「絵麻ちゃーん」 夕食の後、アテネはこの前拾ってきた仔猫を抱いて絵麻の部屋のドアを叩 いた。 さっき、仔猫用のご飯のある場所を聞きそびれてしまったのである。 アテネは絵麻の部屋のドアをノックしたのだが、何度叩いても返事はな かった。 「?」 ドアノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。 「絵麻ちゃん、入るよ?」 中に入ってみるが、部屋はもぬけのからだった。 「絵麻ちゃん?」 他の誰かのところにいるのだろうか。 廊下に出た時、ちょうど兄のシエルが自分の部屋に入っていくのが見え た。 「お兄ちゃーん」 ぶんぶんと手を振って気づかせる。 「アテネ、どうした?」 腕が通っていない右袖にじゃれついてくる仔猫を何とか避けようとしな がら、シエルが妹に話しかける。 「絵麻ちゃんを知らない?」 「知らないけど、絵麻がどうかしたのか?」 「部屋にいなかったの」 「絵麻がいないって?」 ちょうど階段をあがってきた翔が、その話を聞きつけた。 「アテネ、それ本当?!」 「うん」 アテネは頷いた。 「今部屋に行ったら、いなくて……」 それを聞いた瞬間、翔は弾かれたような勢いで自分の部屋にとって返し た。 「翔さん?」 彼は机の上のメモを見つけると血相を変えて部屋の引き出しの1つをあ け、天井を仰いで目を閉じた。 「やられた……」 「何が?」 翔はメモ帳をシエルとアテネに渡した。 「『ごめんなさい。どうしても信じられないから、リリィに直接聞いてき ます。絵麻』って……えええっ?!」 「……アイツは全く……」 「とにかく、行かなきゃ!」 慌てて全員を集めて事態を説明し、唯美の瞬間移動で飛んだのはその10 分後だった。 着いた場所は、天蓋つきのベッドが置かれた広い部屋。 「え……?」 天蓋つきベッドの前に、絵麻とリリィが折り重なるようにして倒れてい た。 下に赤く広がっているのは……血だまり? 2人とも、怪我をして? 「絵麻! リリィ!」 叫んで飛び出そうとしたのだが。 「動かないで!」 リョウが翔の手をつかんで止めた。 「リョウ、何で?!」 「男は動かないで。唯美、アテネ、一緒に来て」 リョウはつかんでいた翔の手を信也に預けた。 「何でだよ!!」 翔はほどこうともがいたのだが、信也は離してくれなかった。 「信也、離して」 「お前は行くな」 「何で?!」 「わかってやれよ……」 信也は顔を背けている。 「絵麻、リリィ、しっかりして!」 リョウは倒れている2人に近づき、かわるがわるに診察した。 リリィはいたましい暴力の跡が体に刻まれていたが、命に別状はなかっ た。 けれど、絵麻の方は呼吸をしていなかった。 「リョウさん、絵麻ちゃんが……!」 「アテネ、心臓マッサージ! あたしが人工呼吸する。唯美はリリィに何 か着せてあげて」 リョウは指示を出しながら、持ってきた応急手当のキットから人工呼吸 用の器具を出した。 「心臓マッサージって……」 「リリィは無事なんだけど、絵麻、息をしてないの」 呆然とつぶやいた翔の声に、唯美が状況を説明してやる。 「! 絵麻!!」 それを聞いた途端、翔は走り出そうとして信也に阻まれた。 「行くなって言っただろう!」 「けど、絵麻が!!」 「お前がいたところでどうにもならない!」 抗い続ける翔を押さえ込んで、信也が言う。 「絵麻……絵麻!」 翔は必死にもがいて、ぼやけて霞む視界の先に倒れる少女に手を伸ばし た。 いつも側にいてくれた。自分の肩より下の位置から、澄み切った茶色の 瞳で見上げて、笑ってくれた。 彼女がいなくなるなんて考えられなかった。 「絵麻あっ!!」