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 次の場面は、食卓だった。
 暖かなランプの光が部屋を満たし、湯気のたつ食事が並べられた、食卓。
 席についているのは3人。男と、女と、10歳ぐらいの子供。
 上座に座っている父親らしい男性と、給仕をする母親らしい女性が西部人
の証である鈍い金髪なのに対して、子供の髪は夜のような漆黒。
 それでも、男性の横に座った子供はとても幸せそうな表情で男性に話しか
けていた。
「ねえ、ここはどこなの? どんな場所なの? あたし、何すればいいの?」
「そんなことは気にしなくてもいいんだよ。唯美」
「でも、助けてもらったんだもの。役に立ちたいの」
 いじらしく言う子供の黒髪を男性は優しく撫ぜて。
「唯美は何も考えなくていいんだ。疲れているだろう?」
「そうよ。唯美ちゃん」
 スープを皿によそっていた女性も笑顔で。
「唯美ちゃんは、うちの大事な娘なんだから。もう戦場に行くことなんてない
のよ? おうちにいればいいの」
 子供は恥じらったような笑みを浮かべた。
「さあ、ごはんですよ」
 女性がを席につかせる。
「たくさん食べてね、唯美ちゃん」
「そうだ。今まで食べられなかったぶん、いっぱいお腹に入れるんだよ」
 この西部人の夫婦はPCとは少し違う、国府系統の支援団体の重要な役職に
ついている。
 夫婦は1週間前、戦場の跡地をふらふらと彷徨っている黒髪の子供を拾った。
 子供は一言「唯美」とだけ名乗った。
 黒髪に、つややかなまでの黒い瞳。東部の子供なのだろう。
 ここは西部だが、戦争で親を失った子が流れてくることは珍しくない。
 夫婦は子供を自宅に連れ帰り、暖かいシャワーを浴びさせてココアを飲ませ
た。
 そうしてはじめて、子供は笑顔を見せた。
 子供は愛らしい娘だった。話しかけるとにこにこと笑う。親を亡くして苦労
したはずなのに、愚痴も弱音もひとつもらさない。
 国府系統の職務についている夫妻は右翼のゲリラから命を狙われたことが何
度もあり、夫妻は落ち着かない日々を送っていたのだが、無邪気に慕ってくる
子供の存在が癒しになっていた。
 そうした中で夫妻は子供を養女に迎えた。今夜はその祝いの席だ。
 3人はささやかだが暖かな食事を思う存分楽しんだ。
「それじゃ、おやすみなさい。ミザールさん」
 食事を終え、与えられた部屋で休もうとした子供に、夫妻はこう告げた。
「お父さんとお母さんと呼びなさい。もう家族なのだから」
「はい。お父さん、お母さん、おやすみなさい」
 恥じらったような笑顔をのぞかせて呼ぶと、子供はリスのように自分の部屋
へと飛び込んだ。
 ほどなくして夫妻も寝室に引き上げたのだが……夜半頃、書斎に不審な物音
を聞いた気がしてミザールは目を覚ました。
「……?」
 書斎には物資輸送のルートを示した重要な書類がある。
(風の音か?)
 窓でも閉め忘れたのだろうか? だとしたら不用心だ。
 ミザールは隣で眠る妻を起こさないように体を起こすと、隣の書斎へと入っ
た。
 そこで彼が見た光景は、幼い子供ががさがさと書類漁りをしているというも
のだった。
 月明かりに照らされたのは、子供と思えないほど冷たい表情……。
「唯美……?」
 言葉に弾かれたように、子供は顔をミザールの方に向けた。
「お父さん」
「何をしているんだい? それはお父さんの仕事の大事な書類じゃないか」
「これが、大事な書類?」
「そうだよ。だから、返しなさい」
 ミザールが手を伸ばす。
 子供はためらったようだったが、やがて聞き取れないほど細い声でつぶやい
た。
「……ごめんなさい」
 言って、髪の毛の中に隠していたナイフを引っ張り出す。
「唯美ちゃん……!」
 ミザールは次の言葉を言うことができなかった。
 なぜなら、幼い子供の突き出したナイフが正確に心臓を突き刺していたから。
 ミザールは言葉もなく自らの流した血だまりに崩折れた。
「……? どうしたの?」
 物音をききつけたミザールの妻が部屋に入ってくる。
「あなた……?!」
 倒れた夫の側にミザールの妻がひざまづく。
「あなた、あなた!! ねえ、しっかりして……」
 子供はその妻にも容赦することなく、手にした血まみれのナイフで彼女の首
筋を切りつけた。
「……!」
 夫妻は重なり合うようにして床に倒れた。
「…………」
 それを見ながら、子供は無表情だった。
 返り血を浴びないように机の隅に寄せておいた書類を機械的な仕草でつかむ
と、窓を開ける。
 そこには、目深に帽子をかぶり、黒い髭をたくわえた中年の東部人がいた。
「よぉ、唯美。殺ったか?」
「……ええ」
 子供は丸めた書類を男に手渡す。
 男はぱらぱらと拍手して、下卑た笑みを浮かべた。
「まだ年齢1ケタだってのに、相変わらずパーフェクトな殺しぶりで」
 子供は夫妻が思っていたような戦災孤児ではなかった。
 夫妻の活動を目の敵にしていた右翼ゲリラがやとった、暗殺者。
「これ、証拠隠滅して」
 子供は淡々として言うと、血まみれのナイフを男に手渡した。
「あたしは、ここの奴らの葬儀が終わったら帰るから」
「ちゃっかり養女に収まって、こいつらの遺産手に入れてトンズラって計画か
い。特能一族のお姫さまはよく頭が回っていらっしゃる。なんせ瞬間移動でい
つでも逃走できるんだもんな」
「……とにかく、上にはそういうふうに伝えて」
 子供はメッセンジャーの男にそう告げると、ぴしゃりと窓を閉めた。
 部屋の中には幸せだった夫妻の無残な遺体が転がり、血の臭いが濃厚に漂っ
ている。
「とーさま、かーさま……」
 無機質だった子供の顔に、その時はじめて悲しみが浮かんだ。
 10歳に満たない幼子の表情。
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
 漆黒の瞳から、涙があふれてとまらなくなる。
 そこで、場面がぱちりと切り替わった。
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