眠り姫 3
わたしはどこにいるの?
ここは真っ暗で、自分がどこにいるのかさえもわからない。
戻りたい場所があるの。
だけど、ここは真っ暗で、どっちに行けばいいのかわからない。
「もう2週間……か」
リリィは言いながら、第8寮の居間にかけられたカレンダーに鉛筆で×印を書き込んだ。
絵麻が眠ったままになってから、2週間が経過している。
一同は第8寮に戻ってきていた。
中枢を倒したことにより、指揮系統を失った武装集団は統制を乱し、各地で平和部隊に掃討されていた。今も北部の方で大規模な掃討作戦が展開されていて、ラジオが戦局を流している。
PCは総帥を失ったばかりという痛手に加えて、この掃討作戦を成功させるという一大事を抱え込んでいた。ユーリ以下主だったものはみなそちらに忙殺され、NONETを追うことができなくなっていた。
その隙間に、哉人が誤情報を流した。PC総帥の殺害犯はPCの職員ではなく、武装集団団員である。実行犯は掃討作戦により死亡した、と。
一介のPC職員が総帥を殺害したというものより、こちらの方がはるかに説得力があった。加えて、先に発表されたものは武装集団が攻撃声明を出した直後で、情報が乱れていたというこじつけもできた。これが有利に運んだ。
街に出ればまだ奇異の目で見られることもあったが、第8寮に篭ってしまえば気にならなかった。眠ったままの絵麻と、怪我をした唯美を安静にしておける場所を確保しておく必要があった。
「ねえ、本当に眠っているだけなの?」
思わず問いかけたリリィに、リョウは難しい顔で頷いた。
「呼吸も脈拍も正常なの。怪我ならヒールに反応するだろうし、病気でも治せないって感じがするからわかるんだけど、病気があるわけでもない」
「ようするに寝てるだけなんだろ。そんな心配することもないんじゃ」
哉人が端末を操作しながら言う。情報に誤差が現れないようにと、哉人はほとんど一日端末に向かって情報を確認していた。
「だったらいいんだけど」
リリィに借りた毛糸玉で子猫と遊んでいたアテネが顔をあげる。
「だったら?」
「その……信也と話してたんだけど」
「なんの話を」
「翔が第二のMr.PEACEになるんじゃないかって話だよ」
信也はくわえていた煙草をテーブルに押し付けて火を消した。
Mr.PEACEは妻、美音の遺体を総帥の執務室の隠し部屋に安置していた。絵麻が平和姫を呼び、世界が平和になれば彼女が帰ってくると信じて。
翔もまた、絵麻を待っている。寝食を惜しんで眠ったままの絵麻に付き添、
彼女がもう一度目を開けてくれることを信じて待ち続けている。
「絵麻が眠ったままなんだったらそうなるんじゃないの?」
「そうなんだよ」
誰も翔を止められない。自分達だって、絵麻が帰ってくると思っているの。
待っているのだ。
「でも、いつまでもこうしてるわけにはいかないだろう。情報が落ち着くまではってことでここにいるけど、俺たちだって次の生活考えていかねえと」
NONETがなければ、ここに留まる理由もない。
幸い、皆NONETとは違う生計の道を持っている。ここで奇異の目にさらされて過ごすよりは、別の土地でやり直したほうがいいだろう。世界は今音を立てて、内戦のない世界へと変わっているのだから。
今をおいて好機は他にない。皆、戦いとは無縁の生活ができる。
絵麻が目を覚ましてくれさえすればいいのだ。
けれど、絵麻は眠ったままで、もう2週間も経ってしまった。
「絵麻ちゃん、早く起きないかなあ」
「何寝坊してんのよ。自分は部屋まで叩き起こしにくるくせに」
唯美は体に包帯を巻いていたが、気の強さはすっかり元に戻っていた。
「アテネ、絵麻ちゃんと一緒にクッキー作る約束したのに」
「クッキー食べたいな」
空っぽになった缶に、その場の全員の視線が集中した。
それがため息にかわるまで、時間はかからなかった。
その日も、翔は絵麻の側についていた。
膝の上に本を乗せていたが、読んではいなかった。絵麻に話しかけては口をつぐみ、次は応えてくれるのではないかと思ってまた話しかける。その繰り返しだ。
信也とリョウが、自分達のことを心配しているのはわかっている。
でも待ち続けていたい。だって、こんなにも暖かいのだ。何かきっかけさえあればすぐに目を覚ましそうではないか。
絵麻がいなくなるなんて考えられない。考えない。
「翔のことが大好き」
そう言って笑ってくれた。あれで最後だなんて思えない。
まだ、僕も大好きだと伝えていないのだ。
「絵麻」
最近眠っていないせいか、体がだるい。瞼が重くなってきた。
「絵麻……」
手から本が滑り落ちる。床に落ちる前に、翔は眠りこんでいた。
「絵麻ちゃん、あなたはどこにいきたい?」
「わたしは――」
次の言葉を紡ぐのに、ためらいは全くなかった。
「みんなのところに帰りたい。翔のところに、帰りたい」
孫娘のまっすぐな言葉に、舞由は微笑んだ。
「いきなさい。
生きなさい、絵麻」
わたしはいくの。
みんなのところに、翔のところに帰るの。あの場所で幸せになるのよ。
今度こそ、愛されて幸せに――。
目を開ける。そこは見慣れた自分の部屋だった。
ベッドの傍らに椅子が寄せられていて、そこに翔が座っている。彼はひどく疲れたような、悲しげな顔をしていた。
(翔)
声を出そうとしたが、喉がひきつったようになって音にならなかった。
どうしたんだろう。何で、こんなに喉が渇いているんだろう。
「翔」
弱々しかったが、二度目の呼びかけはなんとか声になった。
翔が自分の方に顔をめぐらせる。信じられないといった表情に変わる。
翔、そんな顔しないで。
わたし、ここにいるよ。あなたのそばにいるよ。
翔がみるみる涙目になる。泣かないでと言葉をつごうとした次の瞬間、広い腕の中に抱きしめられていた。
一瞬、どきっとして体が固まる。そのあとで、自分を包んでくれるぬくもりに、戻ってきたんだと実感した。
またここに戻ってこれたんだ。
触れられるほど近くに、翔の笑顔がある。
引き寄せられるまま、口づけようとした時だった。
ぱちりと、拍手の音がした。
「はい、とりあえずそこまで」
ばっと体を離し、音のしたドアの方を見る。頬を桜色に染めたリリィがそこにいた。
「それ以上先に進まれたら、私達いつまで経っても絵麻に会えないじゃない」
「リリィ!」
「目が覚めた? 眠り姫さん」
「眠り姫?」
「絵麻ちゃん!!」
紺色の弾丸のような勢いで、アテネが飛び込んできた。絵麻は受け止めきれずにベッドに倒れる。それでもアテネは勢いを緩めようとはしなかった。
「絵麻ちゃん! 絵麻ちゃん!!」
「アテネ……わたし起きたいんだけど」
「はいはい、そこまでにしとけ」
シエルが妹の襟首をつかんで引き起こす。
「絵麻、やっと目が覚めたの? 寝坊のしすぎ」
側に来ていた唯美が冷めた声で言う。
「ごめんなさい……」
「唯美姉さんだってずっと待ってたのに」
「封隼!」
横にいた封隼に言われ、唯美は頬を染めて腕を振り上げた。その光景を哉人が腕組みして眺めている。
「確かにちょっと起きるのが遅かったわね」
「ったく、心配させてくれるよ」
「リョウ。信也」
2人は心底ほっとしたような顔をしていた。
「どう? どこか具合が悪いとこある?」
「喉渇いた……」
リリィが水差しから水をついで、絵麻に渡してくれた。
その水を飲んだ後で、ふいに涙がこみ上げた。
「わたし、帰ってきたんだね」
「そうだね」
翔が短く言う。そのあとで、彼は誰にも気づかれずに素早く、絵麻に口づけた。
「――!」
「大好きだよ」
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