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 結局、信也は正也が指輪を選ぶのを、ぼんやりと眺めていた。
 正也が買ったのは紫水晶の指輪だった。曰く「リョウの瞳の色と同じだから」
だそうである。
 思い通りの物が買えてご機嫌な正也が指摘してくれなければ、勇也と真也へ
の土産も買い忘れていたかもしれない。
「……信也?」
「何?」
「何か、やけに無口だな」
「そうか?」
 ははーんと、正也がにやにや笑いをする。
「さては、弟と幼なじみが遠くに行っちまうみたいで寂しいんだろ?」
「……」
「安心しろって。俺が信也にぴったりの女の子、紹介してやるか、ら……」
 正也の言葉の語尾が尻すぼみになる。
「正也?」
 視線を上げた信也の視界に、鮮やかに燃え上がる自分達の町が見えた。
「燃え……てる?!」
 遠く、警戒警報の鐘の音が聞こえる。
「戻らないと!」
 2人は大慌てで駆け出した。しかし、遅かった。
 ついさっき出かけたばかりの家は、爆弾でぺしゃんこに吹き飛ばされていた。
「嘘だろ……?」
 ガレキと肉片とがところどころに散らばっている。
 呆然とする正也を突き飛ばして、信也はある一角に駆け寄った。
「真也! 勇也!」
 崩れた梁の下敷きになって、勇也と真也が折り重なるように倒れていた。
 買ってきた菓子を放り投げて、信也は必死に2人を押しつぶす梁に爪を立て
る。
「真也! 勇也! 返事しろっ!」
 よく見れば真也の手足は千切れ飛び、勇也は下半身がすっぽりと抜け落ちて
いた。
 それでも、信也は2人を助けようとした。
「……信也」
「正也、手伝えよっ!」
「もう死んでるよ」
「嘘だ……さっきまであんなに元気だったのにっ!」
 信也はがっくりとその場にひざまづいた。
 その時、下卑た笑い声がした。
「おい、まだ生きてる奴がいるぜ」
 にやにや笑いを貼り付けた武装兵が5人ほど、こちらに向かってくる。
「……!」
 彼らは、いずれも銃を手にしていた。
 対して、こちらは武器は1つきり――正也が腰に下げている日本刀だけだ。
 2人は祖父から剣を教わっている。いつ何があっても大丈夫なように剣を帯
びておけというのが祖父の言葉だったのだが、生憎と信也はその日、剣を持つ
のを忘れてしまっていたのだ。
「……信也」
 震える声で、正也が言う。その手は剣の柄にかかっていた。
「俺が、斬り込むから。お前は、その間に逃げろ」
「……」
 それが最良の策に思えた。
 けれど――けれど。
 初太刀で仕留められるのは1人だ。残りの4人に狙われたら?
 信也は武器を持っていないのだ。
 黒衣の武装兵たちがにやにや笑いながら、銃を構える。
 銃口が向けられた時、信也の心を1つの思いが強く支配した。
(俺はまだ、死にたくない――!)
 それは人間として当たり前の執念で……悪魔の囁きだった。
 次の瞬間、妄執に取り付かれた信也は正也の手から日本刀を奪った。
 そして、自分が武装兵に斬りかかったのである。
 肉を断ち切る嫌な音が響いて、武装兵の1人が倒れた。
「え……」
 思いもよらなかった行動に、誰もが一瞬、動きを止める。
 そして、その次の一瞬。
 銃口は、完全に無防備だった正也に向けていっせいに火をふいた。
「……!」
 こげ茶色の瞳を驚きに見開いたまま、正也がその場にずるずると崩れ落ちる。
 一瞬遅れて、リョウへのプレゼントの小箱が、焼けた地面に落ちた。
「ま……」
 正也のこげ茶色の瞳は既に生気を失いかけていた。
 けれど、真っ直ぐに信也を見つめている。
 驚きと、そして、裏切りに対する怒りに色を染めて。
「まさ……や……」
 もう動かなくなった目が。唇が。表情の全てが。
 信也を「裏切り者」と罵っている。
「正也あっ!」

「正也あっ!」
 信也はがばっと上体を起こした。
 いつの間にか眠り込んでいたらしい。体中から嫌な汗がふき出している。
 信也は弟を殺したのだ。
 自分が生きていたいという……ただそれだけのために。
 そんな自分だから、知らない間に人を傷つけても平気で忘れてしまえるのだ
ろうか。
 あの日、どうやって銃を持った4人の武装兵を倒したのか信也は覚えていな
い。
 あの日の記憶は正也の驚きと怒りの瞳で止まっていて、それ以降の事は覚え
ていない。
 そんな、自分だから。
 人を傷つけても、平気で忘れてしまっているのだろうか。
 信也はふと、窓に視線を移した。
 弟と同じこげ茶色の瞳が、じっと自分を見返していた。
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