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「絵麻がいなくなった?!」
 第8寮の、リビング。
 絵麻以外の全員が戻ってきて、テーブルの周りに座っている。
「またか……」
 あきれ顔のリョウ。うんざりといった調子で頭を抱える信也。
「いなくなったっていうか、消えたんだ」
 翔はぽつりとそう言うと、テーブルの上に小さな何かを置いた。
 かつんと音をたてたそれは、絵麻が普段使っている金属製の髪どめだった。
「……それ、絵麻ちゃんの髪飾り?」
「これだけが地面に落ちてたんだ」
「探したのか? 通信機、持たせてたんだろう?」
「反応しねーんだよ」
 シエルがそう返す。
「オレ、翔に『止めてくれ』って言われた時にちゃんと回線開いたんだ。そし
たら」
「そしたら?」
「サーッて、ノイズがして……その後で、画面からも反応が消えちまったんだ」
 こつっと、シエルはパソコンを拳で叩いた。
「反応が消えた?」
「可能性としては通信機が壊れたか、どこか別の場所に行ったか……」
「別の場所?」
「通信機の送受可能範囲を越えた場所に行った場合とか」
「絵麻の足で?」
 NONETが扱う機械類は、全て翔が独自にチューンナップしている。専門
の工学者が作っているのだから、PC自衛団が使っている通信機より遥かに高
性能なのだ。
 一般高校生の絵麻は元より、この中でいちばん脚力のありそうな信也が走っ
てもそうそう抜け出せる範囲ではない。
 それなのに、絵麻は消息を絶ってしまった。
「どこに行ったんだ、あの子……」
「考えてる。考えてるんだよこれでも」
 翔ががりがりと自分の後頭部をかきむしる。
 そのあとで、おそらくは無意識だったのだろう。彼はこう言った。
「絵麻、悪いけど何か食べる物もらえない? あと、コーヒーか何か」

 はーい。ちょっと待っててね。

 そう聞こえたのは、翔をはじめとした全員の錯覚で。
「…………」
 翔はダイニングの方に視線を走らせたのだが、そこには誰もいなかった。
 変わったデザインの制服も、肩で揺れているピン止めした黒髪もそこには見
当たらなかった。
「あ、アテネが代わりにコーヒー入れてくる!」
 しばらく沈黙が続いた後で、アテネが立ち上がるとダイニングに走っていく。
 アテネがコーヒーを入れるのには時間がかかった。9人分なのだから当然か。
「お待たせー……」
 よいしょっと、トレイに乗せてきたコーヒーカップを配り始めるのだが。
「アテネ、これ、あたしのじゃないよ。唯美の」
「え?」
「僕と封隼が逆だな」
「ええっ?!」
「……リリィ、そのカップ俺の」
 リリィが驚いたように、飲みかけのカップの模様を確認する。
 カップにはそれぞれ、小さく模様が入っている。それを絵麻はちゃんと覚え
て区別していたのだ。
「食べる物、コレ?」
 唯美は小皿に乗っていた、店売りの固パンを指した。
「うん……これしかなくて」
「絵麻だったら、もっとちゃんと出してくれるよね」
「……ごめんなさい」
 小さくなったアテネの髪を、シエルがくしゃくしゃにする。
「アテネが謝ることじゃねーって」
「ごめんごめん。そういえば、絵麻が言ってた。帰って来てから何か作るって」
「うん……」
 そんなやりとりを聞きながら、翔は固パンを口に入れた。
 おがくずを食べたような、妙にぱさぱさした味がする。
(あれ? 前はこのパンいつも食べてたのに……こんな味だったっけ?)
 慌てて飲んだコーヒーは舌が火傷しそうに熱く、不味かった。
 絵麻が節約を兼ねてコーヒー豆を買って、飲む直前に挽いていてくれたのを
翔は思い出した。
「……全然美味しくない」
「アテネに悪いだろ」
 そう言ってたしなめた信也の顔にも、不満が現れている。
「前と同じなのに、前に戻っただけなのに。なんでこんなに美味しくないんだ
よ」
「? 前って」
 不思議そうな顔で問いかけた封隼の袖を、リリィがそっと引っ張って首を振っ
た。
「?」
「そっか。アンタ、絵麻より後にここに来たもんね」
 唯美が事情を説明する。
「絵麻が元々ここにいたわけじゃないって話はしたでしょ? 絵麻が来る前は、
アタシたち自分たちだけで料理も掃除も洗濯もしてて。でも、仕事あるから店
売りの缶詰とかパンに頼ってばっかでさ。主食でそれだから、仕事した後の夜
食とかには全く気が回ってなかったのよ」
「それでも、食べられたんだろ? いいじゃないか」
「ね。絵麻の作ってくれるのと、今のコレと。アンタ、どっちがいい?」
「……絵麻の作ってくれる奴」
「でしょ?」
「絵麻って、重要だよね」
 リョウがぽつりと言う。
「あたし達が仕事にだけ集中してられるの、あの子が家事引き受けてくれるお
かげなんだわ」
 どこかしんみりとしてしまった空気の中、突然リリィがぱちんと手を叩いた
ので、全員がびっくりして彼女の方を見た。
 リリィはメモ帳を突き出していた。
 そこには『早く絵麻を探そう。きっと、たいへんな目に遭ってる』と書かれ
ている。
「わかってる。わかってるよ……」
 翔はどこか焦ったような、いらいらしたような様子で答えた。
「ただ、通信機が反応しないとなると……9人じゃ、ローラー作戦やるには少
なすぎるし。ここはMrに相談かな」
「待てよ。それってぼく達の不手際報告するってことだよな? 巻き添えで処
分くらうのなんかぼくは嫌だぞ?」
 哉人が心底いやそうに眉を寄せる。
「だいたい、任務中の事故は自己責任で保証外だろ」
「じゃあ、哉人は絵麻のこと心配じゃないのっ?!」
「お前がちゃんと見てればこんな騒ぎになってないだろうが!!」
 ほとんどつかみ合いになりそうな勢いに達した2人の間に、信也が割って入っ
た。
「よせって」
「けど……」
「翔。少し、冷静になれ」
「…………」
「哉人もこの状況で逆なでしてんじゃない。それより、お前の情報網使えば、
何とかなるんじゃないのか?」
「……ぼくだっていなくなって欲しいわけじゃないさ。一応探してみるけど、
この御時世、行方不明になってる人間は星の数だから、そこんとこわかっとい
てくれよな」
 言うと、哉人は端末に向かって物凄い勢いでキーボードを叩き始めた。
 アテネはぼんやりと、その光景を見つめていた。
 絵麻はみんなに必要とされている。
 ずば抜けた戦闘能力は持たない絵麻だが、ちゃんと自分のすべきことを見い
だし、実行している。
 兄の側にいたいと、我が儘ばかり言っている自分が恥ずかしい。
(絵麻ちゃん、早く見つからないかな。無事だといいな……)
 思わず、ぎゅっとプレートを握りしめる。

 ―――――――ホクブ。

「?」
 急に動きを止めたアテネを、シエルが訝しそうに見つめた。
「アテネ? どうした?」
「今、声が聞こえた気がした」
「声?」
「多分、空耳……。ごめんね、お兄ちゃん」
「ならいいけど」
「それより、アテネ何かできる?」
 この時はまだ、アテネもシエルも、もちろん他のメンバーも、アテネが手に
していたプレートの翡翠に淡い光が宿っていたことには気がつかなかった。
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