桜の雨が降る------4部1章3

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 図書館は街の中心にほど近い表通りに面しているので、優桜がガイアでの住居である繁華街の近くの法律事務所に帰ろうとすると、少し歩くことになる。通りを渡っていると急に横からクラクションの音がして、優桜は慌てて剣を持ち直すと道の反対側まで走った。優桜のすぐ後ろを自動車が竜巻のような勢いで走っていく。ぱっと砂埃が舞って、優桜は剣を持っていない方の手で口を覆った。
「危ないなあ、もう」
 普段持ち慣れない剣を持っているから、とっさの場合にいつもより動けない。何だか悔しい。
 優桜の感覚では信じがたいことだが、ガイアでは自動車が一般化していない。車を所持しているのは富裕層のごくごく一部で、ほとんどの人がバスと電車を使っている。今いるのはガイアの首都なのでまだ車を見かけるようだが、それも大きな通りを歩いている時だけだ。しかも、信号がない場所が圧倒的に多く、こうやって突然車が現れてはクラクションで徒歩の人を蹴散らしていく。もしものことがあったらどうするのだろう?
 少し歩いた先の街角で、メリールウが待っていてくれた。
 メリールウはどんな場所にいても、瞬時にそれとわかる。異世界においても奇異な存在である褐色の肌と、背を包むように広がったイチゴのような赤い髪はふたつ合わさるととても目立つのだ。
 メリールウもすぐに優桜を見つけたらしい。彼女はおーいと呼ぶと、子供のような笑顔で両手を振った。
「ごめんね。待った?」
「ぜーんぜん」
「でも寒かったでしょ?」
 優桜は自分のカーディガンの前をかき合わせた。ガイアも現代と同じで、今は冬である。少し寒さは緩いように感じていたが、ここ数日は冷え込んでいる。
 なのに、メリールウはいつでも半袖のティーシャツと短いスカートで、健康的な腕も脚も露出したままだ。一度寒くないのか尋ねたら「どして?」とマジメに返されてしまった。納得の行かない優桜だったが、小学校の頃、学年にひとりはどんなに寒い日でも半袖半ズボンだった同級生がいたことを思い出し、きっとメリールウはそういうタイプなんだろうと思うことにした。もしかしたら放浪者は寒さに強い民族なのかもしれない。
 メリールウ・シウダーファレスは「放浪者(ワンダラー)」と呼ばれる一族の出身で、放浪者はかつて容姿と、独自の自然を愛する素朴な規範のせいで当時の王の不興をかい、理不尽に滅ぼされたのだという。メリールウはその迫害からかろうじて生き残った放浪者の子孫にあたり、その血と考え方の双方を色濃く受け継いでいる。
「ユーサ、寒いの? 今日はあったかスープにしよっか?」
 夕飯の買い物をするために優桜とメリールウは待ち合わせをしたのだ。今日はウッドとは約束をしていない。他に用事がなければ、優桜とメリールウは自分たちのアパートでふたりで夕ご飯を食べる。
「食べたい。この前のとっても美味しかった」
「じゃ、今日はあたしがお買い物するから、ユーサが作ってみてね」
「……がんばる」
 メリールウは最初こそ懇切丁寧に手伝ってくれるのだが、優桜が一度覚えたと判断すると、そのあとはほとんど手伝ってくれなくなる。その落差に手のひら返しをされたような気分になることがあるのだが、わからなくなってももう一度聞けばいつもの笑顔で教えてくれるので、めんどくさくなって手を切っているわけではないらしい。
 メリールウの行動はこんなふうに突飛で、優桜はよくわからなくなってしまうことが多々ある。今も周囲の目を気にせず、鼻歌など歌いながら歩いている。
「そこにお肉屋さんあるね。買っていっちゃおう!」
 普段は繁華街に近い雑居ビルの中で買い物をするのだが、図書館はそちらとは反対側になる。メリールウは弾むような足取りで肉屋に近づくと、他の買い物の人に混ざって店頭に並んだケースの中の肉を物色し始めた。時間柄なのか、それとも人気の店なのか、人がわりと多い。優桜も後を追いかけようと覚悟を決めた時、なぜか人混みがメリールウを中心にふたつに割れた。
 不思議に思いながらも、優桜はあっさりメリールウに追いついた。メリールウは何事もないような顔で、店員に肉を一包み売ってくれるよう頼んでいた。
 店員は短い茶色の髪をバンダナで包んだ、ひょろひょろに痩せた女だった。彼女はメリールウが示した肉を計る間、何か嫌な臭いでもするような顔で薄い唇をひき結んでいた。肉を計り終えると、彼女はメリールウが差し出した銀貨をつまみ、釣り銭を出してくるとメリールウの手のはるか高いところからそれを落とした。
「!」
 メリールウは何枚かはつかんだのだが、それでも銅貨が二枚ほどこぼれて路上に転がった。優桜も慌てて追いかける。無事に回収することができた。
「何今の」
「んー? でも買えてよかったね。いいお肉だよ」
 メリールウに銅貨を渡す。店はまた再び賑わいを取り戻していた。先ほどの女将もうって変わった笑顔で接客していた。
「ねえねえ、あの人おかしいよ!」
 幼い声に振り返ると、母親と買い物中らしい子供がメリールウを指さし、傍らの母親に訴えていた。母親は子供を別の場所に引っ張って行こうとしている。
「おかあさん、どうして? あの人はなんであんなにヘンな顔なの?」
「見ては駄目ですよ。あなたもああなってしまいますからね」
「ちょっ……」
 気色ばんだ優桜のカーディガンの袖に、メリールウが褐色の手をかけた。
「ユーサ、帰ろう? お肉が美味しくなくなっちゃう」
 メリールウはいつものように笑っていた。
 優桜は無言のうちに怒りと同情をこめて彼女を見たが、彼女からはいつもの笑顔しか読み取ることが出来なかった。
 早く帰りたいのかもしれないと、そう思った。法律事務所のあるビルの周囲なら、少なくともメリールウが仕事や買い物など、日常の行動をしていてこんな風にされることはない。盗難容疑がかかればまた別とはいえ。
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