。化粧気はまるでなく、アクセサリー
も一切身につけていなかった。表情もごく普通の、毎日が幸せな人間のも
のだった。
「パンドラ」
 誰かに呼ばれて、彼女は振り向いた。相手を認めた時、これ以上ないほ
ど幸せそうな笑顔が顔じゅうに広がる。
「エピメテウス!」
 パンドラは抱えていた穂を置くと、自分を呼んだ人物の方に走っていっ
た。
 そこにいたのは羊を連れた男性だった。パンドラより何歳か年上で。純
朴そうな雰囲気を持つ彼は、愛しい者を見る瞳で駆け寄ってきたパンドラ
の髪を撫ぜた。
「どうしたの? もう遅い時間よ?」
「この羊を届けに来たんだよ。せっかくだから、パンドラに会って行こう
と思って」
「夕ご飯を食べていって? ねえ、お養父さま、お養母さま、いいでしょ
う?」
 パンドラは畑で働いていた老夫婦に話しかけた。2人は笑顔で頷いてく
れた。
「行きましょう? 今日はわたしが作るの」
「本当? 楽しみだな」
 パンドラはエピメテウスと寄り添って夕暮れの道を歩いていく。
 そんな幸せな場面が、唐突に破れた。
 老夫婦の前に居丈高な貴族がいる。彼は耳障りな声で何かを叫んでいた。
「13世陛下が、この家の娘を愛妾として召し上げる事を決めた」と。
 老夫婦は怯えながらも、娘には結婚を決めた相手がいると反対する。し
かし、使いの貴族は耳障りな声を張り上げてののしった。
「北部の奴隷民が国王陛下の決定に逆らうのか」
「娘は捨て子だったと聞く。話を喜んで受けこそすれ、断るなどとんでも
ない」
「金が欲しいからそんなことを言っているんだな?」
 貴族は無造作に、金の詰まった皮袋を老夫婦の前に投げた。
 それでも、老夫婦は自分達の養い子を差し出すのを拒んだ。
 そうまでして拒んだ老夫婦に、貴族は残酷な選択肢を突き付けた。
「娘を差し出さなければ、この村を焼き滅ぼす」と。
 老夫婦は村の住人の命にもっとも重い責任を持つ村長夫婦だった。19年
前、村の隅に箱に入れられて捨てられていた赤子を、村の子として幸せに
すると引き取ったのもその責任感からだった。
 村人にも、養い子にも同じ重さの責任がある。それなのに、貴族はどち
らかを切り捨てろという非情極まりない選択をさせた。命の重さを知るも
のならこんな事はしないだろう。
 村長夫婦は、村の存続を選んだ。
 そこから先の光景を、絵麻は見た事があった。村人に追い立てられ、パ
ンドラは助けてくれなかった恋人の名前を呼びながら中央首都に連れて行
かれた。
 そして城に軟禁され、陵辱され。助けを求める声は誰にも届かなかった。
それでもパンドラは、恋人にだけ忠実だった。体を支配されても、心は決
して屈さなかった。
 自分の言うことを聞かないこの妾に、当時の暴君、ガイア13世は日に日
に嫌気がさしていた。彼は退屈していた。刺激を欲した彼は、パンドラを
火刑にしてその様子を見て楽しむ事を思いついた。あんなに欲しがった妾
だったのに。
 裏切られ、辱められ。まるでゴミのようにして殺される。生きながら焼
かれるという、残酷な方法で殺される。
 笑いながらつけられた火が、パンドラの服の裾を、短く刈られた髪を燃
え上がらせる。
 最期を迎える直前、パンドラは絶叫した。
「呪ってやる!」
 その声の切実な響きに、誰も気づかない。
「軽蔑してやる! 蔑んでやる! 恨んでやる!」
 この理不尽な世界を滅ぼしてやりたいという思いに、誰1人気づかない。
 パンドラの体が火の人形となり、最期の絶叫が響き、見る影もないほど
真っ黒になった抜け殻が崩れ落ちた時も、刑場に集った者たちはまだ笑っ
ていた。
「高みを望んだ傲慢な女が、天罰が下って処刑された」と。
 彼女はただ、人並みに幸せになりたかっただけなのに。
 堕ちた魂は流れ流れ、闇の底にたどり着く。
 そこで、パンドラは深い闇と出会った。闇は彼女に問いかけた。
『世界を恨んでいるか?』
 パンドラは頷く。
 生まれたばかりの自分を捨てた産みの親。育ての親と村人は保身のため
に自分を捨てた。信じていた恋人も同じだった。
 権力者は自分をまるで人形のように扱った。気分のままに辱め、飽きた
と言う理由で、刺激が欲しいというそれだけの理由で殺した。
 誰1人としてパンドラの気持ちをわかってくれる者はいなかった。刑場
に集まった人々は権力者の言うことを鵜呑みにし、パンドラを『国王の庇
護下で贅を尽くした悪女』として罵倒した。同じように国王の理不尽にあ
えいでいると思っていたのに。
 こんな理不尽が許されるのだろうか?
 一部の力ある者の身勝手で動かされる世界はいらない。パンドラは強く
思った。
 闇は彼女に重ねて問いかける。
『世界を滅ぼす力が欲しくないか?』
 パンドラは頷いた。頷かないはずがなかった。
 そして、闇はパンドラに力を与える。
 注がれた強大な力に、パンドラの表情が変わっていく。
 彼女が持っていた清らかな美しさは消え、力持つものの傲慢さがそれに
とって変わる。
 そこにいたのは絵麻がよく知る『不和姫(ディスコード)』だった。
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