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 次の場面は、花の咲きみだれる豪奢な庭園だった。
「ふふ……あははは」
 小さな女の子が、笑い声をあげてその庭で遊んでいる。
 花を摘んだり、ひらひらと舞う奇跡のように大きな蝶をつかまえようとした
り。
 女の子が着ている服はフリルや飾りのたっぷりついた、遠目にも高級品だと
わかるものだった。
 胸元につけられたブローチには、貴族が好む蒼色の貴石がはめこまれている。
 女の子の頬は血色のいいピンク色で、ふわふわの髪にも光沢がある。
 栄養状態がよいのは明らかだ。
 どこからどうみても、幸せな貴族のお嬢様である。
 女の子のまとう色が、北部人の証であるプラチナの髪と青い瞳だということ
をのぞけば。
 見る人が見ればすぐにこの路軸は見抜けるだろう。
 女の子は、貴族が貧しい北部から戯れに買い上げた人形。この花咲く庭園は、
女の子を飼い殺しにするための檻。
 と、笑っていた女の子が、急に蝶を追いかけるのを止めて立ち止まった。
「……」
 とても悲しそうにふさぎこんで、女の子は木立の陰にしゃがみこむ。
 その時、金髪蒼眼の、いかにも貴族然とした女性が菓子のトレイを押して花
庭に出て来た。
「アテナイ? お茶にしましょう?」
「おかあさま」
 女の子はとことこと女性――おそらく養母に歩み寄った。
 ほんの気まぐれに思いついて、貧しかった女の子に菓子を恵んでやるつもり
にでもなったのだろう。
「これ、みんなアテネ……じゃない、アテナイのなの?」
「そうよ? 凄いでしょう? 好きなだけ食べていいのよ?」
 女の子は目を輝かせて次々に菓子を頬張ったのだが、5つほど食べたところ
で急に目を伏せた。
「アテナイ?」
「……美味しくない」
「何ですって?!」
「どんなに美味しいお菓子があっても、お兄ちゃんがいなくちゃ美味しくない
よ。
  どんなに遊び道具があったって、お兄ちゃんがいなきゃ楽しくないよ!
 ねえ、アテネはいつお兄ちゃんに会えるの?!」
 いやいやをするように、女の子は首を振る。
 養母は蒼白な顔付きになって女の子を見つめていたが、やがて薄い唇を一文
字に引き結ぶと女の子の頬を打った。
「……!」
「貴族様に何を逆らうの。食べさせてもらって、着させてもらって!!
お前なんか所詮は貧しい北部人の孤児じゃない。私たち貴族が養ってやらなけ
ればのたれ死ぬ平民じゃない!!」

 パチン。

「痛い! 痛いよ、おかあさま!!」

 パチン。

「やめてぇっ!」

 パチン。

 養母はどこか楽しげな笑みを浮かべながら女の子を打った。
 髪を引っ張って顔を上げさせ、頬を平手打ちにする。
 女の子は逃れようと必死にばたばたしていたのだが、そうするたびに養母の
暴力は激しさを増していった。
 日が傾き、女の子の頬が真っ赤に腫れ上がり、綺麗だった衣服がぼろぼろに
なったところで養母はようやく折檻を止めた。
 女の子は地面に座り込んでいる。
「ふん。覚えておきなさい。お前も、お前の兄だった子供も、貴族様の慈悲な
しには生きられない虫けら同然の存在だってことをね」
「……」
 そう言って養母は花庭をあとにした。
「……お兄ちゃん……」
 女の子が小さく呟いて、足元にあった小さな青色の花の茎に指をかける。
「ねえ、アテネが我慢すれば、いつかは会えるようになるのかな……」
 ぷつっと音をたてて、青い花が地面に落ちた。
 兄や自分の目と、同じ色の花。
 女の子はその花を拾い上げ、語りかける。
「ねえ、お兄ちゃん。アテネにママとパパがいないのは本当だけど……でも、
虫けらじゃないよね?」
 花は答えない。
「ねえ、アテネも、お兄ちゃんも……人間だよね? そうだよね?」
 女の子の瞳からあふれた涙が腫れた頬をつたい、花をひたしていた。
「ねえ、答えて。お兄ちゃん!!」
 女の子が悲鳴をあげて、地面につっぷす。
 そこで、場面がぷつりと切り替わった。
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