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 哉人はスラムの片隅で、一心にゴミ漁りをしている子供達を眺めていた。
 自分もそうだった。
 生きていくために盗みや裏切りは当たり前だった。高額で買い取ってもらえ
るパーツを盗みに倉庫に入り、警備員に頭を撃ち抜かれそうになったこともあ
る。
 体もすり減っていったけど、同時に心もすり減らされていった。スラムで生
きていくのはツラい。
 なのに、なぜ生きてきたのだろう。
 虐待までされて、それなのにがむしゃらに生にしがみついたのは何でだろう。
「おにいちゃん、見つけたよ!」
「やったあ! これで当分困らないな」
 ゴミ漁りをしていた兄弟が何かを見つけたらしい。汚れた顔ではしゃぎあっ
ている。
 ふと、聞いてみたくなった。
「おい」
「なあに? おにいちゃん」
 声をかけると、子供達はあどけない表情になった。スラムで育つと、子供は
こういった処世術を自然と身につけていくことになる。
「どうして、生きてるんだ?」
「え?」
「生きていくの、しんどいだろ?」
 幼い兄弟は汚れた顔を見合わせた。
 そして、そのあとで。にっこりと笑って。
「あのね、大きくなったらしあわせになるの! だから平気!」
「わたしも、しあわせになるの!」
 兄弟はそう言うと、走って行ってしまった。
「……」
 哉人は両目を指で押さえた。
 自分もそうだった。いつか母が振り向いてくれると信じて頑張ってきた。
 いつか幸せになりたいんだと、欠片の希望を抱いていた。
 スラムの、同じように貧しい人たちが、自分を支えてくれた。
 そして今、爆弾がその街を吹き飛ばそうとしている。
 汚い思い出しかない街なら、全部消えてしまえと思った。
 けれど……大切なものが、ここにある。
 忘れかけてしまった、自分の大切なもの。
 哉人は7年ぶりに自分が母と暮らしていた、崩れかけた家の前に立った。
 そっと、朽ちかけた木製のドアノブに手をかける。
 その時。
「哉人っ!」
「?」
 呼ばれて振り返ると、そこに絵麻、シエル、アテネといった面々がいた。
「……どうしてお前らが」
「探したんだよ。爆弾がパスワードでロックされてて、翔じゃ解除できなくて」
「見つけたのか?」
「哉人、お願い。パスワード解除して」
 絵麻は一歩、前に進み出た。
「このままじゃみんな死んじゃう。貴族とか貧しい人とか関係なく、ここで生
きてる人、みんな」
「……」
「哉人だって本当はこの街、好きでしょう? 愛してるでしょう? なくなっ
ちゃうんだよ?!」
「……相変わらずのお嬢さんっぷりだな」
 哉人が凍てついた色の瞳で、吐き捨てるように言う。
「ぼくはこの街で虐待されて生きてたんだよ。スラムでゴミ漁って、食べてく
のに必死で。そんな街を好きだなんていえると思ってるのか?」
「思ってるよ」
「何で?!」
「だって、哉人は優しいから」
 絵麻の茶水晶の瞳が、真っ直ぐに哉人を見つめる。
「アテネも知ってるよ。哉人くん、優しいもん」
「……」
 哉人はしばらく無言だったのだが、弾かれたようにドアを開け、崩れかけた
建物の中に入って行った。
「哉人っ?!」
 慌てて3人が後を追って、中に入る。
 そこは1部屋しかない小さな家だった。床や窓枠に積もっている埃から察す
るに、もう何年も使われていないのだろう。
「ここは……?」
「ぼくが母親と暮らしてた家」
 哉人は埃を全く気にせず、明り取りの窓の下に置いてあったノートパソコン
の前に座った。
「何するの?」
「ここからエヴァーピースのぼくのパソコンの中に侵入して、万能パスワード
解除ソフトをダウンロードして翔のミニコンに転送。それがぼくにできる最速
の手段だ」
「哉人……」
「時間は?」
「え?」
「後何分あるんだ?!」
 言いながら哉人はポケットからバッテリーを出して、ノートパソコンに接続
する。液晶画面に淡い色が灯って、哉人の瞳を水色に染めた。
「あと……15分」
「なら、余裕だな……っと」
 キーを叩いていた哉人の手が止まる。
 画面には、“パスワードを入力してください”と表示されていた。
「またパスワードかよっ?!」
「哉人、当然知ってるんでしょ?」
「知らない」
「えっ?!」
「だってこれ、母親のパソコンなんだよ。アイツ取引に使ってたから、ぼくに
は触らせなかったんだよなー……」
 哉人がしみじみと述懐するのを横目に、3人は固まってしまう。
「……どうするの?!」
 絵麻はパソコンは使えない。シエルとアテネもそうだ。もっともこの場合は
パスワードがわからないのだから、仮にパソコンが使えたところで役に立たな
いわけだが。
「どうするかなー……」
 哉人の指先が緩慢に床を叩いている。そこだけ、ぽつりと埃が窪んでいた。
「普通、パスワードってどんなもの入れるっけ?」
「うーん……誕生日を暦とくっつけて縮めるとか」
 哉人が試してみたのだが、そのパスワードは違っていた。
「他には?」
「うーん……恋人の名前とか、恋人の誕生日とか?」
「そこまで知るかよ。っていうか、アイツ水商売にも手出ししてたから男は山
ほどいたぞ?」
「クリスさん、じゃなくて?」
「……クリスに会ったのか?」
「うん。これを預かった」
 絵麻は持っていた、錆びた銀十字のチョーカーを哉人に渡した。
「……これは?」
「哉人のお母さんが、哉人の誕生日にって買ってたんだって」
「……アイツが?」
 哉人の瞳の奥が、一瞬揺れた。
「本当に愛してたって……クリスさん言ってたよ」
「……嘘だ」
「思い出があるだけいいじゃん。オレなんか、母親の記憶なんてないぜ」
「アテネも、ママ知らないよ。いいな、哉人くん」
 シエルとアテネが代わる代わる言う。
「……」
 哉人は無言で、チョーカーを裏返した。
 年月で浮き出た錆びに邪魔されていたけれど、そこにははっきりとした文字
で「Dear Tikato 10th Birthday」と刻まれていた。
「あ、ねえっ! 哉人くんのママの大事なものって、もしかして!」
「…………開いた」
 アテネの言葉とほぼ同時に、哉人はキーボードを叩いていた。
「パスワード、わかったのか?」
「ひょっとして……」
「ああ」
 哉人はせわしなくキーボードを打ちながら、短く言った。
「“Tikato”だった」
「それじゃ、哉人のお母さんが大事にしてたのは」
「ぼく、だったんだ……」
 信じられないといった口調で、哉人が言う。
 ほどなくして、データのダウンロードが開始された。
 哉人はそのデータを翔のミニコンに送り、翔はデータを使って無事に爆弾に
かかっていたパスワードを解除した。
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