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  建物に入ると、すぐに簡素な礼拝堂になっている。
  右側に行くと食堂と孤児たちの部屋。左側にシスターの部屋がある。
  絵麻は左側に曲がり、シスターの部屋の前に立ち尽くしている人物をみつけ
た。
  小麦色のおかっぱ髪にカチューシャ。猫のような緑の目をした少女だ。
  シャツとスカートという簡素な格好の上から長いエプロンをかぶっている。
「メアリー」
「あ、絵麻。来てたの?」
  少女――メアリーは声をひそめて返した。
  メアリー・三原=クラウン。ここの孤児院で保母の見習いをしている。
  元々はここに引き取られていた孤児で、縁あってPC本部に勤める、中央人
の夫婦にもらわれた。その後は保母を目指すべく孤児院に見習いに入り、足の
不自由なシスターを助けて子供達の面倒を見ている。
  ゴシップ好きなのが玉にキズだが、明るくて気のいい女の子だ。
「凄い怒鳴り声がしたけど」
「ああ……地方貴族が来てるの」
「地方貴族?」
「うん」
  貴族は身分が低いと安全な中央都には住まわせてもらえないのだという。地
方監査役という少しばかりの地位と小金を与えられ、命の危険が身近にある地
方へと追い出されてしまうのだと。
  追い出された貴族は自棄になる。地位も名誉もないとは言っても、その辺に
住んでる平民よりはよほど金持ちだからそれをひけらかす。でもいじけている。
  中央の貴族よりタチが悪いのだという。
「その人が、ディーンを?」
「うん。ディーンは見た目がいいからね。北部の人って、貴族と見た目が少し
似てるでしょう?」
「そういえば」
  北部人はプラチナブロンドと青い瞳をした人が大半を占める。貴族の色であ
る金髪蒼眼を褪せさせたような感じなのだ。
「それで、ディーンを?」
  その時だった。
「ええい、これだけ言っても話がわからんのか!  この平民のババァが!!」
  恐ろしい怒鳴り声とともに、重い何かが倒れる音がした。
  次いで、子供の悲鳴があがる。
「痛いっ!!」
「ディーン?!」
  思わずドアを開けて絵麻が中に入る。そこにはひどい光景が広がっていた。
  いつもは綺麗に整頓されている部屋は乱れ、床にはティーセットが落ちて破
片と絵麻が教えたジャスミンティーの匂いとをふりまいている。
  それよりもっとひどかったのは、シスターが車椅子ごとディーンを下敷きに
して倒れている姿だった。
「シスター、ディーン!!」
「絵麻ちゃん?!」
「絵麻姉ちゃん、助けて!  痛い!!」
  シスターの重そうな車椅子がディーンの足を轢いていたのだ。
「メアリー、そっち持って!」
  メアリーと2人がかりで車椅子を起こし、ディーンを引っ張り出す。
「ディーン、ディーン大丈夫?  痛い?」
「痛い……立てないよ」
  ディーンの足は赤く腫れ上がり、血がでていた。
「何があったの?  どうしてこんな……」
「あの人がシスターを突き飛ばしたんだ。そしたら車椅子がおれの方に来て……」
  ディーンは床に座ったまま、こんな騒ぎになっても悠然と客用の椅子に腰掛
けている金髪の人物を指さした。
 でっぷり太ったひきがえるに金のかつらをかぶせたみたいだ、と絵麻は思っ
た。
 血色はよく、丸々と太っていて、着ている高級そうなスーツはボタンがとこ
ろどころ飛びそうになっていた。
「ひどい。どうしてシスターにそんなひどいことするの?!」
「ひどいこと?」
  貴族ははっと吐き捨てて。
「いいか、小娘。この平民のババァは貴族様の要求を断ろうとしたんだ」
「要求って……ディーンを養子にすること?」
「北部人の田舎者には死んでも得られんチャンスだと思わないか?  貴族の家
の子供になり、貴族の大きなお屋敷で暮らせるんだぞ」
「それは違うでしょう」
  シスターが体勢を立て直して車椅子を寄せる。車輪にかけられた白くて細い
手は青く腫れ上がり、見ているだけで痛そうだ。
「ランシング様はディーンを屋敷の下働きに使うおつもりなのでしょう?」
「自分で引き取った子供にその後で何をしようと勝手だろう?」
「ディーンは9歳です。まだ学校に通う年ですよ?」
「貴族の元で働けるんなら教育なんぞいらんだろう。貴族の家に住めるという
名誉の価値がわからんのか!!」
  再び、破れ鐘のような怒鳴り声が響き、絵麻はびくっと肩をすくめる。
  けれど、シスターは毅然とした面差しで。
「そんなのは名誉でも何でもありません。私どもは子供たちをきちんと就学さ
せ、できる限りの教育をしてやろうという方針を立てているんです。それに逆
らうような人のところに子供は渡せません」
「難しいことをいいおって」
  貴族は懐から分厚いサイフを取り出し、テーブルにどさりと放り出した。
「結局は金が欲しいんだろ?  このボロ孤児院が」
「!  そんな……」
  シスターは抗議しようとしたのだが、それを遮って貴族が立ち上がった。
  絵麻と一緒にいたディーンの腕をつかむと、無理やりに立たせようとする。
「ほら、小僧。行くぞ」
「……いや……」
「何が嫌なんだ!!  お前はこれから大きなうちに住んで貴族の名誉のために働
くことができるんだぞ!! どこが嫌なんだ?!」
  貴族は分厚く膨れ上がった手でディーンの頬を打った。
「!」
「ほら、行くぞ。さっさとたたんか」
「痛い……痛いから立てない!!」
  ディーンは明らかに嫌がっているのに、貴族は無理やりディーンを引っ張っ
て行こうとする。
「止めて!」
  思わず絵麻は声をあげ、ディーンの肩を押さえた。
「何だ?  小娘」
「ディーン、嫌がってるじゃない。連れていくのは可哀想よ!!」
「こいつは今、わしがサイフの中身と引き替えに買ったんだ。自分が買ったも
んを自由にして何が悪い」
「買ったって、そんな!」
「お前だって、買ったものは自由に扱うだろう?  店が買った肉を食わないで
くれと言っても食うだろう?  それと同じだよ」
「でも、シスターはお金受け取ってない……」
  貴族はしゃがみこむと、ディーンにささやいた。
「お前がいることでこのボロ孤児院にどんな利益がある?  お前がいなくなれ
ば孤児院は食いぶちが1人減るんだ。お前の大好きなシスターや子供たちに楽
をさせてやれるぞ?
  おまけに、わしはお前に金を払ってやるんだ。普通ならタダでもらえるお前
にな」
  言葉を聞いた途端、ディーンの顔から嫌悪が消えた。
  次に浮かんだのは哀れな従僕の顔だった。
「……」
「わかったか。わかったな?」
  ディーンは肩から絵麻の手を外した。
  貴族はディーンを強引に立たせて連れて行く。ディーンはもう逆らおうとし
なかった。
「ディーン?!」
「待ちなさい、ディーン!!」
「シスター……」
  ディーンはいつもの快活さが信じられない涙声だった。
  ディーンは続けようとしたのだが、貴族に急き立てられて言葉を飲み込む。
  絵麻は呆然とディーンにはずされた手をみていた。
  お金の話をしてた。
  途端に、ディーンは静かになった。いうことを聞いた。
  お金で、自分を売った……?!
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