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 リリィは星空を見上げながら、1人歩いていた。
 行くあてなく1人。寂しくないわけがないが、誰かと一緒というのも考
えられなくて。
 絵麻の邪魔をしに行こうとも思えなかったし。
 無事に終わったら、どうなるのだろう?
 仲間は、幸せになるだろう。けれど、自分は?
 自分はこの先、どうしていけばいいのだろう。
「……」
 星空を仰ごうとして、リリィは森の中にいることに気づいた。
 考え事をしていて、知らず知らずに結構な距離を歩いていたらしい。
 リリィは横にあった木の幹に手をつき、それからその木の下に座りこん
だ。
 唇から小さくハミングがもれて、夜気にとけこんでいく。
 その時、木の梢の、高い位置が不自然に揺れた。
「誰かいるの?」
「……リリィ?」
 降って来た声は封隼のものだった。
「何でそんなとこにいるの」
 封隼は自分が見ていた方角を指した。
 夜の中に、唯美の明るい色の服が見える。
 はしゃぐ声がするから、いつもの面々と一緒なのだろう。
「一緒に行けばいいのに」
「邪魔しちゃ悪いし」
 言うと、封隼は体重がないような身軽さで、リリィの前に降りてきた。
「鳥みたいね」
「……隼?」
 自分を指す。確かに彼の名前には鳥の名が入っている。
「なるほど」
「リリィは、絵麻と一緒じゃないの?」
「うん。邪魔しちゃ悪いし」
「そっか」
 封隼がリリィの横に座る。
「……さっきの歌」
「え?」
「綺麗だった。何の歌?」
「西部の、子守唄」
 幼い頃、よく母が歌ってくれた。リリィは、この歌が大好きだった。
「ああ……」
 目の奥が熱くなる。
 唐突にうつむいたリリィを見て、封隼が焦る。
「リリィ?! どこか痛い?」
「違うよ。違うの」
 リリィは安心させるように、笑った。
「少し、思い出していただけ」
 記憶がないことが不安だった。
 なくしてしまったのに、いつも何かに追い立てられている感じだった。
思い出そうとしては心のどこかが拒絶して、そのたびに気持ちが揺れた。
 思い出さなきゃ。
 思い出さなくていい。
 2つの間で、心が揺れた。
 思い出した記憶は、幸せなものではなくて。
 思い出さないほうがよかったのではと考えたことは何度もある。
 だけど、そうではなかったのだ。
 忘れたままなら、この子守唄は、母の事は思い出さなかった。歌を歌え
る声も失ったままだった。
 辛い記憶を吹き飛ばすくらい、楽しい思い出がある。
 その時、封隼が小さく何かの言葉を言った。
「え?」
 聞き取れなかったけれど、それは音楽の一節のように綺麗な言葉だった。
「地平線の空。ここからじゃ見えないんだけど、とても綺麗なんだって」
 封隼は一瞬、思い出すように遠い目をした。
 そのあとで、真っ直ぐに目をリリィに向けた。
 彼の姉と同じ、黒珠のような瞳。
「終わったら、一緒に見に行こう」
「?」
 リリィは人の気持ちに敏感だった。それは生来の物ではなくて、男の顔
色を伺う生活を続けるうちに身につけた自衛手段だった。
 裏に隠れた真意を、いつでも本人より鋭く見抜けた。
 そのリリィでも、今の封隼の気持ちはわからなかった。
 彼の感情は瞳に映るそのままで、裏がなかったのだ。
 黒珠の瞳には、彼が普段隠している優しさだけが映っていた。
「リリィに、似合うと思うんだ。リリィと同じで、綺麗なものだから」
「私が綺麗……?」
 封隼は何も言わず、ただ頷いた。
「綺麗だよ」
 その時、賑やかな声が近づいてきた。
 顔を上げたリリィに、びたんと、あたたかい何かが飛びつく。
「?!」
「リリィ?!」
 目の前が真っ暗で、何も見えない。
「きゃーっ、マシュマロちゃんがリリィさんに!!」
 封隼がリリィの顔にはりついた何かをはがしてくれた。
 ニャーニャーと鳴くそれは、アテネがいつか拾ってきた子猫だった。
「ごめんね、ごめんね! マシュマロちゃん急に走り出しちゃって」
「絵麻みたいな奴だよな。まるで鉄砲玉」
 一緒に来たらしいシエルが、妙な例えを持ち出す。
「確かに」
 後ろにいた哉人と唯美が頷いて、全員で笑った。
「そういえば、アンタたち一緒だったの?」
 ひとしきり笑ったあとで、唯美が弟に話を振る。
「あ、いや……」
 なぜかしら封隼はうろたえた。
「あ、ひょっとしてお前、リリィのこと」
「……違う」
「何でどこもかしこも色めきたってんだよ……もうすぐ夏なのに」
「皆も外に出てたんだね」
 その言葉に、唯美は息をついた。
「リリィも気がついてたんなら教えてよ……バツが悪いったらありゃしな
い。そこの鈍感バカは全然気がついてなかったし」
「簡単にバカバカ言うなよ」
「2回も言ってないわ」
 唯美は言うと、そっぽを向いた。
「唯美ちゃん、子供っぽい」
「それアテネが言う?!」
 その絶妙なやり取りに、思わずリリィは吹き出してしまった。
「あ、リリィさん笑った♪」
「しかし、帰れないよな……どうする?」
「他に行く場所ないよね」
「野宿?」
「げっ」
「まあ夏も近いし。1晩くらいなら大丈夫だろ」
 哉人はもうあきらめているのか、しゃがんで芝生を確かめている。
「んー。雨も大丈夫そうね」
「アテネ、唯美ちゃんとリリィさんと一緒に寝るー」
 アテネがリリィの腕に飛びついてきて、にこっと笑う。
「大丈夫? 寒くない?」
「だって、ほら。マシュマロちゃん!」
「やれやれ……」
 唯美は肩をすくめたが、表情はどこか楽しげだった。
「じゃ、男どもそっちね」
「ちょっと待て! 野宿は100歩譲るけど、男3人まとめるのだけは止
めろ!」
 シエルが叫ぶ。横で哉人が頷いていた。
「だったらばらければいいじゃない」
「えー? アテネ、お兄ちゃんとも一緒がいい! 哉人くんも、封隼くん
も」
「アテネっ!!」
「本当に14か……?」
 そんなやり取りに、リリィはまた笑い出してしまった。
 この場所にいられる今が、とても幸せだと思った。
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