翔と一緒に出向いた図書館は、堂々たる建築様式の3階建ての建物だった。 「凄い……」 「規模が違うでしょう?」 絵麻がこちらで知っているのはPCの誰も通らないような隅に設けられた図 書室だから、比較の対象にならない。 「うん」 「じゃ、僕ちょっとレファレンス頼んでくるから。絵麻は適当に好きな本読ん でてくれる?」 「わかった」 「ここにいてね」 机と椅子を確保すると、翔は貴重品をちゃんと身につけているように言って から席を離れた。 「さて、どうしようかな」 絵麻はガイア文字は苦手である。自然と、目は文字の少ない本を探していた。 そうして辿り着いた書架は、写真集だった。 綺麗な景色。色とりどりの花や、どこまでも広がる青い空と海。 その中に、1冊だけ不釣合いなセピア色の写真集があった。 「?」 疑問に思って引き抜いたそれは、戦争と子供を扱った写真集だった。 開いた瞬間、気温がぐっと下がった気がした。 絵麻は魅入られたようにして、その写真集を眺めていた。 「すみません。『天承』という家についての本を探してるんですけど」 「『テンショウ』ですか? どのような綴りで?」 翔はスペルを告げた。独特の綴りをする名前だから、かなり珍しいはずだ。 眼鏡にスーツという司書然とした女性が、カタカタとキーボードを叩き。 「該当する文献は一般人名辞典、専門人名辞典、人名録、団体・機関名鑑、人 物文献索引、家系事典です。どれをごらんになりますか?」 「全部見せてください」 「わかりました。では書庫の方へお回りください」 司書の女性が書庫の扉を開けてくれる。流石に図書室であるPCとは違い、 かなりの量の本だ。 もっとも、翔の目当てはその一部だが。 分厚い辞典を何冊か引き抜いて、書庫の床にあぐらをかく。 答えはあっさりと見つかった。 天承――『PC創設者』の姓だと。 団体・機関名鑑のPCの項目を調べる。PCの表向きの業務内容、ここ10 0年の簡単な歴史とともに、創設時の記述があった。 創始者:天承匠 創設者:長月大悟 ランディ=ウィスタリア スピカ=プレアデス 「……?」 PCはこの4人の人間が基となって作られたのだと。そう記述されていた。 「Mrの姓はボルゴグラード……この中だと『プレアデス』が南部の姓だけど、 他は違う」 とりあえず、この記述をコピーする。その間に頭の中で推論を展開する。 糸がもつれて、ほどけて、もつれて。 翔はその他の資料のいくつかに目を通すと、司書の女性に文献を中央西部ま で送ってもらう手続きをしてもらって、礼を言って絵麻のところに戻った。 「絵麻。お待たせ……」 「……」 「絵麻?」 絵麻は手元の写真集に、じっと辛そうな視線を送っていた。 ボロボロに汚れきった子供達がマンホールの下で生活している写真だ。 今にも泣き出しそうな絵麻の表情を見て、翔はぱたりとその写真集を閉じた。 「翔!」 「絵麻」 「何で閉じちゃうの?! 何で……」 「騒がないで。ここは図書館だよ」 とはいえ、今の絵麻の悲鳴で人の視線がだいぶこちらに集まってしまった。 翔は慌てて写真集を棚に戻すと、絵麻を連れて図書館から出た。 「ねえ、何で閉じちゃったの?!」 「君が泣き出しそうだったから」 「泣きたいのはわたしじゃないよ! 写真に写ってるあの子達だよ!」 翔にくってかかる表情が、今にも泣きそうに歪んでいる。 「わたし、いっぱい知ってるつもりでいた。戦争の悲惨さとか、スラムとか。 でも、それは『知ってる』つもりなだけだったの。実際はわたしが考えてるよ りもっと汚くて辛くて悲しくて……今日だって」 絵麻はスーパーマーケットで買い物をした時に起きた出来事を翔に話した。 「僕も、哉人に同じようなことをされたよ。けど、同情するだけじゃ結局何に もならないんだよね」 翔はさっきの、自分と哉人の間の会話を絵麻に話して聞かせた。 「……」 「同情して、1人に1つパンをあげることはできるだろう。でも、その後は? その子に続けてパンをあげられるわけじゃない。他の子だってパンを欲しが るよ。その時、絵麻はどうするの?!」 「やだっ……聞きたくないっ!」 思わず耳をふさいだ絵麻を、翔はぎゅっと抱え込むようにして。 「それが普通だよ……人間誰でもそう思う。それでいいんだよ」 「よくないっ! そんなの、よくないっ!! 不平等だよ!!」 この街はこんなに綺麗なのに。 あの子達はあんなに汚れているのに。 泣き出した絵麻の髪を、翔の火傷の手が撫ぜていく。じんわりと、肌に熱が 伝わる。 「アイスクリーム、食べよっか」 翔の声に顔をあげると、ちょうど目の前にアイスクリームの移動屋台が来た ところだった。 「……?!」 こんな時に何がアイスクリームなのか。 その絵麻の気持ちを、翔は見透かしたようだった。 「僕も同じことを考えた事があるんだよ」 「それで? 翔はどうしたの?」 「考えて考えて、信也やリョウにも意見聞いて。僕は中央のキレイなところで 育ってるから、お坊ちゃんの甘ちゃんだって散々言われて落ち込んだんだけど。 そんな事してるうちに思ったんだ。無駄なことしてるなって」 「無駄なこと?」 「僕は五体満足で、飢えも渇きもしてなくて、今のところ明日のパンに困る予 定はない。そういう人間がうじうじ悩んでいるのなら、その時間を明日のパン に困る人のために使えないのか? って」 「……」 「だから、僕は食べるよ。食べなきゃ何も考えられないもの。食べて、考える。 どうすればみんなが明日のパンに困らない世界にできるのか。それが、食べら れる人の義務だと僕は思うんだ。もちろん、今実行できる手段があるのなら最 高だけど。できない人間なら、せめて思い続けるだけでもそれは静かな力にな るよ」 それは詭弁だったかもしれない。 けれど、そんな翔の優しい考え方が――絵麻は好きだった。 「だから、泣かないで? 絵麻は悪くなんかないから」 「うん……」 「アイス、食べようよ。よく絵麻が言うじゃん? 泣いた時は甘い物がいいん だって。奢るから」 翔が笑って、絵麻の袖をひく。 アイスクリームの屋台は、黒の蝶ネクタイをつけた太ったおじさんが経営し ていた。翔はバニラとモカのカップを頼み、太ったおじさんはコーンの上に、 絵麻が頼んだチョコミントを山盛りにしてくれた。 2人で街頭の木の下のベンチに座って、アイスクリームを食べる。 「甘い……」 「僕のこと?」 「違う。アイス」 でも、甘くて美味しくて、好きなのはどっちも変わらないかもしれない。 そんなことを考えると、冷たいものを食べているのに頬がかっと熱くなった。 久しぶりに食べたアイスクリームは頬張るたびに甘くて……少し苦かった。 「さて、次は絵麻の好きな場所に行こうか? 僕の趣味につき合せちゃったし」 食べ終り、翔がそう言って立ち上がった時だった。 鋭い音を立てて、通信機が鳴った。