もし、絵麻が考えたとおりにトゥレラを倒し、女の子たちを救うのが絵麻の役目だったとしたなら、絵麻はそれを果たした時点で祖母に会えるはずだった。
ところが絵麻には特に元の世界へ戻る前兆が訪れなかった。いきなり元の世界やあの暗い場所に飛ばされることもなく、ペンダントは錆びてしまったが、持っている限り翔たちの言葉がわからなくなることはなかった。離すとわからなくなるのもそのままだ。
ペンダントをポケットに入れても傷つかないように、リリィが袋を作ってくれると申し出てくれた。ペンダントは翔に教えてもらった方法で、錆を落とす処置をして眠る前にはハンカチで磨いている。錆は少し薄くなったように思う。
錆が全部なくなったら元の世界に戻れるのだろうか?
それは絵麻にはわからなかった。自分が元の世界に戻りたいかも、正直なところわからない。必要とされない居場所を捨ててここで一からやり直したいという気持ちもあるし、逆に自分を必要としてくれる場所を知っているから、もう元の世界に戻っても大丈夫だという気持ちもある。
今、絵麻は家事を手伝う約束を交わしてそのまま置いてもらっている。当番がぐっと楽になったと特に翔が大喜びしてくれた。
後から帰ってきた三人も、それぞれ特化した能力を持って極秘部隊に所属しているメンバーとのことだった。絵麻と同年代であるがゆえに食欲旺盛な彼らが帰ってくると、たちまち食卓は戦場と化した。
「翔、オメーそんなに食べる奴じゃなかっただろっ!」
「だって絵麻のご飯は美味しいんだもん」
「色ボケまで加わってんのかよ……終わったな」
「なになに、哉人もう食べないの? だったら僕がそのぶんもらう!」
作った夕飯が綺麗になくなるのが、絵麻にはとても嬉しかった。
ごちそうさまでした、と手を合わせる習慣が日本と同じだった。皿を片付けようと立ち上がりかけた絵麻を、隣にいたリリィが引き留めた。
「? なに?」
リリィが翔を見上げる。翔は心得たように冷蔵庫の前に行くと、扉を開けて中から白い箱を出してきた。翔が持ってきたのは知っているが、触らないでと言われたので手をつけていなかったものだ。
翔は箱をうやうやしげに捧げ持つと、絵麻の前に置いた。
「分量とか作り方とかリリィに手伝ってもらって調べて、今日やっと作れたんだ」
翔に促されて、絵麻は箱の蓋を開けた。
そこに入っていたのは、絵麻の顔くらいの大きさをしたケーキだった。
イチゴも何も乗っていない。表面のクリームは見事なでこぼこを描き、一ヶ所は上から何か落としたかのように大きくへこんでいる。
「え、翔が作ったの?」
「絵麻がケーキを作ってもらう約束をしたのに食べられなかった、って言ってたから」
翔とリリィが左右から笑いかけてくれたのに、絵麻は何も言うことができなかった。
お礼を言わなければとは思っているのに、先に涙が喉に詰まってしまって言葉が上手くでてこない。祖母は泣くのは恥ずかしいことだと言っていたけれど、この涙はきっと許してくれるだろう。
そのケーキはスポンジがぱさぱさで、クリームもやわらかすぎたけれど、祖母が絵麻に作ってくれた誕生日ケーキと同じくらいに美味しかった。
― Fin. ―