その日の午後、絵麻は洋品店に買い物に訪れた。 エヴァーピースで服を買おうとすれば、ここか雑貨店になる。雑貨店は 下着などの生活雑貨系の物が中心なので、ジャケットだとこちらの店だっ た。 あれこれ引っ張ってきては、色や形を吟味してみる。自分にあまりセン スがないのはわかっているのだが、リリィに頼むのもなんとなくためらわ れた。 「どっちかな」 派手な色は避けた方がいい気がして、選んだのは紺と、もう1つは茶色 だった。しばらく考えてみる。 「うーん……こっちかな。翔って紺色似合いそうだし」 絵麻は選んだジャケットを手に取ったのだが、その時、横合いからその ジャケットを奪われた。 「?!」 びっくりしてそちらを見る。 自分より背の高い、黒髪を短く切り揃えた女性がそこで微笑んでいた。 翔がここ最近ずっと一緒にいる、絵麻が喫茶店で見た彼女だ。 女性は服をひっくり返してタグを見ると、ふんと笑った。 「サイズが間違ってるわよ」 「え? でも、ちゃんと」 「知らないの? 翔着太りするタイプだから、見かけよりもっと細いのよ。 だから、これよりワンサイズ下」 「……」 「それに、このデザインじゃ流行遅れよ。紺色ってのもダサいし。馬鹿み たい」 女性は足元にぽいと、ゴミでも投げ捨てるような造作で絵麻が選んだジャ ケットを放り投げた。 「あ……」 「翔に似合うのはこっちよ」 差し出されたのは、漆黒のジャケット。 絵麻が選んだものよりずっとセンスがよくて、絵麻が手が出ないほど値 段のいいものだった。 「でも、真っ黒だし。それじゃ、武装集団の色だし」 黒衣が全て悪いわけではないのだが、あまり黒い衣服は奇異な目で見ら れるのは確かだ。 抵抗したのはそれが理由じゃなかったかもしれない。翔を自分の物のよ うに言う彼女に、絵麻は確かに嫉妬していた。 「あら。翔にはぴったりだと思うけど?」 ジャケットを裏返して確かめながら、女性は言う。 そして、その後で彼女は真っ直ぐに絵麻を見つめた。 彼女の瞳は左右で色違いだった。杖をついている足と同じ、左側の灰色 の目は硝子玉のように淡い。 (あ、違う……) 間近で見て、絵麻は初めて女性の左目が義眼だと気づいた。 左目には感情が映っていないのだ。 それはとても空虚なものに思えた。 (この人、左側が不自由なんだ) そんな絵麻の感情は表情に出たらしい。女性は眉をつり上げた。 「翔はあんたにはふさわしくないわ」 胸を張って宣言する。 「……!」 今度は表情を凍らせた絵麻に、なおも彼女は続けた。 「ふさわしいのはこのわたしよ」 自信に裏づけされる笑みが、女性の表情に――左目以外の部分全てに現 れていた。 ふっと、絵麻は翔が義体の研究をしていたという話を思いだした。 それは、この女性のため? 「……失礼します」 絵麻は床に落ちたジャケットを拾って棚に戻すと、その場を駆け足で立 ち去った。 気持ちが動揺していたので、自分を愉快そうに見送るユキの視線には気 がつかなかった。 「あきらめたつもりだったんだけどな」 何でこんなに動揺しているんだろう。胸が痛いんだろう。 その夜、絵麻は夢を見た。 簡素な部屋で、白いサンドレスの少女――エマと軍服の青年――雷牙と が深刻な表情で向かい合っている。 「もう……やめるね」 エマの頬は泣き濡れていた。 「エマ」 ためらいがちに伸ばされた雷牙の手を、エマはゆっくりと遠ざける。 「逆らうのはやめる。受け入れるわ」 言ったそばから、頬に新たな涙がこぼれた。 彼女が受け入れようとしているのはそれほどに重いものだった。 それは世界を左右するものであり、同時に、少女の命に関わる問題だっ たから。 「わたしは『平和姫』になる」 「エマ!」 雷牙はたまらずにエマを抱き寄せた。 「嫌だよ。死なせたくない……君を死なせたくない」 「雷牙……」 「なんでエマがこんな目に遭うんだよ?!」 暖かい腕の中で、エマは泣いていた。雷牙もまた泣いていた。 目覚めた時、絵麻の頬もまた涙で濡れていた。 その時初めて、絵麻は夢の中の少女をうらやましいと思った。 愛する人と思いが通じ、抱きしめてもらえる少女がとてもうらやまし かった。