Love&Peace1部1章5
「それじゃあ、結女ちゃん、また明日ね」
「はいっ、今日もありがとうございました」
「バイバイ」
時刻は夜の12時。
マネージャーに車で送ってもらって、深川結女は都内のテレビ局から自宅へと帰って来た。
当然、家に明かりはついていない。
今家にいるのは3つ年下の妹、絵麻だけだ。もう眠っているだろう。
お子様だから。
結女は無言で玄関のドアを開け、ぱちんと電気のスイッチを入れる。
と、そこにひとりの人影が浮かび上がった。
「……何よ」
「お姉さん……」
その人影は、絵麻だった。
「お姉さん……」
帰って来た姉に向かい、絵麻は声を上げた。
乱れた髪と、リュックをしょったままの制服姿。
夕方に帰って来てから姉が戻る夜中まで、ずっと玄関に立ち尽くしていたのだ。
結女は流石に驚いたようにぽかんと口を開けていたが、すぐ閉じた。
「何? 何でそんな所にいるの?」
「ペンダントを返して……」
絵麻は結女にしがみついた。
「やだっ、離しなさいよ!」
「ペンダント、返して!!」
結女は絵麻を引き離そうとしたが、絵麻はそれでも結女にしがみつくことを止めなかった。
「ペンダント? そんなの知らないわよ。どーせどっかの縁日かなんかで当てたプラスチック製のオモチャでしょ?」
「……テレビ、見たよ」
絵麻は結女を強い瞳で見上げた。
「……テレビ?」
結女の形のいい眉が一瞬……ほんの一瞬だけぴくりと動く。
が、次の瞬間、結女はもういつものポーカーフェイスに戻っていた。
「そんなの、あたしはいつだって出てるじゃない」
「あのペンダントは、わたしが亡くなったお祖母ちゃんにもらったのよ!」
絵麻は結女を突き飛ばした。
「……ったいわね」
結女が大理石の玄関に尻もちをつく。
「顔にキズがついて、あたしの評判が落ちたらどうしてくれるのよ?!」
結女は目を細めて絵麻のことをにらんだのだが、もうその目と言葉の魔力は消えうせていた。
「……わたしはお姉さんの人気を高めるための道具じゃないんだよ?」
絵麻の茶水晶の瞳から、こらえ続けていた涙があふれる。
「今まではずっとガマンしてた……。そうしてればいつか、お姉さんがわたしを妹として大切にしてくれると思ってたから」
絵麻は涙をぬぐわずに続けた。
「けど、お姉さんはいつまでもわたしを召し使いみたいにしてるだけだから。
わたしはずっとガマンしてたけど、大切にしてるものを盗られてまでそうできるほどいい子じゃない」
「……」
結女は応えない。
「ペンダントを返して……どんなに高級なものかは知らないけど、それはわたしのものだよ? ずっと制服のポケットに入れてたし、裏には名前も彫ってあった。
それを盗って傷つけたんなら、お姉さんはドロボウと一緒……」
「……だから何だっていうのよ?!」
結女の瞳が殺気をはらんだ。
「それはあたしのものよ。あたしのクローゼットの中に入っていて、キズは一度地面に落とした時につけたの」
「違うわ!! お姉さんはウソまでつくの?」
絵麻は初めて姉をののしった。
怒鳴られると思った。けれど、結女は表情を変えない。すっと目を細めたまま、少し背の低い絵麻のことを黙って見据えている。
「そんなにまでして芸能人をやりたい? そこまでしないと注目し続けてもらえないの?!」
「……そうよ。そうしないと見続けてもらえないのョッ!!」
その瞬間、結女は初めて声を荒げた。
細い手を伸ばし、絵麻の髪をつかんでぐいぐいと引っ張る。
「お姉さん、痛い!!」
「アタシはたくさんの人から注目されたい。アンタと違ってルックスだけでも人はアタシを見てくれるけど、それだけじゃ見続けてはくれないのよッ!」
普段の結女より高く汚い、狂気に駆られたような声だった。
「だからアンタを引き合いに出した。全ては注目し続けてもらうため……考えてたより上手くいったわ。アンタがあんまりにもバカで、アタシとのギャップがあまりにも激しいから。
あのババアもすっごい絶妙のタイミングで変死してくれたしね」
結女は高笑いした。
人間として信じられないような、狂気じみた笑い方だった。
「お姉さん……そんな……」
絵麻は背中に冷たいものを感じていた。
この人は……私のお姉さんは……。
「わたしやお祖母ちゃんは道具だったの? 家族じゃなかったの?」
「家族? 何それ?」
結女が真顔で問い返したので、絵麻はぞっとなった。
「何って……」
「そんなもの、視聴率の何の足しにもなりゃしないじゃない。
ま、祖母だの妹だのって肩書きは結構使えたけど。所詮は名前だけの道具」
平然と言い切る結女の存在に、絵麻ははっきりと寒気を感じていた。
利用されていた事への怒りや恨みより、恐怖の方をずっと感じていた。
この人は……狂っている。
絵麻は動こうとしたのだが、座り込んだ姿勢のまま動くことができなかった。
そんな絵麻の表情を結女は満足気に見やると、自分の胸元に手を伸ばして、あのペンダントを取り出した。
「これ、返して欲しかったのよね」
結女はニヤリと唇を歪めると、鎖をはずして絵麻の首にまきつけた。
「お姉さん……?」
「はい、返してあげる」
結女は残忍に笑うと、その鎖を両手で引き絞った!
そう、首を絞めたのだ。
「え……っ?!」
絵麻は一瞬、自分の置かれている状態が理解できなかったのだが、結女の狂った目と目があった時に全てを理解した。
「深川結女の妹、謎の絞殺死体で発見! 呪われた一族の謎……ワイドショーのいいネタになれるじゃない。よかったわね」
「ま、だ……利……用……する……の?」
「決まってるじゃない」
結女は平然としていた。
「アンタは、アタシの人気を保つための道具の1つにすぎないんだから。勝手がよかったからよく使ったけど……ま、利用時間切れってとこかしら」
結女の表情は綺麗で、そして狂気に満ちていた。
「いい? 人って所詮は他人のこと、道具としてしか見ていないのよ。使い勝手がよければ利用するし、悪くなれば捨てる……常識よ。覚えときなさい」
「!」
絵麻の顔が酸欠で赤く変わり、次第に真っ青に染まっていく。
苦しさの中で絵麻が必死に伸ばした手を、結女は冷たく振りはらった。
「さよなら」
冷たく笑うと、結女はきりきりと鎖を絞め上げていった。
「……!」
口を開けているのに、酸素が入ってこない。意識が朦朧として、視界は水の中に放り込まれたように狭まり、霞んでいく。
「お、ねえ、さ……」
絵麻の薄暗くなった視界は一瞬だけ青く光り、そして暗転した。
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