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 役目を終えた平和姫が、翔を振り返った。
「ありがとう。守護者の役目を果たしてくれて」
 平和姫は翔の傍らにおりてくると、冷たい手で翔の額を撫ぜた。
 全身を侵していた痛みが消える。嘘のように体が動いて、翔は体を起こ
した。
「貴方こそ真の平和の守護者。これからも平和を守りなさい」
 無機質な声で言う平和姫を、翔はにらみつけた。
「僕には、もう生きる意味がない」
 絵麻はもういない。いないのだ。
 平和姫は絵麻と同じ顔を少ししかめた。駄々っ子の扱いに困る母親のよう
な顔だった。
 その人間くささに、翔は腹が立った。
 鋭さを増した視線を正面から受けて、平和姫は1つ、翔に尋ねた。
「貴方にとって、平和とは何?」
 唐突な質問に、翔は目を瞬いた。
 平和。
 その言葉を考えた時に、鮮やかに浮かんだのは絵麻の姿だった。
 朝、自分を起こしに来てくれる彼女。
 エプロンをつけ、楽しげに料理をする。元気な声で仲間に朝の挨拶をす
る。
 出かける時はきちんと見送り、帰ってくればいちばんに明るい笑顔で迎
えてくれた。そんな絵麻の姿。
 涙があふれ、声が掠れた。
「……絵麻がいてくれること」
 正しい答えではないと、自分でも思う。
 けれど、翔にとっての答えはそれ以外になかった。
 彼女が作るあたたかい場所が、翔にとって、平和の象徴だった。
 何よりも焦がれたものだった。
 翔のその答えに、平和姫は微笑んだ。
「貴方の平和を守っていきなさい」
 そして、彼女は崩れ落ちた。
 どさりと、重い音がする。
 翔の目の前に倒れていたのは、絵麻だった。
 いつもの制服。いつもの黒髪。髪にさしたピンの位置も、翔が知っている
そのままの絵麻だった。
「……絵麻?」
 抱き起こす。その体は暖かかった。
 生きてる?
「絵麻」
 翔は絵麻を呼んだ。
 いつもの、翔が知っている絵麻なのに。
「絵麻!」
 笑ってくれなかった。
「絵麻!!」
 いつもの声で、自分を呼んでくれることもなかった。
「絵麻あっ!!」
 茶水晶の目は、閉ざされたまま。
 ありえない奇跡を信じた。だけど、願いは叶わなかった。
 翔は、絵麻の抜け殻を抱きしめた。
 ずっと、その腕に彼女だったものを抱いていた。

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