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  視界がきくようになると、絵麻は自分たちが頑丈そうな煉瓦の塀の前にいる
ことに気がついた。
  塀の上には侵入者避けの、綺麗だが鋭い柵がついている。
  ちらりと見える建物は孤児院や第8寮など想像もつかないほど豪華な作りに
なっていた。
 ベランダや塔がついているし、壁がはがれた様子もない。
  建物自体が高台にあるらしく、視線を少しずらすと町らしい明かりがぽつぽ
つと見えた。
「ここが、その貴族の屋敷なの?」
「そうだろうな」
  哉人はプリントしてあった資料を引っ張り出している。
「確認しなくても雰囲気充分じゃん。高台の屋敷って」
「?  そうなの?」
「煙とバカは高いところが好きだっていうだろ?  貴族は平民を見下ろしたいっ
て理由でわざと高台選んで屋敷建てるんだよ。町から離れてれば仮に町本体が
襲われても、その間に自分たちは逃げればいいってハラもあるしな」
「……」
「いくぞ」
  確認を終えたらしく、哉人はヨーヨーの中からワイヤーを引き出すと、塀の
上の柵に絡めた。
  そのままワイヤーとレンガを足がかりにして、さっさと塀を登っていく。
「ほら」
  あっと言う間に登り終え、哉人はワイヤーを絵麻に投げてよこした。
  哉人がやっていたように登ろうとする。しかし、ワイヤーは思いのほか細く
て手にきつく食い込み、それが痛みになってなかなか登れない。
「あ……痛ッ」
「登れないのか?」
  何度目かに失敗した時に、哉人が呆れ返ったような侮蔑の声を投げかけて来
た。
「うん」
  ものすごい失敗をしてしまったような気がして、絵麻は頷く。
「ったく、コレだから……」
  哉人は塀の上でぶつぶつ言っていたのだが、それでも手を差し出してくれた。
「これなら大丈夫なんだろ?」
「ありがと……」
「礼はいいから、さっさと上がる」
  哉人の手につかまって、絵麻は煉瓦塀を登った。今度は楽に登れた。
(冷たいの。翔だったらもっと……)
  登ってからふとそんなイメージが頭を掠め、絵麻はどきりとする。
(あれ?  何でこんなとこに翔が出てくるの?)
  絵麻の物思いに気づく事なく、哉人はシエルに向けてワイヤーを投げた。
「まさかお前まで『登れない』とは言わないよな?」
「誰がいうかよ」
  シエルはワイヤーを受け取ると、2、3回腕のない右側にバランスを崩して
転んだのだが、それでも自力で登って来た。
  哉人がワイヤーを始末してから、貴族屋敷の庭に向かって飛び降りる。音を
殺して、しなやかな猫のように。
  絵麻もマネしてみたのだが、どさっと音をたててしまった。シエルの方は上
手くやったのだが、着地した時によろめいて尻餅をついた。
  庭は静かで、美しく手入れがされていた。塀の内側をぐるりとポプラの並木
がとりまき、芝生は同じ長さにきっちりと整頓されている。
  3人が入り込んだのは屋敷の北の角側で、中の様子はうかがえない。それで
も位置を少しずらして、ポプラの木の陰からのぞけば、豪華なシャンデリアの
下がったリビングを見ることができた。
「あまりそっちには行くなよ。みつかる」
「はい」
  言われて、絵麻は元の位置に戻った。
  その時向けられていた哉人の瞳が、とても美しい蒼色で。
  絵麻はその目に魅いられたように、まじまじとみつめてしまった。
  宝石の蒼。『青い球体』の光を僅かに反射したそれは、アクアマリンのよう
に澄んだ色をたたえていた。
「何じろじろ見てんだよ」
  視線を感じたのか、哉人が不快に顔をしかめる。
  角度が変わる。アクアマリンの蒼が凝縮され、ターコイズの蒼になる。
「……」
  視線の先に気づいたのだろう。哉人が自嘲するように唇を歪め、蒼の双眸に
指先をあてた。
「この目か」
「あ、その……」
  絵麻は言葉に詰まってしまう。
「その……綺麗だなって」
「みんなそう言うよ。本当にキレイだなんて思ってもいないくせに」
「そんな!」
  絵麻は思わず声を荒げていた。
「だって、すごく綺麗な色じゃない!!  本物の宝石みたいよ」
「この目が原因で、ぼくが母親から虐待されていたと言ったら?」
「え?」
「17年前に酔った貴族がスラム街に入り込んで、中央人の女に暴行したんだ。
そうして生まれたのがぼく」
「そんな……」
  絵麻は息を飲んだ。
  哉人の持つ、美しい蒼い瞳の意味は……。
「こんなこと、話さなくたってだいたいの奴は自分で悟っちまうもんなんだ。
それでいて、この目を『キレイだ』って言う。本当にキレイなものなんかどこ
にもないのに」
「……」
「哉人、あまり絵麻をいじめるなよ。よくわかってないんだから」
  見かねてシエルが仲裁しようとしたのだが、哉人はそのシエルにもあざ笑う
ような調子で言葉を投げつけた。
「お前は自分が気にしていることを言われても平気なわけ?」
「……どういう意味だよ」
「あの腐れ貴族に言われてたよな。北部人のガイジって」
「!」
  これにはシエルもムッとなる。
「ああ、確かにそう言われたよ。でもお前だって言われてたじゃないか。『そ
の目を抉って飾っておきたい』ってな」
「言ったな」
「言ったがどうした?!」
  その時になって、やっと絵麻は自分しか仲裁役がいないことに気づいた。
「2人とも、ケンカしないで!!  みつかっちゃうよ」
「あ……」
  絵麻に指摘されては立つ瀬がないとでも思ったのか、しぶしぶといった調子
で2人がケンカの矛先をおさめる。
「……この辺りに隠し扉があって、そこから屋敷の地下に血星石を持ち込んで
るって資料にはあった。だからぼくと絵麻とでそれを確認に行く。シエルは誰
かこないか見張っててくれ」
「わかった」
  とりあえず和解(?)すると、哉人は手慣れた仕草で壁をコツコツ叩いてい
く。ほどなくして、ぽこんと虚ろな音がした。
「ここだ」
  哉人が指先でその部分を押すと、壁はあっけなくへこんで、人が一人くぐれ
るかといった大きさの穴が空いた。
「じゃ、ぼくが先に行くから、絵麻は後からついてきて」
「わかった」
  絵麻は緊張で高鳴る心臓を押さえて、後に続こうとした。
  けれど。
「絵麻、来るな!」
「え?!」
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