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「なによ。封隼、封隼って……」
  絵麻が封隼を呼ぶ声を部屋で聞きながら、唯美はしかめっ面でベッドに座り
こんでいた。
  翔が『真実』を告げてから数日。
  封隼が自分と同じ漆黒の目をしていることには薄々感づいていた。
  自分と同じ色=弟と同じ色の目。
  弟と生き別れてから10年近い月日が流れている。それだけの時間があれば自
分も弟も成長するし、顔を見誤ることもあるだろう。
  だけど。
  こんな結末は考えてなかったし、当然望んでいなかった。
  家族を失って10年。
  唯美は恨みだけを糧にして生きて来た。
  両親が死んだあの後、唯美は東部の反国府団体に拾われた。隼一族の能力は
荒事に関わる者にはとても甘美なものだったのである。
  両親と故郷を失った唯美に選択権はなかった。連れられるまま闇の世界へと
足を踏み入れ、諜報員となることを強要された。
  唯美(ゆいみ)という偽名を与えられたのもその頃だ。
『いいか。お前は“ゆいみ”だ。諜報員“はやぶさゆいみ”だからな』
『違うもん!  あたしは“ウェイメイ”だもん!!  スパイじゃないもん!!』
『違う!!』
  男の大きな手が、唯美の頬を打った。
『俺は両親に死なれて泣いてたお前を拾ってやったんだ。俺の言うことを聞け!
  お前は“ゆいみ”だ!!  諜報員だ!!』
『違うもん!!  違うもん!!』
  唯美はわっと泣き出した。その日の食事はなかった。
  ひもじさと悲しさから、唯美は薄汚れた部屋の隅でただ泣き続けた。
『母さま……父さま……どうしていなくなったの?  どうしてもう唯美(ウェイメイ)を呼ん
でくれないの?』
  本当の名前を呼んで。頭を撫ぜて。
  いつもみたいに笑って……?
『徳陽(トーヤン)も……どうしていなくなっちゃったの?  離れちゃだめだって母さまが
言ったじゃない』
  いつも側にいて、舌ったらずの声で『ウェイメイねえさま』と呼んでは家族
の笑いを誘っていた弟、徳陽。
『徳陽は……死んでないよね。だって見ていないもの。探したらまた会えるよ
ね』
  名前を呼んでくれるよね?
  泣かないで仕事をこなせば、また名前を呼んで笑ってくれるよね?
  それから唯美は泣かなくなった。諜報員としての訓練を、文字通り血反吐を
吐くまで受けた。
  弟を見つけよう。闇の中だとしても、正しいことをする人間は必ず正義だ。
  悪の武装集団なんかやっつけてしまおう。
  弟ともう一度出会いたい……その思いだけがこの10年間の唯美を支えていた。
  所属していた反国府団体がPCにより摘発され、逮捕された時にMr.PE
ACEと出会った。彼は団体の連中と同じように、唯美の超能力を高く買った。
  唯美は突然に、光の中に放り投げこまれた。
  光の中で、正義をの刃を振るうことを許された。
  けれど、唯美にとって所属する場所はどこでもよかったのだ。
  弟を探せれば。武装集団を叩きのめせればどこだって。
「望んでなんか……ない」
  唯美は唐突に呟いた。
  こんな結末は望んでいなかった。
  弟が武装兵になっていたなんて。
  大嫌いな武装集団に、自分と同じような境遇の者がいるだなんて。
  10年間、心の底から憎んでいた武装集団に、10年間、心の底から愛し続けて
きた弟がいたなんて。
「望んでない。こんなのは嫌。嫌あっ!!」
  叫んだのと同時に、机の上に乗っていた分厚いファイルが音を立てて崩れた。
  それは新聞の切り抜きだった。
  無数にあるそのスクラップ    武装集団が起こした惨劇の数々。
  足元まで滑り落ちて来たそれを唯美は拾った。
「いつか弟と会ったらね、一緒に話すつもりだったの。母様と父様を殺した武
装集団がこんなことしてるよ。2人で一緒に復讐に行こうって。だから」
  細い手がぐしゃりと新聞記事を握り潰す。
「こんな結末は望んでなかった……アタシは認められないっ!!」
  唯美は新聞記事を放り出すとベッドに臥せり、陽光の匂いのするシーツに爪
を立てた。
  思いと裏腹な現実が、一人の少女の心を引き裂いて行く。
  黒曜石の瞳は開かれたままその奥にぎらぎらと火を灯し、激しい感情の色は
消えそうになかった。
  泣くことを自分に禁じた唯美には、涙で痛みを洗い流すことができなかった
のである。
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