Love&Place------1部1章10

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『赤イ石……青イ石……』
 不気味な囁き声まで聞こえてきて、絵麻は建物の陰にぴったりと身を伏せた。
 幽霊だ。真っ黒のお化けだ。翔はこれが出てくることをわかっていたから、絵麻に隠れていろと言ったのだろうか。彼はどうしているの?
 絵麻は恐怖をこらえて、翔がいるであろう方向を覗き込んだ。彼はもう機械を手にしてはいなかった。かわりに手のひらに収まる大きさの、透明なケースを持っていた。中に緑色の何かが入っていることまでは絵麻の位置からでも確認できた。石だろうか?
 翔はそのケースを黒い影に向って掲げるように持つと、目を閉じた。
 次の瞬間、黒い影にむかって轟音と閃光が炸裂した。
 目の中に焼き付いてしまいそうな強い光に、絵麻は思わず腕で顔をかばった。その腕を熱い何かにぎゅっとつかまれる。
「きゃっ!」
 思いも寄らない熱に絵麻は声をあげた。その熱の主は絵麻の腕を引っ張り続ける。目にさっき少しだけ見えた光がまだらに残っていて、相手が誰なのかよくわからない。さっきのあの不気味な影なのだろうか?
「走って。早く!」
 翔の声がする。この手の主は翔のようだった。
 手を引かれるまま、絵麻は走った。上着を被っているせいもあって見えにくい視界と足場の悪さに何度もバランスを崩しかけたが、翔は今度は速度を緩めなかった。絵麻は何とか堪えて、被っているように言われた上着を離さないように気をつけた。守ってもらえるような気がして。
 かなり走ったところで、翔はようやく立ち止まった。
「大丈夫?」
 ずっと熱いままだった手が離れた。走っていたからとはいえ、かなりの熱をもった手だった。何となくその手を追いかけた絵麻は、予想していなかった光景に息を飲んだ。
 翔の手には皮膚がなかった。
 露出した肉は血の赤い色そのままだった。表面が薄い日ざしすら反射しててらてらとしていた。絵麻は生物教室に置いてあった人体模型を思いだした。
「ごめん。気持ち悪いよね」
 翔は手をポケットに隠した。少し痛そうに顔をしかめる。あれだけの怪我なのだから、今手をポケットに入れたらつらいだけだろう。
 絵麻は首を振った。
「気持ち悪くないです。だから、手を出して……それじゃ痛いから」
 翔は驚いたようだった。
「わたしがぶつかったから? それとも、さっきの光で?」
「ううん。子供の頃に事故に遭ったってだけで、痛むのも精神的なものなんだけど……でも、今はその話をしている場合じゃないね」
 翔は先ほどの方角を伺いながら言った。
 黒い影はもう人の形をしていなかった。けれど、完全に消えてはおらず、また徐々に集まり始めていた。
「絵麻はこのまま真っ直ぐ行って。シェルゼンの待避所はこっちにあるから。誰かに会ったら平和部隊の隊員がどこにいるかを聞いて、保護してもらうんだ。隊員になら話が通るように手配するから」
「翔は行かないの?」
 ここでひとりにされると怖い。また黒いのが出たら……。
「僕は食い止める。これがあるから僕のほうを追いかけるかもしれないし、僕は一応対処できるから」
 翔は言うと、ポケットから手を抜いて握っていたものを絵麻に渡した。
 それは石――宝石で、かなりの熱を持っていた。翔が持っていたからなのか、元々熱を発する性質があるのかまではわからなかった。
 濃い緑色の表面に、赤い斑紋が点々と飛び散っていた。さながら血飛沫を浴びたような不気味な石だった。
 ふと、絵麻は心の中に何かが引っかかるような感覚を覚えた。
(あれ?)
 石を確認してみる。それは手の中で震えているようだった。石が動いていると言うより、絵麻の体の中の何かと共鳴して、内側から一緒に振動しているかのようだった。
「あの、この石おかしい――」
 絵麻は石を放り出そうとしたのだが、それをする前に石が絵麻の手の中に潜り込んだ。
 何の違和感もなかった。魚が水に潜っていくときのような自然さで、同時に絵麻の中の震えもぴたりと収まった。
「え」
 翔は目を丸くした。
「落としてない、よね」
 絵麻は地面を見回したが、それらしいものは落ちていない。
 翔は再度、機械を取り出すと何かを操作した。機械を見る目が険しくなる。
「参ったな……」
 そう言って息をつくと、彼は心底困ったように額を抑えて目を閉じた。
「ごめんなさい」
 絵麻は慌てて謝った。大切なものだったのだろうか。
 翔はしばらく困ったように口をつぐんでいたが、やがて絵麻に目を向け、きっぱりと言った。
「目的地変更。僕についてきて」
「え? さっきはひとりでって」
「とにかく、ごま……何とかしなきゃ」
 翔は絵麻に被せていた上着を取ると、胸ポケットを探って小さな球体を取り出した。半透明の黄色で、中に液体と何かの破片が混ぜ合わされて入っていた。
「翔?」
「とにかく、後! 全部後で説明するよ」
 彼はその球体を地面に叩きつけた。ちょうど絵麻と翔の間の位置で割れて、そこから二人を包むように光が立ち上がる。
「なっ、何?」
 怯えた絵麻に、翔が言った。
「大丈夫だよ。怖いことはないから」
 彼の声は優しくて、絵麻はなぜか、その言葉を素直に信じられた。
 目の前が光の色に霞んで見えなくなる。一瞬だけ浮遊感があって、気づくと絵麻は先ほどまでの焼け野原と全く違った、森の中にいた。
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