Love&Place------1部1章1

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1章 芸能界と女子高生

 けたたましく響いていた遮断機の警報音が消えた。
 待ちかねたように、人々が線路を踏み越していく。その人混みに紛れて少女もまた道を渡る。向こう側から来た人が、少女にじろじろと無遠慮な視線を注ぐ。
 少女は、特に目立った容姿をしているわけではなかった。線路を越えた少し先にある高校の制服姿で、学校指定の鞄を持っている。髪も黒くて染めてさえおらず、肩を覆うか覆わないかのところで揺れていた。髪の左側だけにヘアピンをふたつ留めているのが変わっているといえば変わっているのだろうか。
 伏し目がちな少女は、人がいない場所ではなく、むしろ人と同じになる場所を選んで歩いているかのようだった。まるでその中に紛れて逃げてしまいたいかのように。
「見て見て! あの子、テレビに出てる子じゃない?」
 向かい側から連れ立って歩いてきた、少女とは別の制服を着た女子学生が黄色い声をあげ、お互いをつつき合う。後ろから来た人が学生にぶつかり、振り返った人たちにもざわめきが広がる。
「深川絵麻だ」
「ああ、あのタレントの深川結女の妹の」
 視線が集まってくる。
 少女がぎこちない笑みを返すと、視線は冷たくなった。
「何笑ってるの? 気持ち悪い」
「アイツ、おばあちゃんの葬式サボったんだろ。最低だな」
 悪意を向けられても、少女はただ笑っていた。微笑みながら学校へと向かう。アスファルトに当たった靴底が重い音を立てた。

*****

 少女の名前は深川絵麻という。
 今年の春に地元の中学校を卒業し、今向かっている県立高校に進学した。自分ではごく普通の高校生だと思っているが、おそらくは違う。
 絵麻には三歳年の離れた姉がいる。名前は結女。今年から最難関と謳われる国立大学に在籍している。絵麻の通う高校の偏差値は県内で下から数えた方が早いので、もしかしたらこの部分だけでも比較の対象かもしれない。
 姉は、子供の頃からテレビに出演している。
 絵麻は覚えていないのだが、小学校の頃に現在所属している芸能プロダクションから声がかかったらしい。最初から爆発的な人気があったわけではなく、近年の学歴タレントブームに乗る形で売り出し、成功したようだった。今では姉は家に寝に帰ってきているようなものになるほど忙しくしている。
 絵麻はごく平凡な顔形の娘だが、結女は違う。髪は色こそ絵麻とよく似ているが、絵麻より艶やかで長い。それが長身に実に似合っている。どちらかといえばどんぐりまなこの絵麻と違った切れ長の目で、一見すると知的で涼やかな美女だ。それでいて語り出せば愛嬌も華もあり、学歴に裏付けされた知性もあって実に魅力的なのだ。
 テレビ画面の向こう側にいる人間としては申し分ない。姉は人気者だ。でも、自分は。
 ぼんやりとそんなことを思ううちに、学校についていた。絵麻が通う県立竹島高校は戦時中からある校舎をそのまま使用している。当時、大きな建物は空襲の標的になりやすかったということで、少しでも目立たなくなるようにと屋上から炭を流したそうで、その名残で今でも校舎の壁はまだらな灰色になっている。暗く古い印象の校舎と対照的に、そこに入っていく生徒達の髪は鮮やかな茶色が多く、女子生徒はみなスカートを短くし健康的な足を露出している。校則で定められている衣替えが終わった直後なので絵麻はブレザーを着ているが、まだ暑さの残る時期ということもあり、女子生徒達はほとんどがブラウスだけか、制服にはないベストを着用していた。流行っているらしい。
 ほとんどの生徒が友達と連れ立ち、笑いさざめきながら登校している光景の中で、絵麻は静かだった。誰とも話さず、目も合わせないようにして自分のロッカーに向かう。
 ロッカーで靴を履き替えていると、生徒達が囁きかわす声がどこからともなく聞こえてきた。
「……ほら、あの子だよ。一年の」
「ええっ? 嘘でしょ? 芸能人の妹がこんなトコにいるわけないって」
「でもほら。あの子のロッカー深川ってなってるじゃん」
「芸能人のサインで壁が埋まってるってマジなんかな」
 この高校のロッカーはクラスと出席番号、名前を書いたカードを差し入れするように決められている。学年が上がるとカードの色が変わるということだった。今の絵麻のロッカーのカードは薄い緑色だ。
 絵麻はこのロッカーが好きではない。中に姉宛のファンレターや、アイドルグループのサインをもらってこいというメモが入っていたことがあるからだ。学校側で決められている錠は男子生徒が渾身の力で引っ張ると壊せるらしい。高校生にもなれば大人とそう変わりない体格の男子はちらほらといる。絵麻の知り合いにはいないので試したことがなく、実際どうなのかはわからない。
 潜めているのかそうでないのかわからない囁きはいつものことだ。そちらを振り返れば、数人のグループがいるのが確認できるが彼女らは絵麻と目を合わせることなく逃げていくか、逆に威圧的な態度を絵麻に向ける。または妙に馴れ馴れしくされる。最初は嫌で嫌で仕方なかったが、いつの間にか慣れてしまった。だからといって傷つかないわけではない。
 絵麻は静かな表情のまま上履きに履き替え、教室に向かおうとした。その背中に女子生徒の声が突き刺さる。
「あの子お祖母ちゃんのお葬式サボったんでしょ?」
「マジ最悪だよね。お高くとまってんじゃないわよ! ってカンジ」
「有名なのはお姉さんなのに。ふざけすぎてるよねあの人」
 その時初めて、ずっと静かだった絵麻の表情が歪んだ。
 ふざけているのはどちらだと叫びたかった。自分と祖母のことを何も知らないのに。姉のことだって何もわかっていないのに。
 けれど、絵麻は何も言い返すことができない。姉の評判がかかっているから。
 だから絵麻は笑った。口の端だけを僅かに上にあげて。
 そうして静かに教室に向かった絵麻の背に、容赦ない囁きが突き刺さる。
「見た? アイツ笑ってたよ」
「ホント偉そうだよね。そんなんだから愚妹って言われてるのわかってんのかなあ」
「結女ちゃんが可哀想」
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