「ただいま」
「おじゃましまーす……」
翔の後に続いて中に入る。
そこは2階まで吹き抜けのホールになっていて、右正面に階段がある。右側
には廊下が続いていたが、左側にはすぐ2つの入り口があった。
「部屋はマズイもんな……こっちに来て」
翔は少し立ち止まったが、すぐに絵麻を左側の、奥にあった入り口を入って
行った。
「あ、翔だ」
「遅かったじゃない。終わった?」
「いや……ちょっと妙な事態になって」
入り口に立つと、中からそんな話し声が聞こえて来た。
男の人と女の人の声……翔と同じくらいの年頃だろう。
ということは……。
絵麻が思わず立ちすくんだ時、翔が中から声をかけた。
「絵麻? 入っておいでよ」
「エマ?」
おそるおそる入り口から中をのぞく。
そこはリビングのような感じで、濃い青のソファがコの字を書くように置か
れていた。
そこに3人ほどの男女が座って、絵麻を見ている。
「……女の子?!」
「中央系なんだね。音だけ聞くと西の方の名前だけど」
絵麻はびくっと肩をすくめた。
話していたのは、並んで座っていた男女。
こげ茶色の髪。右耳だけにつけられた3連ピアス。少し軽薄な印象を与える
印象。年は20歳前後だろうか。
翔も背が高いと思ったのだが、この青年は翔をさらに上回っている。
隣に座っている女の子もだいたい同じ年頃に見えた。チョコレートブラウン
の髪をショートボブにしているので、耳につけられた大振りのスカーレットの
丸ピアスがよく見えた。
瞳の色は紫だ。
服装は肩が出るデザインの長袖Tシャツに革製のベストと、ハードな印象。
もう一人、ウェーブした金色の髪を束ねた人物がいるのだが、こちらからは
後ろ姿で顔が確認できない。
(不良……さん?)
「絵麻、こっちに来て」
絵麻が硬直しているのをみて、翔が声をかけた。
「え……でも」
「大丈夫だって。まず話をしなきゃはじまらないでしょ? 怖くないから」
「……」
絵麻はおずおずと、翔が立っている位置まで歩いた。
そこまで進んではじめて、ソファの中央にテーブルがあり、パソコンが据え
られていることに気づく。
「座って」
「いいの?」
「さっきから立ちっぱなしで疲れたでしょ? 荷物も背負ったままだし」
「あ……」
そう言えば、家に帰ってからリュックも降ろさずずっと玄関に立ち尽くして
いたのだった。
立つのには慣れているのに、言われると妙なもので急に座りたくなるから不
思議だ。
絵麻はソファのいちばん端っこに腰掛けた。膝にリュックを置いて。
翔はその向かい側に座る。
「で、この子がどうしたの? ここに連れて来るなんて」
口火を切ったのは、チョコレートブラウンの髪の少女。
「実は……」
翔は手短にここに至った経緯を話した。
絵麻が突然、空中から落ちて来たこと。絵麻が戦利品の血星石を体内に取り
込んでしまったこと。話が上手くかみ合わないのでここに連れて来たこと……
要点だけを押さえた手際は、小論文を書かせたら満点をとれそうな手際だった。
ただ、絵麻がパニックを起こした点に関して彼は触れようとしなかったが。
「血星石を吸い込んだ?!」
「そんな事……できるのか?」
少女の方が声を高く上げて絵麻をみる。
青年は翔の方に顔を向けたが、翔は首を振った。
「僕は聞いたことがない。データベースをあたるつもりで連れて来た」
翔の言葉は絵麻の耳に入らなかった。
少女の視線が怖くて……その場に凍りづけになっていたのである。
(怖い……)
別に少女に害意があるわけではない。絵麻をみているだけ。
ただ……それだけなのに。
(どうしてだろう……動けないよ。わたし、どうなってるの……?)
必死に考えだけをめぐらせる。
何度も何度も考えて……結局、ひとつの結論に行き着いた。
少女が姉、結女と同じ年頃だという結論に。
それだけで、何故動けなくなるほどの恐怖を感じるのか、絵麻は自分のこと
なのに、全く理解できなかった。
(わたし……どうして……?!)
「あれ? どうしたの?」
その時、今まで黙っていた金髪の人物が動いた。
少女のTシャツの袖を白い指先でつかむと、絵麻の方を見て唇を動かす……
その声は絵麻には聞こえなかった。
絵麻は別の感覚に捕らわれていた。
簡単に言ってしまえば、金髪の人物に魅入られたのだ。
ウェーブのかかった金髪を後ろで束ねた人物は、外国人の少女だった。
落ち着いた色合いのハイネックに、淡い紫のロングスカート。肩にはショー
ルをかけている。
透き通りそうに白い肌。
彫りの深い、端正な顔立ち。
暁と同じ、ルージュ・ラヴァンドの唇。
切れ長の瞳は色こそ碧だが、結女と寸分違わないといっていいほどに似てい
た。
とても、とてもきれいな、冷たい美人……!
(似てる……お姉さんに似てる!! 髪も目の色も違うのに!!)
絵麻は次第に混乱してきた。
どうしたの?
どうして、他の女の子みんなが姉にみえてしまうの?
やがて、少女の方がソファから立ち上がると、絵麻の方に歩み寄って来た。
「……」
「ホントだ。ここの首のところ……こんなに赤くなっちゃって、痛くない?」
「く……び?」
絵麻は指先を首にはわせた。
確かに何かが食い込んだ跡が、くっきりと残っている。
細い、デコボコとした物……鎖。
「……!」
絵麻は叫びだしたい衝動を押さえて俯くと、ぎゅっと目を閉じた。
(怖い……怖いよ! お願い、これ以上わたしに何もしないで……)
けれど、絵麻の心の願いを無視する形で、少女は絵麻の顔を上げさせる。
「痛そうね……ちょっといいかな? 楽にしてあげる」
そう言って、少女は絵麻の首に片手をかけた。
その手につけられていた鎖状のブレスレットが、しゃらんと音を立てる。
瞬間、絵麻の脳裏にまたあの光景がよみがえった。
(お姉……さん)
「あ、リョウ待って!」
「止めてぇっ!!」
絵麻の様子が変なのに気づいた翔がとっさに叫び、金髪の少女もその場から
立ち上がりかけていたが、それら全てをかき消す勢いで絵麻は絶叫した。
「え……な、何?!」
「お願い……止めて。何もしないで。殺さないで……!」
絵麻は全てを遮断するように、膝の上のリュックに顔を埋めた。
「近寄らないで……どこかに行って! わたしの前からいなくなって!!」
「どうしたの?! あたしはただ……」
追及しようとした少女――リョウの手を、そっと金髪の少女が押さえる。
「リリィ?」
リリィ、と呼ばれた金髪の少女は、静かに首を振った。
「止めろって? けど、あたしは……」
「リョウ、止めてあげて」
静かな声は翔のものだった。
「絵麻。そのままでいいから聞いて――僕らは君に決して危害は加えない。
リョウは、治そうとしたんだよ」
「治すって、あれが……?!」
絵麻は顔を上げた。
錯乱した状態の、青ざめ強ばった表情。
「そうだよ。あれがリョウの治し方。リョウは回復能力者だから」
翔は落ち着かせるように、ゆっくりとした口調で話した。
「回復……?」
「僕が雷を使ったのを、絵麻はみたよね。基本はあれと同じ」
「いいのか? お前……ナントカ事情だって俺らに口止めしてることしゃべっ
て」
横にいた青年が口をはさむ。
「機密事項?」
訂正したのはリョウ。
「あ、それだそれ。いいのか?」
「この場合仕方ない。黙ってたって混乱させるだけだよ。かかわらせてしまっ
たのは僕だし……責任は取るから、大丈夫」
翔は絵麻に向き直った。
「僕は雷を使う。リョウは回復ができる……対象に手を添えることで」
「嘘……そんな魔法みたいなこと……」
絵麻は信じられないといった表情で周囲を見回した。
「本当よ? あたし、本当に絵麻のこと治そうとしたの? わかって?」
そういうリョウは、どこからどうみても普通のティーンエイジャーだ。
普通の感じなのに、どうして?
魔法なんて、テレビやゲームの中だけの虚像じゃないの?
「困ったな……どうやったら信じてもらえるんだろ」
リョウが困った風に男子2人を振り返る。
「そっか。俺はともかく……リョウは実演できないもんな。俺がやったところ
でこの子が信じられるかなんてわかんないし」
その時だった。
ふいに、冷たい……とても冷たい波動を感じて、絵麻は視線をそちらに向け
た。
リリィがそっと、リョウの袖に触れている。
「どうしたの?」
その手には、いつのまにか透きとおる刃が握られていた。
リリィが何事か囁く――今度も絵麻には聞こえなかった――と、リョウがと
んでもないというふうに首を振った。
「ダメよ。実演っていったって……!」
次の瞬間、リリィは自分の手の甲を刃で切りつけた。
白い肌に、対照的な赤い線が浮き上がる。
「リリィ?!」
「なんて事するの!? いくら治してあげたいからって……」
リョウはリリィの傷ついた手をとろうとしたが、リリィはそれをかわして絵
麻に血のにじむ傷口をさらした。
そして、唇を動かす。
「・・・・・。・・・・・・・・・・・・」
「あ……!」
絵麻はその時、はじめてリリィがしゃべれないのだという事に気づいた。
声が聞こえないように意地悪したわけじゃない。元々出ていなかったのだ。
「無茶苦茶するわね……傷が残るかもしれないのよ?」
リリィは首を振ると、今度は潔く自分の手をリョウに預けた。
体の位置を少しずらして、絵麻に自分たちの手が見えるようにする。
そして、もう一方の手で絵麻を指さすと、その手を自分の傷のある手に移動
させた。
よく見ていてね。治るから。
そう、言っているようだった。
「見ててね……いくよ」
リョウがそっと、傷ついた手に自分の手を重ねる。
目を閉じ、意識を集中させる……その時、絵麻はまた不思議な波動を感じた。
彼女の体を包むのは、乳白色の光。
あったかい、光。
その光の根源は、彼女がつけているブレスレットのトップについた、乳白色
の石だった。
彼女の体を包んでいた光はやがて手に集中し……リリィの傷ついた手へと溶
け込む。リョウが手を離した時、リリィの血がにじんでいた手の甲は元の白い
手の甲へと戻っていた。
「あ……」
「治った?」
「うーん……ちょっと傷残ったかな? ごめん」
リリィは気にしないでというように首を振った。
そして、もう一度絵麻に手の甲をみせてくれる。
「・・・・・」
その手には斜めに薄い傷痕が残っていたが、傷口も血も見当たらない。
「治ったんだ……よかった」
絵麻が掠れた声で呟くと、リリィはふわっと笑顔をみせた。
やさしい春のひざしのような……姉とは違う笑顔。
瞬間、彼女の顔から冷気が消える。優しい、暖かい表情になる。
(お祖母ちゃん……?)
「さて。次は絵麻、あなたの番。なるべく触らないようにするから」
「え……?」
リョウの言葉に、絵麻は目を見張った。
「治して……くれるの?」
「当たり前。何のためにリリィが自分に傷をつけたの? 絵麻のためでしょ?
うかつだったね。絵麻に傷があるのに最初に気がついたのが医者のあたしじゃ
なくて、リリィだったなんて」
「……」
絵麻は黙って顔を上げた。
その首の部分に、リョウは静かに――今度は両手をかざす。直接触れてつか
むのではなく、包み込むように。
それは姉の冷たい手とは全く違う、暖かい手だった。
「終わりっ。今回成功♪」
その言葉に反応して、絵麻は首に指をやったのだが、さっきまであったでこ
ぼこの鎖の跡はきれいになくなっていた。
「まだちょっと赤いけど……これは一時的。すぐ治るからね」
リョウがそう言って、明るく笑う。
「どうして……」
わたし、酷いこと言ったのに。
どこの誰なのか、全くわからないような子なのに。
「おちついた所で……本題に移っていい?」
翔が注意を向けるように、指先でパソコンの上部を叩く。
その時、絵麻は翔の手が焼けただれていて……指先に小さな血の玉が浮かん
でいるのに気づいた。
片手にはキャップを外した万年筆が握られている。
「あ……」
翔はばつが悪そうに血をぬぐうと。
「ここから本番。信也と話して、ネットでも照会したんだけど……絵麻に聞き
たいことが結構多いんだ」
ふっと、笑ってみせた。