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4.躊躇い

  闇の中に、一人の女が立っている。
  抜けるように白い肌。
  妖艶な笑みを浮かべた、赤い唇。
  空を映す水面のような青の瞳。彫像のごとく整った顔立ち。
  髪形はいささか風変わりで、サイドだけを長く伸ばしたダーティ・ブロンド。
  神話に出てくるかのような体裁の薄物の服は胸元が広く開いていて、腕や足
にはいくつもの輪飾りがつけられていた。
  それら全てが彼女の豊満な肢体を包み込み、艶やかに際立たせる。
「フフフ」
  女は唇をきゅっと持ち上げて笑うと、闇の中に白い手をかざした。
  すると、その部分だけ闇がぼやけ、形はあるが不明確な何かが浮かび上がる。
  錠前を連想させるような鈍い金色で、丸くて、文字盤がある。
  例えるとするなら、針のない懐中時計だろうか?
  鈍い光を放つそれに、女はいつのまにかもう一方の手に握られていた、三日
月状の貴石をかざした。
  鈍い光に照らされ、貴石の正体が明らかになる。
  濃緑に、血飛沫のような不規則な赤い斑紋の散った石。
  そう。それは血星石だった。
  女が手を動かすと、血星石は吸い付くように懐中時計の表面に張り付く。
  血星石は針の形を取り、ちょうど9時のところまでを濃緑に埋めつくした。
「フフ。もうすぐ、もうすぐだわ!!」
  女の歓喜の声──耳にまとわりつくようなソプラノ──が闇に響き、闇を震
わせる。
  が、その瞬間、女の整った容貌が、まるで画面のノイズのようにぼやけた。
  女の顔が苦痛に歪む。
「クッ……」
  女は手を振って懐中時計を再び闇に埋めこむと、血星石を握りしめた。
  濃緑の波動が女を包み、歪んでいた表情が静かに凪いでいく。
  女はかっと目を見開き、刺すようにして手の中の血星石を見つめた。
「まだなの?  まだ、足りないっていうの?!」
  女は憎々しげに血星石を一瞥すると、闇の中に放り投げる。
  そして、代わりに別の闇の中から、別の貴石を取り出した。
  赫に輝く宝石……パワーストーン。
「……」
  女はそれを握りしめ、精神を集中する。
  女の周囲に漂っていた闇がいっそう昏くなり……開かれた青い瞳は、いつの
まにか宝石と同じ、この世の赤を全てそそぎこんだような『赫』へと不気味な
変貌をとげていた。
  赫い瞳と、昏い闇……。
「破滅の契約の元、混沌の闇より生まれいずる物。いまこそ目覚めよ!!」
  女の白い手が、赫い宝石が振りかざされ、振り下ろされて闇を切り裂く。
「闇創造(ダークメイカー)!!」
  赫い宝石の煌めきが闇を押しのけた次の瞬間、彼女の足元には鋭い牙を持つ、
無数の黒い狼が出現していた。
「グルル……」
「ようこそ。私の可愛い下僕たち」
  女は獰猛な狼に臆することもなく膝を折り、近くにいた1匹の喉を撫でた。
  狼たちもこの女が自分たちの創造主であることを知っているのだろう。吠え
るのも牙をむけるのもやめて、女にすりよっていく。
  女はにやにやと赫い瞳で自らの創造物たちを見渡していたのだが、ふいに何
を思ったのか、手刀でその中の1匹の首をはねた。
「キャイン……ッ」
  血飛沫と断末魔の悲鳴を残し、その狼は闇へと還る。
「アハハ」
  血の滴る手と、たちまち後込みしはじめた狼の群れを見比べて、女はさも愉
快げに高笑いした。
「どうしたの?  貴方たちもこんな風になりたいの?」
  可愛らしく──それでいて妖艶な仕草で女は首をかしげる。ダーティ・ブロ
ンドがさらりと剥き出しの肩を撫でた。
「いっていらっしゃい。私が完全なる力を得るために。
  血星石を集めていらっしゃい」
  女は狼たちの足元に血星石を投げ付け、さらに未だ鮮血の滴る手を振って外
界への出口を作り出した。
「グルル……」
  狼たちはあっというまに血星石を嗅ぎ分けると、争うようにして外界へと出
て行く。
  最後の1匹が出ていくと同時に、外界とつながっていた出入り口はぴったり
と閉ざされ、辺りに再び闇が戻った。
「フフ」
  女は赫い瞳で、赫い宝石をのぞきこむ。
  そこに歪んで赫く映し出されたのは深い森の中。石造りの小さな祠。
  風化した表面に、災難避けの紋章が刻まれている。
  頑健な石造りの中からにじみでるのは、あの濃緑の波動……。
「ここをめざしなさい。そして、ここの中身を持っていらっしゃい」
  女のソプラノが歌うように告げる。
「あの男に邪魔されないうちにね」
  女はひとしきりくすくすと笑うと、ふいに身体を翻し、闇に身を踊らせた。
  長いダーティ・ブロンドが羽衣のごとく闇に舞い──残照のような一瞬の煌
めきを残して消える。
  後に残ったのはしゃらしゃらと鳴る、輪飾りの音ばかり……。
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