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「唯美お姉ちゃん!」
 教会の前庭で遊んでいたフォルテは、見知ったダークローズの野球帽をかぶっ
た少女の姿に歓声を上げた。
「今日もコイン当てする? フォルテたちと遊んでくれる?」
 言ってから、フォルテは少女……唯美を包んでいる空気がいつものものとは
全く違うことに気づいた。
「唯美お姉ちゃん? どうしたの?」
「フォルテ。場所貸してくれない?」
「場所?」
 唯美はそれだけ言うと、フォルテのかくれんぼの特等席である、木立と教会
の建物との隙間に座り込んでしまった。
「お姉ちゃん?」
「どうしたんだ?」
 寄ってきたのは、孤児院でいちばんイタズラ好きなディーン。
「あのね、あのね、唯美お姉ちゃんが来てるの」
「姉ちゃんが? シエル兄ちゃんとか哉人兄ちゃんとかと一緒じゃなくて?」
「ひとりなの。うつむいてて、とってもとってもさみしそう」
「シスター、呼んだほうがいいのかな」
 ディーンは言うと、側にいた自分の弟分、ケネスに言った。
 プラチナブロンドのディーンとは対照的な黒髪で、年も1つ2つ小さい。そ
れでも活動的なディーンについていくのだが、転んでシスターやカノンをわず
らわせることも多かった。今も膝にはカノンに巻いてもらった包帯が残ってい
る。
「ケネスはフォルテと一緒に姉ちゃんのこと見てろよ。オレがシスター呼んで
くるから」
「うん」
 フォルテとケネスは寄り添うようにして、木立の隙間からじっと唯美を見つ
めていた。
 帽子を取り、意外に長い黒髪を下ろした唯美は何かを思い出しているような
目をして、じっと遠くをみつめていた。
「唯美お姉ちゃん、どうしたのかな」
「さみしそうだね」
「お兄ちゃんたちとケンカしたのかな?」
「フォルテ。ケンも。聞こえてるよ」
 どきりと顔を合わせ、おそるおそる木立に視線を戻す。唯美が自分たちに視
線を移していた。
「唯美お姉ちゃん」
「こっちにおいで。ちょっと狭いけど」
 招かれるままに、そっと唯美の膝の上にのる。膝に抱かれる感覚は1年前、
両親が死んで以来のことだ。ケネスもきっと同じだろう。
「唯美お姉ちゃん、さみしいの? お兄ちゃんたちとケンカしたの?」
「ケンカかな……お兄ちゃんではないけど」
「じゃあ、誰?」
「すっごくヤな奴。あーあ、アタシ悪くないのになんでアタシが飛び出してき
たんだろ」
 唯美の膝が波のように揺れて、フォルテとケネスはあやうくひっくり返りそ
うになった。
「わ、わ」
 ケネスが唯美の肩口にすがりつく。
「ちょっと、危なっかしいわね」
 口では乱暴にいいながらも、唯美は優しくケネスの黒髪を撫ぜた。
「懐かしいなあ……10年前もこんな感じだった」
「?」
 見上げたフォルテの左目を、唯美の漆黒の目がのぞきこむ。
「アタシが、ちょうどフォルテくらいの時かな。アタシは弟の徳陽(トーヤン)と、母様と
父様と一緒に東部で暮らしてたの」
「パパとママがいたの? いいなあ」
「ううん。もういなくなっちゃったよ」
「フォルテたちと同じ?」
「そうだね……ホント急な出来事だった。冬の終わりの、もうじき暖かくなるっ
て頃のことでね。アタシは春にいつも家族みんなとでかけるピクニックを楽し
みにしてた。徳陽も一緒。2人で暦を数えてたもの」
「ピクニック、どうなったの?」
「……壊されちゃった」
「え?」
「夜にね、武装兵が来たの。凄い声がそこらじゅうからして、父様が隠れてい
なさいって言った。大丈夫だから、何があっても出て来てはだめだって」
「それ、ぼくも言われた」
 泣き出しそうに目をうるませたケネスの肩を抱いて、唯美は優しく揺さぶっ
た。
「大丈夫だって父様は言ったけど……武装兵が家に入ってきてね。凄い音がし
た。引き出しがひっくり返る音、食器が割れる音。母様の悲鳴」
 フォルテが身を震わせ、唯美にぴったりと体をくっつける。
「アタシ、その時はただ怖くてね。怖くて怖くて、何もできずに体震わせてた。
目の前で大切な両親を殺されている時にだよ?! 悔しくて」
 ぎゅっと、血がにじむほどに握りしめられた拳。
「やっと体が動いた時には、もう母様も父様も何も言ってくれなかった。一族
もみんな死んじゃった。すごく強い、誇り高い血を持つ一族だったのに。
 ……徳陽もいなくなっちゃってた」
「どこにいったの?」
 唯美はかぶりを振った。
「わからないの。武装兵が母様と父様を殺した。一族を滅亡させた。徳陽を行
方不明にした。武装兵なんて大嫌い」
「いなくなっちゃったの? もう会えないの?」
「それもわからない。ずっとずっと探してるんだけど」
「かわいそうだよ……」
 絶えきれなくなって、ついにフォルテが泣き出した。後追いするようにケネ
スも泣き出す。
「ほら、泣かないの。2人にこんな話しちゃったのは悪かったけど」
 唯美があわてて両手で2人の色違いの髪を梳いた。
「ケンは徳陽に似てるね。黒髪の泣き虫。徳陽もこんな感じだった」
 胸の中に2人をぎゅっと抱きしめて、唯美は小さく呟いた。
「アタシたち、また会えるのかな……」
 そっと目を閉じる。失った弟の面影が瞼の裏に去来する。
 いつも自分の後をちょこちょこついてきた弟。
 2歳違いの、可愛い盛りだった弟。
 襲撃の後、忽然と姿を消してしまった弟……。
 両親に隠れていろと言われた時は一緒にいた。ちゃんと弟の小さな手を、母
親から言われた通りに離さず握っていた。
 なのに、唯美は両親が殺されたショックで、その手を離してしまった。
「徳陽……」
 そのせいで、弟が。両親が命をかけて守ってくれた弟が。
「ごめんね……ごめんね徳陽。怖かったよね……」
 唯美はつらそうに目を伏せたのだが、気丈に顔を上げた。
「でも、徳陽は死んでないよね? だってアタシ、徳陽が死んだところは見て
いないもの」
 瞳に光る、哀しいまでの祈り。
「徳陽はあんな武装兵なんかに殺されない。絶対に生きてる」
 小さな子供達にだけ語られた唯美の言葉を、聞いてしまった者がいた。
 絵麻である。
「唯美……」
 絵麻は唯美を追って、この教会にやってきた。そして、玄関口でちょうどシ
スターを呼ぶために戻ってきたディーンとはちあわせしたのである。
 自分が唯美にいうとディーンに言い、シスターを呼ばないでもらった。そし
て、この場所を教えてもらったのである。
 唯美の、鋭い刺のある言葉の奥にあった、哀しい記憶。
 今までは唯美が正しければ、封隼が悪いのだと思っていた。封隼が正しけれ
ば、唯美が悪いのだと思っていた。
 どちらかが善でどちらかが悪だと思っていた。
(わたし、またわからなく……)
 かける言葉がみつからず、絵麻はそっとその場を抜け出した。
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