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「アハハ、死になさい!!」
 パンドラの宣告とともに、死の指先が振り下ろされる。
 彼女の顔中に広がる笑いが、確実に1つの命の終わりを示していた。
 けれど……けれど。
  『奇跡』という言葉がある。
 常識では考えられない神秘的な出来事。
 既知の自然法則を超越した不思議な現象で、宗教的真理の徴と見なされるもの。
  『願えばかなう』と、そう強く信じられているもの……!
 パンドラの放った闇が、翔の体を引き裂こうとする。
 絶対に外すことのない至近距離のはずだった。
 それなのに……できなかった。
「?!」
  淡い虹色の光が、翔の体を包みこんでいる。
 パンドラの全てを破壊する闇とは対照的な、全てを守ろうとするような『光』
だ。
「こんな手段を隠してたなんて……」
 パンドラは闇の力を強める。強く強く……この場を破壊してしまうくらいに。
 なのに、強めれば強めるほど、虹色の光も呼応するように輝きを増していった。
 その光が発する波動に気づき、パンドラは驚愕した。
「!!  これは……」
 パワーストーンの波動だ。
 今にも消えそうに淡く……それでいて強い輝きを宿している。
(この波動は?!  一体何でここに)
 パンドラは波動の主を探して視線をめぐらす。
 目の前の翔ではない。少し離れた場所に倒れている金髪の少女でもない。
(まさか……)
 ある種の天啓のような物を感じて、パンドラは振り向いた。
 そこには、ポケットに手をいれたまま倒れている絵麻がいた。
 淡くはあったが、彼女のポケットに光の核があるのが見てとれる。
 光が絵麻の容姿を闇に映し出す。
 肩までの真っすぐな黒髪をした、16歳前後の少女。
「……あんたは!!」
 パンドラの赫い瞳が、驚愕から憎しみの色へと染めぬかれた。

「お戻りになられましたか?」
 照明をつけた執務室で明日用の資料をそろえていたユーリは、ドアの開く音に
気づいて振り返った。
「ああ。今帰った」
 そこに立っていたのは、30代半ばくらいの男性。
 2メートルに届きそうな長身。鋭い目つきで人を見下ろす威容の人物だ。
 着ている大振りのコートがその印象を強くする。
 男はそのコートを脱ぐと、ユーリが資料をそろえていた机に座った。
「国府議会との会談はどうでしたか?  Mr」
 ユーリが静かな微笑みで『彼』の名を呼ぶ。
 この人物こそが平和部隊PC総帥、『Mr.PEACE』。
 PCの最高権威者にして統轄者。各地のPCを巡察して管理するのが主な仕事
だが、このように国府との会議に出向いたりもする。
「普段とかわらんさ。国府の奴らはいつも自分の利益ばかり押し付けてくる」
 Mrは苦いものを吐き出すように言った。
「『もっと兵力を増加しては?』だと。奴らは戦場の矢面に立ったことがない
からな。論理ばかりで話にならん」
「私を連れて行ってくださればいくらでも代わりに交渉しましたのに」
「そう思ったんだがな。お前にはここに残っていて欲しかったんだ」
  Mrはそういうと、おもむろに視線を上げた。
「『彼ら』はどうなった?」
 それが翔以下『NONET』を指しているのは、2人にとって暗黙の了解だっ
た。
「翔くんは戻っていましたよ。今朝廊下で会ったので、レポートを提出するよ
うに通達しておきました」
「確か、同時に2件の依頼を出したんだったな。残りの方は?」
「シエルくんと哉人くん、それに唯美ちゃんの3人が行ったみたいですけど、
まだ戻っていないようですね。無断欠勤の連絡が来ています」
「もう3日経つぞ?  あの面子にまかせたことが問題じゃないか?」
「では、信也くんにそう連絡しておきましょう」
 Mrが眉を寄せるのを見て、ユーリはそう提案した。
 Mr.PEACEはPCの広告塔として、公には戦場に赴かない。
 これは『平和を謳う人間がなぜ人殺しをするのか』という国府高官の矛盾した
正論から遠ざかるためである。
 しかし、本当に遠ざかってしまえば国府同様、ただの傍観者となってしまう。
 そこで代々の『Mr.PEACE』は、秘密裏にもう1つの役割を担った。
 すなわち、自分の自由に戦場で動かせる直属の部下を持つこと。
 それがNONETである。
 この件は合法的なPCの理に反して非合法なので、当事者と管轄者であるMr
以外ではユーリしか知らない。
 Mrは情報を集める。ユーリは情報を整理し、必要なものだけをNONETに
降ろす。実行するのがNONET、というわけだ。
 ユーリは重要なパイプラインを任されているのである。
「しかし、よく彼らを見つけることができましたよね。私は今でも不思議に思
うんですよ」
「これのお陰だ」
 ユーリの疑問に、Mrは椅子にかけたコートから古びた懐中時計を取り出した。
 かなりの年代物なのだろう。金色をしているのだが輝きは鈍く、あちこちに凹
凸が刻まれている。
 Mrがふたを開けると、その裏には緑と紫からなる結晶の石が一面にはめこま
れていた。
 翔が持っている振り子と同じ石だが、ずっと澄んだ色をしていて。のぞいたユ
ーリの銀髪を鮮やかに映し出す。
「これは……蛍石(フローライト)ですか?」
「そうだ」
  Mrがおもむろに頷く。
「代々の『Mr.PEACE』に受け継がれているものだ。うちの家系にはこ
の石と同調する素質が伝わっているらしくてな」
「『マスター』の家系ということですか?」
「そうだ」
 Mrは磨きこまれた机の上に懐中時計を乗せると、手をかざした。
「この石は同調することでパワーストーンの波動を感じられるようになる。念
じれば、今ここで翔たちの波動を再現することも可能だ」
 Mrは目を閉じ、意識を集中させる。
 見守るユーリの前で、緑と紫からなる結晶の上に、雷を思わせる青白色の光が
小さく踊った。
「これが、翔くんの?」
「ここからはかなり離れているが。リリィが近くにいるな。見えないが冷たい
感触がある。そしてあと2つ……」
 そこまで言った時、Mrの表情が凍りついた。
「Mr?」
「これは……この波動は」
 Mrの凍りついた視線の先を追ったユーリも、思わず息を飲む。
 澄み渡っていたはずの結晶板の一点に、闇がこびりついている。
 それが、青白色の光を飲み込もうとしている。
「闇?  まさか、Mr?!」
 ユーリは弾かれたように顔を上げた。
「この波動……間違いなく『不和姫』だ。どうして」
「そんな、早く助けないと!」
「だが、今からどれだけ急いだとしても」
 Mrの重いつぶやきが聞こえた、次の瞬間。

 結晶板が虹色の輝きを放った。

「え……」
 淡い光が結晶板から発されている。
 今にも消えてしまいそうに儚いのに、全てを包みこみ、守るかのように優しい。
 世界中の色を集めたような虹色の輝き。なのに決して、闇にはならない。
 不思議な暖かさがそこにあった。
「これは?」
 ユーリはMrに問いかけたが、返答はなかった。
 表情を確かめようとのぞきこむと、そこには今まで見たこともないほど複雑な
顔をしたMrがいた。
 混乱。安堵。喜び。責任。痛みと哀しみ。
「Mr?  どうかされましたか?!」
 ユーリの問いかけにMrが答えることはなかった。
 ユーリが聞いたのは、この一言だけ。
「時が、満ちた……」
 注意していなければ聞き逃すような、そんな一言だった。
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