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「アテネがウェイクフィールドの家の子供になれば、孤児院はお金がいっぱい
になるんだって育ててくれた先生が言ったよ。だからアテネ、ここの家の子供
になったの。本当は他になりたいものもあったけど」
  声は細くて、途切れがちだった。
  その話は絵麻と哉人が想像していた通りのものだった。
  この子は身売りをしたのだ。
  お金になるという……それでも侮蔑される容姿と引き換えに。
「でも……でもね。アテネは平気だよ。お義父さまもお義母さまもよくしてく
れるから。大きな部屋に住ませてくれて、ぬいぐるみもドレスも、欲しいもの
何だって買ってくれるよ。秘密の部屋だって見せてもらったもの」
  アテネは必死に言った。自分は幸せなんだと信じこもうとするように。
「秘密の部屋?」
「うん」
  アテネは顔をあげた。
「この屋敷の北側の地下にね、宝物の部屋があるの。綺麗なパワーストーンが
いっぱいあるのよ。金庫があって、いちばん重要な石を入れておくんだってお
義父さまが得意そうにしてた」
「そこだ……」
  哉人が低く呟く。
「そこにはどうやって行くんだ?  ここから行けるのか?」
「えっと、廊下に出て、居間を抜けて行くんだけど……今日はダメよ!  屋敷
の中、人がいっぱいで危ないから」
「お前はいつもいけるの?」
「ううん。お義父さまの機嫌がいい時だけ……機嫌が悪いと部屋から出しても
らえなくなっちゃうから」
「さっき、ずいぶんあたられてたものね」
「それは……機嫌が悪かったから」
「機嫌が悪いと、どうなるの?」
「……ごはんもらえなかったり、ぶたれたりする」
  肩が小刻みに震えている。
  絵麻はアテネがどんな気持ちでいるかわかると思った。
  アテネの受けている待遇は、前の自分と同じ。
  姉の機嫌に翻弄されて生きていた、数カ月前の自分。
「ねえ、哉人。この子連れて帰ったらダメ?」
「は?」
「可哀想だよ。哉人だって見たでしょ?  貴族がこの子にどんなに辛くあたる
か」
「確かに……」
「でしょ?  アテネちゃん、わたしたちと一緒に行こう?」
  当然頷いてくれると思っていた。
  だけど。
「ううん」
  アテネは首を横に振った。
「アテネはいかない。ここにいる」
「え?」
  どうして、と問いかけると、アテネは頑なに首を振った。
「ここにいなきゃいけないの。そうしないと、お兄ちゃんが……」
「お兄ちゃん?」
  その時だった。
「哉人、絵麻!  中にいるのか?」
  ベランダから、低く押し殺したような声がした。
「シエル?!」
  慌てて絵麻は飛んでいって、ベランダの鍵をはずす。と、シエルが中に転が
りこんできた。
  深緑のパーカーが血で濡れている。
「大丈夫?!  シエル、血が……」
「シエル?」
  呼ばれた名前に、アテネが敏感に顔を上げた。
「ああ。返り血だよ。オレはぴんぴんしてる。お前らが中に入っていくのが見
えたから」
  シエルが片方だけの左手で、ぱたぱたとパーカーの乾いた部分をはたく。
「そうなんだ……」
「お兄ちゃん!」
  その動作をじっとみつめていたアテネが、甲高く叫んだ。
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