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 リリィが目を覚ますと、そこは自分が使っている部屋のベッドだった。
「リリィ、気がついた?」
 部屋の中にはリョウと、それから唯美がいた。
 体を起こす。すんなりと動くことができた。
「どう、し、て……」
 リリィは喉を押さえた。声ががさがさにひび割れている。
「私の、声……」
「大丈夫。少し声帯が傷ついただけ……もう少しだけ、しゃべるのを控え
ていてくれれば治るから。声、ちゃんと出るようになるから」
「どうして、私生きてるの……?」
 喉を刺したんだから死んだはずだ。けれど、喉には傷跡一つない。
「絵麻が手当てしたのよ」
「絵麻が?」
「能力使ったみたい……ペンダントを握って、リリィの側に倒れてた」
「倒れてたって、絵麻は?」
「自分の部屋で寝てるよ。あっちのが重態」
 発見された時には心肺停止状態だったと、唯美は言い添えた。
「そんな……」
「幸い、蘇生できたんだけどね」
 リョウとアテネで交替で人工呼吸と心臓マッサージをし、何とか息を吹
き返させた。そこからリョウはがむしゃらにヒールを使い、死の淵から引
き上げたのだ。
 今、絵麻は翔に付き添われて眠っている。
 リリィはそれを聞くと息をついた。
 そして、白い手でかけ布団をぎゅっと握りしめた。
「どうして死なせてくれなかったの?」
「え?」
「助けてなんて頼んでないわ! 私、死にたかったのに……」
 自分は汚れているから、生きている価値はない。
 恥ずかしくて、もう誰とも顔を合わせられない。
「リリィ」
 それだけ言ってうつむいたリリィに、リョウはかける言葉がなかった。
「皆が知ってるわけじゃない……あたしたちだけだから」
 けれど、それでも嫌だという事ぐらいリョウは痛いほどわかっていた。
「死にたきゃ死ねば? 止めないよ」
「唯美!」
 その時唯美が思わぬ事をいい、リョウは慌てて彼女の口をふさごうとし
た。
 が、唯美はその手を振り払って。
「リリィが死にたいっていうんだから、アタシは止めない。好きにしな
よ。誰も止めないし誰も助けない」
 リリィのかけ布団を握る手が震える。
「けど、死にたい理由が『自分は汚れてるから、周りのキレイな人とはい
られない』っていうのだったら、アタシも自殺しなきゃなんなくなる」
 目をあげたリリィに、唯美は少しためらってから言った。
「リリィ、アタシも同じなんだよ」
「え……」
「諜報員で女っていったら、やっぱり……ね。ほら、アタシ可愛いじ
ゃん?」
 唯美は強引に笑い飛ばした。
 けれど、それは笑い事じゃない。リリィがいちばん知っている。
「唯美……」
「アタシもね、自分が凄く汚れた存在になったみたいで、しばらく何も食
べれなかったし、死んじゃいたいって思ってたこともあったよ。
 けど、弟に会いたくて。それに、アタシと弟の事、母様と父様が命がけ
で守ってくれた。だから、死ねなくて」
 その弟を自分で殺そうとしたのは、とんでもない話だけど。
「アタシさ、今わりと幸せなのよ。だから、リリィにも生きてて欲しい。
ツライけど、生きてればいつか笑い話にできるから」
「それはあたしも賛成」
 リョウが笑う。
「リリィ、あたしが信也だけしか知らないと思う?」
「違うの?」
「残念ながら、ね。あたしもリリィが思うほどキレイな存在じゃない」
 リョウは一瞬だけ紫色の目を伏せたが、あえて明るく言った。
「だいたい、男の人に抱かれたら汚れるなんて誰が決めたの? 男にはそ
んな話ないのに」
「不公平よね」
「男性の場合、種を滅亡させないための本能って説があるけど」
「そもそも、そんな乱れた遺伝子残したって、どっちみち滅ぶだけよ」
 唯美は手厳しい。
 そこに、アテネが入ってきた。
 アテネはベッドの上に起き上がっているリリィを見ると、みるみる涙ぐ
んだ。
「リリィさんっ!」
 叫んで、飛びつく。リリィは倒れそうになったのだが、何とか受け止め
た。
「ごめんね、ごめんね! ごめんね!!」
「アテネ」
「戻ってきてくれてよかったよぉ……」
 そのまま幼子のように泣きじゃくる。
「ねえ……アンタ、ホントに14?」
「もうすぐお誕生日だから15歳だよ。本当のお誕生日じゃないけど」
「アンタが封隼より年上ってのが信じられないわ」
 唯美がやれやれと息をつく。
「あ、そうだ。封隼くん」
「アテネ」
 リョウがそれ以上言うなと、厳しい声を出す。今のリリィには、男の人
の話はつらい。
 事実、リリィはうつむいてしまっていた。
「リリィ、NONET抜ける?」
 リョウの声に、リリィは顔を上げた。
「他の寮に変わったっていいし、PCの支部に転勤願を出したっていい
し。1人暮らしが寂しかったら、あたしたち、唯美に送ってもらって交替
で泊まりに行くよ。食事は絵麻に余分に作ってもらって」
「でも、それだと困っちゃうよ」
「アテネ?」
「リリィさんと一緒にいたいよ。絵麻ちゃんだってそうだよ。それに、封
隼くん……死んじゃうかも」
「え?」
 アテネはしゅんと、困ったような悲しそうな表情になった。
「あのバカ、また何かやったの?」
「リリィさんがこうなったの自分のせいだって言って、もう薬使わないっ
て言って、点滴の管、自分で抜いちゃうの」
「病気が悪化するだけじゃないのっ!!」
 唯美の姿が部屋から消える。階下で何かがひっくり返る派手な音がした
から、瞬間移動したのだろう。
「……」
「あのね。みんな自分のせいだって言ったの。お兄ちゃんも、哉人くんも、
信也さんも、翔さんも。でも、封隼くんがいちばん後悔してた。だって、
泣いてたもの」
「アテネ」
 リョウがアテネの口をふさぐ。
「もがっ」
 それから困ったように、リリィを見た。
「あの子、泣いてたの……?」
 口をふさがれたまま、アテネはこくりと頷く。
「封隼、関係ないのに」
 何で、彼は自分を悪役にしてしまうのだろう。自虐癖でもあるんだろう
か。
 だとしたら……放っておけない。
 リリィはベッドから降りた。
「リリィ?」
「リョウ……私、生きていてもいいと思う?」
「リリィ」
「皆の前に出てもいいと思う?」
 新緑の色の瞳が、不安そうに揺れている。
「決まってるでしょ」
 リョウはリリィを引き寄せると、ぎゅっと抱きしめた。
「お帰りなさい、リリィ」
「皆、待ってたんだよ! とってもとっても心配したんだから!!」
 2人の間に挟まれたアテネが、一生懸命顔を上げて笑う。
「……ただいま」
 リリィの頬を、涙が伝った。
 泣きながら笑う彼女の表情は、今までのどんな表情より綺麗だった。
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