「おはよう、封隼」 「……」 絵麻が向けた笑顔に、封隼は無表情を返した。 けれど、絵麻ももう怯まなかった。 「コーヒーとカフェオレ、どっち飲む?」 「……」 「じゃ、コーヒー入れるね」 やかんを火から降ろして、お湯をフィルターに注ぐ。香ばしいようないい匂 いがした。 「絵麻、僕ももらえる?」 「いいよ」 絵麻は2人分のコーヒーをつぐと、朝食がのった皿と一緒に封隼の前に回し た。 「はい。今日の朝ごはん。具だくさんの春雨スープだよ」 春雨をメインに、干しシイタケ、にんじん、白菜、ねぎ、肉とたくさんの具 を入れた特製スープだ。ボリュームがあるが、そんなにしつこくないので夕食 に出しても朝食に出しても差し支えない。 「昨日働いたんだから、朝しっかり食べないとね」 「……」 封隼は何も返してくれなかったが、それでもフォークをつかむと一口二口、 スープを口に運んだ。 (ちょっとは脈あり、かな) 「絵麻、パンまだある?」 「あ、ちょっと待って。今切るから」 その朝はそれ以上封隼に関わっていることはできなかった。 翔が「パワーストーンの研究に使いたいから髪の毛を1本欲しい」という怪 しげな交渉をしているのを横目に絵麻はパンを切ったり、スープをよそったり して全員の朝食の支度を調えてしまった。 「おはよー」 「はよ」 ほどなくして、唯美とシエルが階下に降りて来た。 「おはよう。ごはんできてるよ」 「わー、ありがたい。今朝は何?」 「具だくさんの春雨スープだよ」 シエルは普通だったのだが、唯美の視線は明らかに封隼に注がれている。 そして、封隼のほうも食べることを止め、唯美のほうをみつめていた。 交わった視線はどちらも漆黒。闇の色。 「何見てんのよ?!」 唯美の刺々しい声で、和やかだった朝食の場が凍る。 「……」 無言で視線を外した封隼の目が、どこか悲しんでいるように映ったような気 がして、絵麻は目をこすった。 「えっと、リリィのでしょ。こっちは哉人の。で、これはリョウ」 夕方になり、絵麻は洗い終えたシーツを部屋の中でたたんでいた。 「これが翔ので、で、わたしのでおしまいっ♪」 言葉が多いのは、一人を紛らわせるためのようなものである。 祖母が死んでから絵麻はずっと一人だったのだが、今は周りにたくさんの人 がいる。 そのため、一人の時間がいっそう際立つ。 「いつからこんなのになったんだろ?」 陽光の匂いがする自分のシーツに頬を埋めて、絵麻は呟いた。 終わった洗濯物はリビングに置いて、各自で部屋まで持っていくことになっ ている。 絵麻はとりあえず自分のぶんだけ先に運んでおこうと、階段下まで歩いて行っ た。 その時、ちょうどドアが開いて、誰かが帰って来た。 日差しとは正反対の黒衣。 「封隼。お帰りなさい」 絵麻はにこっと笑顔を向けた。 相手は相変わらずの無表情なのだが、その瞳だけが驚いたように僅かに見開 かれる。 「お仕事、お疲れさま」 「……ああ」 返って来た反応に、絵麻は自然な笑顔になる。 「シーツ、洗ったからね。部屋までは自分で持って行ってね」 「……」 「おひさまの匂いがするんだよ。今日は気持ちよく眠れるね」 絵麻はたたんだシーツを広げてみせた。 やわらかく漂った陽光の匂いに、場の雰囲気が和む。 「……そうかもな」 「でしょ?」 シーツを元どおりたたんで、絵麻は封隼に聞いてみた。 「ね、今日の夕ごはん何が食べたい? まだ決めてないの」 「……」 「何もない?」 その時だった。 「ただいま」 バタンと扉が開いて、唯美が帰ってきた。 「あ……唯美」 どこか後ろめたい気持ちになり、挨拶がしどろもどろになってしまう。 「お帰りなさい……」 「何で玄関先でいちゃついてんのよ」 唯美の声が怒りに震えた。 「唯美? 何言ってるの?」 漆黒の瞳が、刃のような深く暗い輝きを宿す。 「アタシの前で武装兵と仲良くなんかしないで! 武装兵なんか大嫌い!!」 「唯美?!」 半分悲鳴のように唯美は叫ぶと、たった今入って来た扉からまた外へ出て行っ てしまった。 「唯美!」 シーツを放り出して、あわてて絵麻はおいかける。 一瞬だけ封隼を振り返ったのだが、彼は動かなかった。 漆黒の瞳に、どこかすがるような色を浮かべたままで。