にゃんこの日 後編
222(にゃんこの日) 後編
電話で叩き起こされたサリクスが法律事務所に駆けつけた頃には、保護された猫たちは水を与えられ落ち着いたところだった。
「……で、どういうこと?」
メリールウたちの行方不明のはずなのに、なぜかウッドは平然と書類を片づけている。そしてなぜか、机には赤毛の猫と、ぬいぐるみのようにかちこちになっている黒猫がいる。赤毛猫はサリクスを見つけると、嬉しそうに飛びついてきた。
「?」
「そいつメリールウだから」
ウッドの口ぶりは「今日は雨になるから」と言っているのとまったく同じだった。
「は?」
「食堂には『優桜が拾った捨て猫でアレルギー反応が出て急遽病院に行った』ってなってるから」
「……なあ、何の冗談?」
自分を叩き起こしたのはこの際置いておく。が、人が二人行方しれずになっているのだ。
いらいらを隠さないサリクスの肩に、赤毛猫が顔を押し当てた。イチゴとレモンの匂いがする。この組み合わせを、サリクスは知っている。
メリールウはイチゴの匂いのシャンプーを使っている。彼女の最近のお気に入りの香水は、柑橘系のものではなかっただろうか。
「ルー?」
赤毛猫はにゃーにゃー鳴いた。
「……じゃ、そっちは優桜?」
サリクスは机の上で縮こまっている黒猫を指した。黒猫は赤毛猫より小さくて、細くて、上質そうな黒い毛並みをしている。
確かに優桜に見える。
「どういうこと?」
ずりおちそうな赤毛猫を抱え直し、サリクスはウッドに聞いた。
「推測なんだけどな」
ウッドは太く短い息を吐いた。
「昨日メリールウ酔ってたんだよな?」
サリクスは頷いた。だから部屋まで送ったのだ。
「オレが一度怒ったから、メリールウは二日酔いに気をつけてる。あいつ、酔って体調が悪いと、放浪者の食事を作るんだ」
「放浪者の食事?」
「おじいさんだかおばあさんに教わった滋養食」
ウッドは頭を抱えた。
「スパイスを何種類か混ぜ合わせて、独自のエッセンスを加えるんだと。でも、それを失敗するとおかしなことになるんだって……」
「……その『おかしなこと』がコレ?」
おかしすぎるだろ、と言ったサリクスの意見にウッドも同意のようだった。
「信じられるかよ」
「メリールウの台所にスパイス使った跡がある」
ウッドは台本でも読むように言った。
「匂いも残ってる。ダイニングは食事の途中。椅子に優桜の服がそのまま。きっと、滋養食だから優桜にも食べさせたんだろ。で、ふたりのかわりにふたりそのまんまの猫が二匹」
サリクスは改めて赤毛猫を見た。
赤毛で体格が大きい。毛並みがあまりよくない。でもメリールウと同じ匂いがして、よくよく見ればこの猫の目はイチゴの赤だった。
「ルーだな」
そうだよ、と言うように赤毛猫が鳴いた。サリクスは赤毛猫を抱きしめた。
「えらく可愛くなっちまって……いや元から可愛いのは知ってるんだけどさ」
サリクスがそう言って苦笑いすると、赤毛猫は喉を鳴らした。
「元に戻れんの?」
「食べ物だから一日経って消化したら戻るんじゃ?」
「……んなお気楽でいいの?」
「駄目ならまた明日考えるさ」
ウッドはそういうと、印をつけ終わった書類をファイルに閉じた。
「こっちは探してる間仕事の手が止まってたんだから。取り戻さんと」
「マジメだねえ」
サリクスは嘆息すると、赤毛猫の脚を取って遊び始めた。
「肉球もあるよ。うわーぷにぷにだ」
そうしてサリクスが事務所の片隅で主に赤毛猫と遊んでいて、黒子猫はそちらとウッドの席を行ったりきたりしていたが、仕事中のウッドからは綺麗に黙殺されていた。他の従業員がいたら迷惑はなはだしい光景だったと思われたが、幸運だったのか他の従業員の姿はこの日の午後、事務所になかった。あとでわかったことだがひとりは休み、ひとりは外回り、経理の男性は給料計算で食堂に設けられた専用の部屋にこもりっきりだったそうだ。なので夕方になるまで誰からも文句は出なかった。
ブラインド越しに夕日のオレンジが感じられるようになった頃、サリクスが名残おしげに赤毛猫から手を離した。
「俺そろそろ出なきゃ」
にーと悲しげに赤毛猫が鳴き、サリクスの脚に手をかける。サリクスはちょっと迷ったようだったが、もう一度赤毛猫を抱き上げた。
「あーもーカワイイなルーは。なあウッド、ルー俺にくれない? 大事に大事にするから」
「駄目」
ウッドは自分の席から立ち上がると、サリクスの手から赤毛猫を取り上げた。
「えー? お前構ってやってなかったじゃん」
「今から仕事だろ。それに、外泊が多いだろうが。その間放りっぱなしか? お前、中身がメリールウの猫を冷たい家に置いて女遊びなんかできんの?」
その言葉は容赦なくサリクスの急所を突いていたらしい。不服そうではあったが、サリクスは反論しなかった。
赤毛猫がもう一度、細く鳴いた。いつの間にか黒子猫もウッドの足下まで来ていた。
「どっちみち今夜で元に戻るさ」
ウッドはそう言って赤毛猫を床に下ろした。赤毛猫がジャンプしてサリクスに飛びつこうとする。彼は応えて赤毛猫を抱きしめた。
「スーツ、毛だらけになったなあ。ロッカーにブラシあったっけか」
申し訳なさそうにしゅんとした赤毛猫の頭をサリクスは撫でた。赤毛猫を下ろしてから、サリクスは床にいた黒子猫も抱き上げ、同じように抱き寄せた。
「ルー。ユーサも。ウッドに何かされたら店まで来るんだぞ。助けてやるから」
「猫に何をするんだよ」
「いやー、変態のカテゴリって俺たち常人の斜め上いくケースが多々あるから」
「お前な」
サリクスは反撃を受ける前に、猫たちに手を振って事務所から出ていった。
*****
しばらくすると、食堂の女性店員がやってきた。
「事務所から注文されたぶん持ってきましたー」
優桜とメリールウの顔見知りの店員だった。くるくるの金髪で、獅子っ鼻で、そばかすが目立つ。彼女は特にそばかすを気にしていて、あらゆるスキンケアと美顔法を試す努力家でもあった。肝心のそばかすには一向に効き目がないのだが、食堂店員の中には彼女の美顔法によりつるつるの肌を手に入れた人が存在する。
「ありがとう。もらうよ」
ウッドが出ていって、トレイを受け取る。一番人気の夜セットだったが、なぜか皿が一枚多く、牛乳パックがついていた。
「この子たちが優桜が拾った猫ちゃんですか?」
無断欠勤という扱いになったため、知れ渡ってしまったらしい。女性はしゃがみこむと赤毛猫と黒子猫を交互に撫でた。
「ふふ、なんだかメリールウと優桜に似てる。ペットって飼い主に似るのかしら?」
「確かにオレも似てるなと思った。あ、触ったんなら手を洗って仕事に戻ってくれよ。食中毒、なんてシャレにならないし」
わかりました、と女性は素直に返事をして、手を洗うならもう一度と、代わる代わるに猫たちを抱き上げた。どうやら猫好きのようだった。
「かわいい。でもこの子たち、飼っておけないんですよね。どうするんですか?」
「飼い主を探してるよ。あいつらにも探させる。ジェーンはどこか心当たりある? 猫好きっぽいし」
女性――ジェーンはどこか残念そうに微笑んだ。
「うちはもう先住の子がいるんで、難しいですかね。友達に聞いてみます」
「頼むよ」
牛乳の代金は事務所につけてますからと言って、ジェーンは猫たちに手を振ると食堂に帰っていった。ウッドは余分についていた皿に牛乳を注ぐと、床に置いた。その中にちぎったパンをふたつ浮かべる。
「仲良く食べろよ。足りなかったらまた出してやるから」
赤毛猫と黒子猫は皿の反対側から食べ始め、ウッドはトレイを持って自分の席に戻った。片手で食事を口に運びながら、片手で電卓を叩き、数字を控えていく。
食事が終わった猫たちはなごなごとじゃれていたのだが、ウッドが帰宅しないのを不思議に思ったのか、何かききたそうな顔でウッドのところまでやってきた。
「帰らないのかって?」
ウッドは椅子を回して猫二匹に向き直った。
「お前等ほうって帰れないだろ。でも、連れて帰ったらそっちのほうが危ないしな。猫二匹置けるほどうちは片づいてないんだ。お前らが遊び回ったらつぶれちまうぞ」
ウッドは赤毛猫のほうを見ながら言った。
「だから、今日はここで泊まり。もう少ししたら切り上げるからふたりで遊んでて」
そう言うとウッドは椅子を戻した。赤毛猫は納得したようだったが、黒子猫はそうではなかったようで、に、と小さく鳴くと机に飛び乗ってきた。
「? 優桜?」
黒子猫はまだ広げられたままの仕事の書類を見ていた。
「ああ。大丈夫だよ」
ウッドはそれだけで察したようだった。
「別にお前等のせいだけで遅れてるわけじゃないし、今日やっちまえば明日から楽になるし、どっちにしろ帰れなくても別に構わないんだ」
彼は再び仕事を始め、することがなくなった黒子猫は赤毛猫のところに戻った。ウッドの机に積んでいた書類が消えた頃には、二匹はソファの足下で身を寄せ合って眠っていた。その様子は赤と黒が混ざったあたたかそうな毛玉に見えた。
ウッドは小さく笑うと、食器を出しに廊下に出た。帰り際に従業員用のロッカーから毛布を出してくると、電灯を消し、そのままソファに転がると、ウッドは自分の上に毛布を広げた。
*****
翌朝、ウッドは二匹の猫をつかまえると、四階のメリールウのアパートまで抱いていった。スペアキーで扉を開け、二匹を中にいれる。
「じゃあな」
扉を閉めようとしたウッドに、二匹の猫がタックルした。抗議のにゃーにゃー声に、ウッドはわずらわしそうに顔を歪めた。
「オレがいないほうがいいと思うぞ」
ウッドはそれだけいうと、さっさとドアを閉めた。少しにゃんにゃん言っていたが、それは程なく聞こえなくなり、続いて優桜の悲鳴が聞こえてきた。それだけ確認してしまえば充分だったので、ウッドは部屋には入らず事務所に戻った。
その日の昼休み、優桜とメリールウが事務所に来た。
「びっくりしたよー。気がついたら裸で玄関にいたんだもん」
屈託なく笑うメリールウの隣で、優桜が心底恥ずかしそうに顔をうつむけている。生真面目な彼女が明るい中で、そんな状態で目を覚ましたんだとすれば、同情できる事態ではある。
「そんなオイシイ展開になるんだったら強引に連れて帰るんだったよな。あーもったいないことした」
そう言ったサリクスを優桜は涙目でにらんだ。
メリールウに聞いてみると、やっぱり、放浪者の食事を作ったらしい。少しばかり酔いすぎてしまったのでスパイスを多めにしたのだそうだ。滋養食なので優桜にも食べさせたのだが、食べて少ししたら目眩がした。優桜がこれおかしくない? と言ったところまでで記憶は今朝に飛んでいる、と彼女は言った。
「あたし、ホントにねこになってたの? ぜーんぜん覚えてないよ」
「ルー猫めっちゃくちゃかわいかったぜ? にーって鳴いて擦り寄ってきてくれて」
メリールウは快活に笑った。
「一度見てみたいなあ」
「あたしは絶対やだ」
「優桜も、猫になってた時のことは覚えてないのか?」
ウッドの問いかけに、優桜は頷いた。
「全然覚えてないよ。覚えてなくてよかったのかも」
優桜が首を振る。ポニーテールが揺れる様子は、黒子猫のしっぽを思い出させた。
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