「うわー、すっごいご馳走!」 仕事から帰ってきたアテネ=アルパインが、テーブルの上の料理にあどけな さの残る青い瞳をきらきらさせる。 「お祝いだから、今日はちょっとだけ贅沢」 エプロンを外しながら、絵麻が笑う。 大陸中央では手に入りにくい、魚貝を使ったパエリア。大根とにんじんのサ ラダと、オニオンスライスのコンソメスープ。 「リョウさんと信也さん、帰ってきたんだもんね」 アテネもにこにこと嬉しそうだ。 「いると口うるさいのに、いないと寂しいのは何でなんだろ」 アテネの後ろから料理を覗きこんで言ったのは、シエル=アルパインだ。 アテネとは髪と瞳の色が同じで、面立ちもよく似ている。兄と妹なのだから 当然か。 「お前にもそういう感情あったんだな」 横から皮肉ったのは琴南哉人だ。 角度で色を変える、不思議な蒼い瞳は今はサファイアの青。後ろで結んだ鳶 色の髪にバンダナをかぶせている。 「哉人くんは寂しくなかった?」 「ぼく? 別になーんとも」 言って、彼はふいっと背を向けて歩き去ってしまった。 「哉人? もうすぐご飯なんだけど」 「照れてるのよ。顔が赤かった」 入れ違いに入ってきた隼唯美が、帽子を取って長い漆黒の髪をかきあげなが ら、意地悪っぽく笑ってみせる。 その様子につられるように、その場の全員が笑った。 第8寮の住人たちは、『NONET』と呼ばれる特殊部隊のメンバーである。 この世界、ガイアでは武装集団と平和部隊が長年に渡り争いを続けている。 平和部隊は合法的に国民を救済するのを目的としているが、それには限界が あった。 限界を打破する方法として代々の平和部隊総帥――Mr.PEACEと呼ば れる人々が考え出したのが、総帥に直属する、隠された非合法の部隊を作るこ とだった。 その部隊が『NONET』である。 ガイアの鉱物であるパワーストーンと同調し、力を引き出すことのできる 『マスター』と呼ばれる人間であることが加入の条件。マスターは身体能力が 常人の倍以上に跳ね上がる他、火や風や雷といった超常現象を操ることができ る。 第8寮にすむ10人は皆、マスターである。 この経歴だけでも変わっているが、中でも絵麻は変り種だ。 絵麻は、ガイアの人間ではない。 元々は神奈川に住む、何の変哲もない女子高生だった。周りと違った事と言 えば、姉が有名な芸能人であることだろう。 その姉に殺害され、全てが終わったはずだったのに、絵麻は気づいた時、こ の世界の、翔の上に落ちてきていた。 そこから第8寮に身を寄せることになり、『NONET』に入り、様々な出 来事を経て今に至っている。 最初は知らなくて戸惑ったり、怖かったことのある仲間たちともすっかり打 ち解け、絵麻はたまに実の家族より第8寮の住人たちの方が家族と呼べるので はないかと思うことがある。独りよがりな思いを口にすることはなかったが。 「じゃ、乾杯しよ? 乾杯」 「そこまでしなくていいから」 全員がテーブルに揃ったところで、はしゃぐアテネをリョウが苦笑いで止め る。 「だって、せっかく皆いるのに。リョウさんと信也さんいなくて、アテネ、 とっても寂しかったんだよ?」 「……アテネ、あんたがいちばん見舞いに来てたんだけど」 「そもそもお前、看護婦で同じ病院にいたじゃん」 瞳をうるうるさせていたアテネだったが、リョウとシエルにつっこまれてた ちまち膨れた。 「そうだ。食べる前に言っとくわ」 リョウの横で静かに座っていた秋本信也が、その時はじめて口を利いた。 こげ茶の髪と、同じ色の瞳をした長身の青年である。1ヶ月前に恋人のリョ ウ共々重傷を負い、病院暮らしをしていた。 「迷惑かけて悪かった」 信也はテーブルにつきそうなくらいに頭を下げた。 「信也?」 「謝ってすむ問題じゃないけど。本当、ごめん」 「……」 リョウを除いた8人が顔を見合わせる。 信也とリョウが大怪我をしたのは、信也が6年前にした「ある事」が原因 だった。 その事でいちばん傷ついたのは他でもない彼だったが、怪我で動けなくなり 周りに迷惑をかけたこと、そして何より、自分のせいで傷つけてしまった弟の ことで罪悪感を感じていたのだろう。 「頭上げてよ」 向かいにいた翔が言う。 「せっかく帰ってきたのに、頭と話してもつまんないよ」 「そうだよ」 絵麻も言葉を重ねる。 「ご飯、リリィと頑張って作ったの。あったかいうちに食べて欲しいな。 信也、少し痩せたみたいだし」 確かに、顔をあげた彼の頬は以前より薄くなった感じだ。 「食べないなら僕、先に食べるよ」 「あ、翔ズルい。オレも食べる」 「アタシも」 「アテネもー!!」 たちまちスプーンの取り合いになってしまった。 「取り合ったらひっくり返っちゃうよ! 皆に行き渡るようにちゃんと作った から」 慌てて絵麻は抑えに回る。 10代後半の、食欲旺盛な集団だ。しかも、絵麻の料理は理性を狂わせるほど 美味しいときている。 結局絵麻では制し切れずに、パエリアをよそうスプーンの取り合いになって いた翔、シエル、哉人の3人に、信也が均等に拳骨を落とした。 「痛っ」 「殴る事ないだろ?!」 「あたしたちがいない間、ずっとこんなの?」 「そうでもないんだけど」 パエリアをいったん諦めた絵麻は、サラダを取り分けて配る事にした。リリ ィにも手伝ってもらって、2人分をリョウに渡す。 サラダが行き渡った頃にパエリア騒動もおさまったらしく、自分たちの方に もいい匂いのするご飯がのった皿が回ってきた。 「いただきます」と手を合わせたら、後はもう各自の皿に取りかかるだけだ。 「やっぱり、絵麻のご飯だね」 一口食べるなり、感極まったようにリョウが言う。 「美味しい」 「久しぶりだからじゃない?」 「それは違うよ。このパエリア美味しいもん」 重ねて言ったのは翔で、彼は既に自分の皿をカラにし、新たによそっていた。 「美味しいよ。何ていうのかな……ほっとした」 黙々と食べていた信也が、飲み込んでから笑う。口の端についたご飯粒を、 「子供みたいなんだから」といいながらリョウが取っていた。 「絵麻が台所にいると安心するよね。家に帰ってきたって感じ」 「何なんだろうな。皆揃ってると安心するこの感じは」 「……家族、かな」 黙って自分の席にいた封隼の言葉に、全員のスプーンを動かす手が止まる。 絵麻は思わず瞳を瞬いた。 「封隼?」 自分の発言の効果に驚いたのか、彼は軽く何度か咳き込んだ。 「……家族か」 「一家団欒ってこんな感じ?」 第8寮の住人はほとんど皆、家族と縁薄い。絵麻自身もそうだから、気持ち がわかる。 「じゃ、信也さんがパパで、ママは……リョウさん?」 「アテネくらい大きな子は流石にいないわよ」 「母親は絵麻じゃないの? 家事全部やってるし」 「翔、それ偏見」 「勢ぞろいして和むんなら、嬉しいけど」 もしかしたら、皆も、気持ちはわたしと同じ……? 絵麻がそんな風に思った時だった。 「あ、ごめん。アタシ出かけなきゃ」 いつの間にか小型の通信機を出していた唯美が、そのスイッチを切りながら 言った。 「え?」 「どうしたんだ?」 「諜報員の方の仕事。アタシがいかないと収拾つかない状態になってるみたいで」 唯美はあわただしく席を立った。 「あ、お皿下げなくていいよ。わたしやっとくから」 「ごめん。せっかく皆で和んでたのに」 「いつ頃帰ってくる? 夜食作っておこうか?」 「ちょっとわからないの。わかったら連絡する」 唯美は帽子を被りなおすと、ポケットからパワーストーンを出して意識を集 中し始めた。 空気が揺れて、唯美の姿がおぼろに霞んでいく。彼女の瞬間移動能力だ。 「気をつけてね」 最後にかけた声に、唯美は笑顔を残すとその場から消えた。