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 絵麻はその日、リリィと一緒に孤児院まで出かける約束をしていた。
 声が出ない間、いろいろと世話になったシスターに、きちんと話をした
いのだという。リョウは黙っておいていいのではないかと言ったが、リリ
ィは首を振った。
「全てを話すことで理解が得られるなんて、そんな甘い事は思ってないわ。
けど、自分にできる誠意はこのくらいしかないんじゃないかなって」
 そう言ってリリィは笑った。
 ハートの形にぬいたクッキーを2人でたくさん焼いた。それを持って、
絵麻とリリィは孤児院を訪ねた。
「絵麻おねえちゃん、リリィおねえちゃん!!」
 中から2人が来るのが見えたのか、門をくぐった時にフォルテが建物の
中から飛び出してきた。
 栗色の髪を2つ結びにして、左目に包帯を巻きつけた女の子だ。
「フォルテ!」
 リリィが名前を呼ぶ。
 フォルテは一瞬びっくりしたようだったが、すぐ笑顔になってリリィの
広げた腕の中に飛び込んだ。
「声、治ったんだね!」
「ええ」
「いつかフォルテの目も治るかなあ?」
「……」
 絵麻は何も言えず、黙ってしまう。
 フォルテの左目は両親を失った時に抉られた。今はケロイドの傷痕にな
り、それを隠すためにシスターとメアリーが布をあて、包帯で巻いている。
 けれどリリィは、優しい笑顔でフォルテの包帯をそっと撫ぜた。
「そうだね。けど、私も長い時間がかかったから、フォルテもかかるかも
しれないね」
「ほんと?」
「本当だよ。フォルテは治ったら何をしたい?」
「えっとねえ、転ばないでどこまでも走る!」
 リリィとフォルテは笑いあっていた。
「いらっしゃい」
 その時足音がして、奥から保母見習いであるメアリーがひょこっと顔を
覗かせた。
 小麦色のおかっぱ髪にカチューシャをさした、12歳の女の子である。
「リリィ! 声、出るようになったんだって?」
「ええ」
 リリィはフォルテを抱いたままメアリーに頷いた。
「凄い美声だって聞いたけど、ちょこっと喋るだけでも華やかだね」
 メアリーがきらきら目を輝かせる。
「メアリー! 洗濯物の続きこっちに持ってきてくれる?」
「あ、はーい」
 建物の裏から聞こえた声に、メアリーは抱えていた洗濯物の籠を持ち直
すと裏庭に走った。
「あ、わたし手伝うよ」
 絵麻はメアリーに手を貸して、一緒に裏庭に行った。
 そこでは1人の女性が朝のひざしの中で洗濯物を干していた。
 長い髪、足首まで隠すスカートに、子供がまとわりついて……。
 黒髪と白いサンドレスを着た、自分と瓜二つの顔の少女がそこにいる。
「……え?」
 絵麻は目をこすった。
 けれど、今見えたものは間違いで。
 洗濯物を干していたのは亜麻色の髪の女性だった。
「ピアノ。ピアニシモ。そこにいると怪我をしちゃいますよ?」
「はーい、ママ」
 足元でスカートにじゃれついていた、そっくりな双子の女の子がぱたぱ
たと庭にかけていく。
 女性は双子たちを暖かい目で見つめていたのだが、その琥珀色の目は奥
底に悲しみの色を宿していた。
「ミオ姉さん、続き持ってきたよ」
「お久しぶりです、ミオさん」
 絵麻は亜麻色の髪の女性――ミオに頭を下げた。
「久しぶり」
 ミオが儚い笑顔を見せる。
 メアリーの前に、妹のイオと共にこの孤児院を手伝っていた女性だ。結
婚して南部で子供たちと暮らしていたのだが、最近またこちらで孤児院を
手伝っている。
 ピアノとピアニシモが娘で、子供はもう1人、双子より年かさのフーガ
という男の子がいる。
「今日はフーガくんは?」
「あの子は学校よ」
「そっか。学校の時間なんだ」
 絵麻は籠の上に乗っていたシーツを手に取ると、パンと勢いよくはたい
て、ひびいた快音に笑顔をみせた。
「そういえば、絵麻知ってる?」
 同じようにシーツを干しながら、メアリーが絵麻に視線を向ける。
「何を?」
「翔のこと調べてる女の子がいるって話」
「え?」
 ぱたりと、絵麻の手が止まる。
「凄い美人だってユーリが」
 ユーリ、という名前に、ミオの表情が切なげに曇った。
 けれど、絵麻もメアリーもこの時は気づかなくて。
「絵麻、何か知ってる?」
 メアリーは目をきらきらさせて絵麻に詰め寄った。
 教会併設の孤児院の保母見習いだというのに、メアリーはゴシップが大
好きな女の子である。この辺りは流石12歳といったところか。
「え、何でわたしが?」
「絵麻って翔とな・か・よ・し♪ なんでしょ?」
 にふふと、メアリーが笑う。
「な、な、それ……どっから」
 絵麻は顔を赤くして半歩後さずった。
「シエルとか哉人とか唯美とかアテネとかリョウとか……」
 わざとらしく、指折り数えるメアリー。
「もたもたしてると翔をとられちゃうよ? 翔っていいとこの坊ちゃんな
んだから、玉の輿逃しちゃうよ?」
「別に、玉の輿に乗りたいわけじゃないもん!」
「翔が駆け出しビンボー学者でもいいってことか。愛だね、愛♪」
「メアリー!!」
 思わずカラになった洗濯籠を振り上げた絵麻を、慌ててミオがとめた。
「青春ね」
 ミオの笑い声だけは楽しそうだった。
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