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「わたしはわかんなかった……あ、そうだ。これ飲んで」
  絵麻は入れて来た冷たいお茶を封隼に手渡した。
「・・・・・・・・・・。・・・・・・・」
「わかった」
  飲み終えると、封隼はおとなしくリリィに言われた通りに横になった。
  やはり、起きているのはつらいのだろう。
「ヘンなの。絵麻のことはちゃんとだませたのにな」
  熱のせいか、封隼はいつもよりずっと饒舌である。
「絵麻も、唯美……姉さんも、ちゃんとだませたのに……」
「だますって」
「なんでリリィにはわかっちゃうんだろう」
「リリィ、カンがいいっていうか……鋭いもんね」
  当のリリィは洗面器をサイドテーブルに起き、タオルを濡らしてしぼってい
る。
「唯美……姉さんはどうしてる?」
「唯美なら仕事よ。諜報員の仕事だっていって、夕飯を食べてから出ていっ
ちゃったけど」
「ならよかった」
  冷えたタオルを額にあててもらって、封隼は気持ち良さそうに表情を緩めた。
「よかった、って?」
「唯美……姉さんには黙っててほしいんだ」
  向けられた漆黒の双眸は奇妙なまでに唯美と同じ色だ。
  唯美は内にためこむというのとは正反対の外に放出するタイプだから、こん
な目を見るのははじめてのような気がした。
「どうして?  唯美だって心配するよね?」
  絵麻は横のリリィに同意を求めたのだが、リリィは静かに首を振った。
「……?」
「頼むから……黙っててくれな」
  封隼の目がずっと絵麻を見上げている。熱でつらいだろうに、しっかりと漆
黒の目をあけて。
「うん。わかった」
  横のリリィが袖をひいていることもあって、絵麻は頷いた。
「唯美には言わない。だから、封隼もう休んで。起こしちゃってごめんね」
  リリィが額にのせたタオルを取り替えてやる。額を白い手が撫ぜた一瞬、ふ
わりとした冷気が辺りに漂った。
「なんでだろ……リリィが側にいてくれると、すごく気持ちいいんだよな……」
  そのまま目を閉じる。
  何度かタオルを取り替えてやっているうちに、いつの間にか封隼は眠ったら
しく、規則正しい寝息がきこえてきた。
「寝ちゃった」
「・・・・・・・・・・・・・、・・・・・・・」
「リリィ、能力使った?」
「・・」
  リリィはポケットから、磨かれ、透き通った石を出してみせた。
 金剛石(ダイヤモンド)。リリィのパワーストーン。
  リリィはこの石と同調することで冷気を操ることができる。
  ちなみに、絵麻のパワーストーンは祖母の形見のペンダントの宝石としてつ
いている青金石(ラピスラズリ)である。
「能力で冷やしてあげたの?」
  リリィは頷いた。
  メモ帳を取り出して、『熱くて眠れないみたいだったから』と綴る。
  能力の意外な使い道もあったものである。
「どうしてつらいの隠したがるんだろ」
  わたしなら、つらい時はそういうのに……。
  そう言うと、リリィは微笑んで。
『唯美を心配させたくないんですって』
「そうなの?」
『熱が出てるのも、ベッドから動けないのも原因は唯美が刺した傷でしょう?
唯美がすごく気にしてるから、これ以上気苦労させたくないんですって』
「考えてるんだ……」
  自分のこと、起き上がれなくなるくらいに傷つけたお姉さんなのに……。
  絵麻はベッドで眠っている封隼をみた。
  寝顔はいつもみせているように作れないらしく、ずっとずっと幼かった。
「気持ちよさそうに寝てるね」
『絵麻は、どうして眠れないの?』
「え?」
  綴られた言葉の意外さに、絵麻は目を見張る。
  部屋の時計で確認してみると、普段ならとっくに眠っている時間だった。
『眠れないんでしょ?』
「うん……」
  絵麻はぼそぼそと、昼間、孤児院であった出来事を話した。
『それは当たり前のことなのよね』
  それがリリィの返事だった。
「リリィ!」
「・・!!」
  思わず声を荒げた絵麻の口に、リリィが手をあてる。
  2人からさほど離れていないベッドで封隼が眠っているのだ。
  封隼は目覚めた様子はなかった。
「あ……ごめん」
  気まずそうに視線を落とす絵麻の肩に、リリィはそっと触れた。
  メモ帳が差し出される。少し長く綴ってあった。
『私たちにとって、北部人の子供に貴族が高いお金を出すのは当たり前。身寄
りのない北部人がお金で貴族に買われて行くのは当たり前なの。北部の人は貴
族と容姿が似ている人が多いからね』
「……」
  絵麻が読み、無言になっていることを確認したうえでリリィはメモ帳を取り
上げると、続けて綴る。
『私たちも貴族を止めたい。貴族がそうやって払うお金を国防に回してくれた
ら、どれだけ国が助かるか。
  でもね、私たちは経験上、貴族に何を言っても通じないことを知ってる。何
も変わらないことを知ってる。だから黙ってしまう。それは悪いことなのに』
「リリィ……」
『私は真っすぐな気持ちで物事と向かい合って行ける貴女がうらやましい。
  何もできないって貴女は言うけど、真っすぐに思い続けることは行動するの
と同じくらい大切なこと』
  最後にそう綴ると、リリィは絵麻に向けて微笑んだ。
  春に咲く花のような、暖かな笑顔だった。
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