荷物の片付けは手が多かったせいかだいぶ早くに終わり、シスターたち は何度も何度もお礼を言ってくれた。 他の皆はそのまま帰ったのだが、絵麻はフォルテの見舞いに行った。 まだ熱があるようで、頬が赤く、片方だけの瞳はうるんでいる。 「フォルテ、食べたいものある? 一度帰って作ってくるよ」 「ううん……おみずがのみたい」 絵麻は机に置いてあった水差しからコップに水をつぐと、フォルテの体 を起こして飲ませてやった。 「しんどい?」 「うん。でも、リョウお姉ちゃんが、しずかにしてたら明日は元気だよっ て」 「そっか」 「絵麻お姉ちゃん。フォルテ……元気になったら、遊んでくれる?」 「うん。いっぱい遊ぼう」 そう言って額を撫ぜると、フォルテは安心したように目を閉じた。 絵麻はフォルテが眠るまで側にいて、看病をメアリーと代わって孤児院 を後にした。孤児院の入り口にあるトチの木の下で翔が待っていてくれた。 2人で並んで、5分の道のりを帰る。その間に、絵麻は翔に、さっき見 た幻の話をした。 「ユーリの幻?」 「うん。でも、ユーリは絶対庭にいたのに、ミオさんはユーリはいなかっ たって。幻と現実を同時に見ることってあるのかな?」 「どうなんだろう……僕は見たことないから。体験談でも調べてみようか な」 「どんどん幻が現実みたいになるの。そのうち逆になったりするのかな」 口にした自分の言葉に、絵麻は背筋を震わせた。 「逆に、って?」 翔が絵麻を覗き込む。 「幻が現実になるの。現実が幻みたいに消えちゃって……でも、今が消え ちゃうのは、怖い」 悲しい事ばかり映す幻に飲み込まれ、今が消えてしまったらどうなるの だろう。 この暖かく幸せな気持ちも、泡のようにはじけて消えてしまうのだろう か。 絵麻は自分の肩を抱いた。 「どうしたんだろう……凄く怖いの。消えるの、嫌だよ」 「消えるように思う?」 頷いた絵麻の目の前に、翔は火傷の手を差し出した。 「翔?」 「これ、嘘みたいでしょう? 現実にあるなんて信じられなくて、気がつ いたら消えてるんじゃないかなって何度か思った」 けれど、と翔は短く続けた。 「これは現実。現実ってかなりしっかりしてる。否定しても否定しても追 いかけてくるし」 「……」 「だから、そう簡単には消えないよ。僕らは今ここにこうして並んでるし、 帰ったらみんながいる。これが現実。ね、そうでしょう?」 翔はそう言って、絵麻を安心させるように笑いかけた。 「……」 静かに、絵麻は頷いた。 翔はいつも、自分の不安を全部見ていてくれる。見ていて、その不安を きちんと、絵麻が納得できるように取り去ってくれる。 「翔……」 「まだ怖い?」 「怖くない……けど」 次の瞬間、絵麻は翔に抱きしめられていた。 「わわっ……翔?!」 「嘘つかないで。震えてた」 「何でも見えちゃうんだね……」 ぎゅっとしがみつく。この場所はとても暖かい。 「これ、幻だったら嫌だな」 「現実だよ。ごめんね、相手が僕で」 「ううん……翔だから、だから、幻になってほしくない」 そのまま口づけようとした、その時。 ぱきんと、木の枝を踏む音がした。 その音に、2人はばっと体を離した。 その場にリリィがいて。彼女は焦ったような表情で、引き返そうとした ところのようで片足が反対側を向いていた。そのブーツのつま先が木の枝 を踏みつけていた。 「リリィ?!」 「ご、ごめんね?! 邪魔するつもりは全然なかったのよ?!」 「何でここに……」 「Mr.PEACEから連絡があって。絵麻に今すぐ、1人で来てほしい んだって」 「わたし?」 「Mr.が?」 そういえば、この前の夜にそんな事を言われたのだった。 「何で絵麻だけなのかわかんないんだけど……」 「前に話があったの。行ってくるね」 「1人で大丈夫?」 自分を気づかってくれた翔に、絵麻は笑顔で答えた。 「うん。大丈夫。いつまでも子供じゃないよ」 「そっか」 「帰りに夕飯の買い物して帰ってくるね。だから、少し遅くなるかも」 「わかった。夕飯は何?」 「そうだねー……肉じゃがにしよっか。翔、好きでしょ?」 「わあっ。楽しみ」 その時、リリィが咳払いした。 「あのね、いちゃつくなとは言わないけど、私がいるの忘れてない?」 「あ、ごめ……」 慌てて謝る絵麻だったが、頭を上げた時にはリリィはもう笑っていた。 「貴方たちらしくて好きだけどね」 そのまま3人でひとしきり笑ってから、絵麻は1人で元来た道を引き返 し、PCに向かった。 そして、彼女は第8寮に二度と戻らなかった。