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  まだ翔やリョウに教えてもらえるぶんにはいいのだが、なんせ社会人。時間
の都合がつかないことも多い。
  そういうときはシエルや唯美、哉人といった面々にも個人教授を受けている。
  ほとんど年の変わらない人間に字の読み書きを教えてもらう。
  教えるほうも教えてもらうほうもどこか居心地が悪い。
  まして、自分がここにいることに反対した人達である。
  絵麻の居心地の悪さは並大抵ではなかった。
「はあ……」
  思わず絵麻は息をついた。
「疲れた?」
「あ」
  どうやら聞こえたらしい。
「このへんにしとこうか?」
  翔は広げていた絵本を閉じた。
「まだ大丈夫」
  絵麻は続けようとしたのだが。
「もうすぐ日が暮れるよ」
  翔は時計を指さした。
  確かに時計は日暮れの時刻を示している。幸い、刻まれた数字は違うものの、
時計の読み方は変わらなかった。
「そっか。ごはん作らないと」
  絵麻は席を立った。
「今日は何?」
  一緒に、翔も台所にやってきた。
「ミートソースのコロッケ」
  じゃがいもの皮をむいて2〜3センチ角に切り、ひたひたの水でゆでる。
  竹串が通るほどになったらよく水気をきってボールに入れてすりこぎで潰す。
  これにミートソースの缶詰を加えて、ナツメグ、こしょうを入れて混ぜる。
衣をつけてから中温にした油の中に落とした。
  シュワッと音がして、きつね色のコロッケが浮き上がってくる。
  台所においしそうな匂いがただよった。
「いいよね、こういうの」
  コロッケの鍋をのぞきながら、翔は楽しそうに言った。
「……そう?」
「だって、絵麻が来るまで誰も揚げ物なんかやらなかったから」
「そうなの?」
「絵麻が来て、よかったな」
「……そう言ってもらえると助かる」
 絵麻は小さく笑ったのだが、心の中は暗かった。
  料理をしている時だけ心が和むこの感触は前と変わらない。そして、それを
自覚するたびに陥るみじめさも。
  『誰の稼ぎで生活してるんだ』『ごくつぶし』などの暴言はいつも結女から
言われていた絵麻だが、『姉妹じゃないか』という反論(弁護?)もいつも心
の中でできた。
  それが今は通用しない。
  ほとんど完璧に『お荷物』になっていた。
  字が読めないことだけじゃない。
  通貨がわからないこととも違う。
  問題が山積みになっていて、どこから解決していけばいいのかがわからない
のだ。
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