にゃんこの日 前編

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222(にゃんこの日) 前編

 優桜とメリールウが働いている食堂はウッドが経営している。彼女らの住まうアパートの持ち主でもある。さらに言うと、ウッドは優桜とメリールウの身元引き受け人になっている。
 という訳で、優桜とメリールウに何か異常があれば、確実にウッドに連絡が来る仕組みになっているのだ。
「オーナー、今日メリールウと優桜が無断欠勤してるんですが」
 食堂のスタッフにそう報告されたのは昼過ぎだった。
「何?」
 ウッドは書類から顔を上げると、眉を寄せた。聞いてみるとメリールウからも優桜からも連絡がなく、近いからとアパートのドアを叩いても出てこない。
 奔放で子供っぽいメリールウだが、欠勤するときは連絡を欠かさない。一度「二日酔いで休む」と嘘偽りのない連絡をされたときには流石に怒っておいたが、そこから学んだようで以降、おそらくそんな状況でも体調不良という説明になった。しかしそれすらも年に1回あるかないかの稀なことだ。メリールウは本当に重要なことについては、一度教えさえすればしっかり守る。
 優桜についてはまだ知らないが、どう考えても超がつきそうな生真面目の彼女が連絡を怠るとは思えない。有線通信の使い方だってちゃんと知っているはずだった。
「でも、中から音がするんです」
 従業員は困ったように言った。
「音?」
「人間のたてる音じゃないんですよ」
 どんな反応がふさわしいかに黙考したウッドの態度を別に解釈したのか、従業員はすみませんと謝り言葉を足した。
「犬か猫くらいの、こう、小さい生き物が部屋の中を走る音というか」
「うちは動物禁止なんだが」
 ウッドはとりあえずそう言ってみた。
「こっそり飼ってそうですよあの子」
 しかし、従業員にそう返されると、反論の材料がなかった。ペットショップで高価な血統書付を買うとは思わないが、街角に捨てられた野良犬や野良猫を拾ってくる可能性は大いにある。四角四面な優桜だって、それなら反対しないだろう。
「それじゃ、アレか。本人達はどっか出かけてて、こっそり飼ってる犬だか猫だかだけが部屋にいる、と」
 従業員ははいと頷いた。
「考えにくいがありえんこともないよな。ありがとう。どこにいるか探してみるよ」
 いくら身元引受人だからといって十八歳と十六歳の女性の交友範囲を把握しておくほど、ウッドは無粋でも真面目でもない。通信機の前で少し考えて、一番アタリをひく確率の高そうな番号にかけることにした。
 呼び出しが鳴ってもなかなか出ない。さすがに切ろうかと考えた頃に漸く相手が出た。
「はい、ふぁあ……じゃなくってフォートです」
「寝てたのかよ。今何時だと思ってんだ」
「いや、昼の12時って俺にとっては真夜中」
 先方――サリクスは夜の仕事だから、その言い分は一応筋が通っているのだが。
「で、何だよ人のこと叩き起こして」
「メリールウがどこにいるか知らないか? 優桜でもいいや」
「ルーとユーサ?」
 相手の声がいくぶんはっきりする。女で態度が変わるとはいい根性だ。
「仕事に出てないの?」
「メリールウも優桜も出てきてないんで、報告が上がって今探してるとこだ。お前の隣で寝てる、ってオチはないよな?」
「ふざけるなよ。人二人いなくなってんだろ?」
 いくらかむっとしたように声が低くなる。
「昨夜はダンスナイトだったから、確かにルーと一緒だった」
 覆い被せるようにサリクスが続けた。
「ルーの奴、ちょっと飲み過ぎたみたいで、足下があぶなっかしかったから家まで送っていったんだ。玄関先でユーサに渡したから、メリールウもユーサもその時点では家にいた」
「じゃ、部屋にいると考えていいわけか」
「でも出てこないんだろ?」
「これから大家権限で鍵開けてくるよ」

#####

 ウッドはスペアキーを手に四階のアパートまで階段を昇った。メリールウの部屋は一番奥にある。
 ドアまで行くと、ウッドは念のためノックし呼びかけた。
「メリールウ? 優桜?」
 返事はなかったが、従業員の話通り、中から軽い物音がしていた。確かに人間の物ではない。幼児よりもっと軽い。
 注意して耳をそばだてると、金属のドアを引っかくような音もした。
「やっぱり……か」
 ウッドは観念したように目を閉じてから、スペアキーを使ってドアを開けた。
 真っ先に気づいたのは強いスパイスの匂いがしていたことだった。どこかで知っているような、全く知らないもののような。何だったかと考えようとしたところで、ウッドは足に何かが当たっていることに気づいた。
 見下ろすと、赤毛の大きな猫がいた。その猫はウッドと目が合うと、にゃあんと鳴いて飛びついてきた。イチゴとレモンの匂いがする。
「ちょっと静かにしてくれ」
 にゃごにゃご鳴く猫に、煩わしげに眉を寄せてそう言えば、まるでわかっているようにぴたりと鳴きやんだ。
 片腕で大きな猫を抱いたまま、ウッドは室内を物色した。アパートは、入ってすぐが台所になっていて、奥にロフト付の居室があるのだが、今は扉が中途半端に閉まっていた。猫なら通れるくらいの幅で開いている。
 コンロに使用済のフライパンが乗っている。古びた袋がいくつか。スパイスの匂いはここからきているようだ。ダイニングテーブルには皿とコップが二人分出ていて、どちらのカップにも中途半端に牛乳が残り、手前の皿はカラだったが奥の皿には野菜炒めが残っていた。
「なるほどねえ……」
 奥の椅子の周囲に、優桜がいつも着ているセーラー服の制服がまとまって落ちていた。それを漁るだけの度量はさすがにない。
「いるんだろ? 優桜」
 セーラー服の襟の部分が不自然に盛り上がっていることだけ確認して、ウッドは目をそらした。
「出てこないと置いていくぞ。飢え死にしてもしらないからな」
 ウッドに抱かれていた赤毛猫が、呼ぶように一声鳴いた。少しして、制服の山の中から、一匹の猫が出てきた。黒くて細身。まだ子猫の域を脱しきってないように見えた。
「おいで、優桜」
 ウッドが猫を抱いていない方の腕を伸ばしてやると、黒子猫は泣きそうな顔で飛びついてきた。
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