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「――!!」
 赤く血が噴き出して、ユキはその場に崩れ落ちた。
 その光景は翔の目に、ひどくゆっくりと映った。
 膝をついたユキに、アレクトが鎌を振りかぶる。何度も、何度も。
「やめろおっ!」
 瞼の裏が真っ赤に染まる。
 そのあと、翔は自分が何をしたのか思い出せなかった。
 辺りに響いた雷鳴で我に返ると、その時にはもう、アレクトとメガイラ
は姿を消していた。
 焼け焦げた大地に、ユキが倒れていた。木製の義足が黒焦げになってい
る。
 そして、自分の焼けた指先はしっかりとパワーストーンを握っていた。
「ユキ!」
 重い体を翔が抱き起こした時、ユキは既に事切れかかっていた。
「ユキ、ユキ! しっかりして……」
 翔の声を聞くと、ユキは灰色の瞳を翔に向け、はっきりとした声で言っ
た。
「アンタを恨むわ」
 死に瀕しているとは思えない、張りのある声。
 その声は恨みに満ちていた。
「……」
「アンタが生き続けている限り、いつまでも……憎み続けてやる」
 灰色の瞳を開けたまま、かくりと首から力が抜ける。
 それが、ユキの最期だった。

 翔はユキの体を抱いたまま、その場に座り続けていた。
「翔!」
 雷鳴の音を聞きつけたメンバーが駆けつけても、翔は無反応だった。
 灰色の瞳を開いたまま、翔に憎しみの目を向けたまま事切れたユキを、
ずっと火傷の手で抱いていた。
「翔、何があった? どうして……」
「……恨むって」
「え?」
「憎み続けるって……それが最期だった」
「……」
 誰も、何も言わなかった。
 夕方の風が、ただ悲しい響きで辺りに吹いていた。
 絵麻は、翔が泣いているんじゃないかと思った。
 けれど、彼は泣いていなかった。火傷の手は、ユキを抱いたまま離そう
としない。
「翔。帰ろう?」
 絵麻は自分の服が汚れるのも構わず、翔の傍らに膝をついた。
「ユキさんを眠らせてあげよう」
 そっと手を伸ばして、ユキの瞼を閉ざしてやる。
 何の抵抗もなく、ユキの目は閉じた。
 その表情は安らかだった。
「僕が殺した」
 翔の声がぽつりと落ちた。
「頭に血が昇って、巻き込んだ……でも、それは言い訳で、本当は故意な
のかもしれない」
「でも、違うんでしょ?」
 絵麻はそっと、翔の傷ついた右腕に触れた。
「帰ろう? 手当てしようよ?」
「……いいよ今更」
「翔が痛いのは嫌だよ」
「だって、僕はずっと前から犯罪者なんだから」
「だから?」
 絵麻の真っ直ぐな視線を受けて、翔は少しとまどったようだった。
「僕は……絵麻が考えてる以上に、ずっと悪いんだよ」
 翔はそこではじめて視線をあげて、絵麻を、自分の周りにいる8人を見
た。
「犯罪者なんだ」
「それはもう聞いたから」
「違うんだ。もっともっと……存在自体が犯罪なんだ」
 翔は一瞬口をつぐんで、それから、こらえていたものを吐き出すように
話し始めた。
「僕は、試験管で作られたんだ」
「え?」
「人工授精……学会の遺伝子工学者が、昔の天才科学者の精子を使って、
彼を再生する実験をしたんだよ」
 その実験をしたのは、遺伝子工学界の最高峰と呼ばれる研究者の高原真
貴。彼女は何パターンかの組み合わせから卵子を選び、精子と掛け合わせ
て試験管で培養した。
 そうして生まれた男の子に『聖悟』と名づけた。そして、ありとあらゆ
るテストと実験を幼い子供に繰り返した。
 聖悟は彼女の愛情が欲しくて、実施されるテストで常にいい成績を収め
ようと必死になった。けれど、どれだけいい結果を収めても、真貴はいつ
もちょっとだけ頭を撫ぜ「よく出来たわね」とだけしか言わなかった。機
械が同じ言葉を繰り返すのに似ていた。
 もっともっと。もっと頑張れば、もっといい成績を収めれば。お母さん
はうんと褒めてくれる……?
 そんな、子供なら当たり前の願いが、全ての悲劇のきっかけとなった。
 もっと凄い成果をあげて、褒めてもらいたい――。
 その結果、聖悟は混ぜてはいけないと言われていた試薬に手を出し、爆
発事故を引き起こしてしまう。
 爆発は聖悟の手の中で起こった。聖悟自身の体は焼かれて引き裂かれ、
ばらばらになった。同じ部屋にいた研究者たちも、ほぼ似たような運命を
辿った。
 その場にいなかった高原真貴は、自分が6年以上の歳月をかけた実験が
一瞬で無に帰したのを悔やんだ。そして、聖悟の脳だけがまだ生きている
事を知る。
 真貴は自分の実験体を後世に残すことにした。
 ばらばらに飛び散った、研究者たちの体の中から、使える物を選りすぐっ
た。そして、つぎはぎにして、脳を入れる『容器』を作った。
 同時に、生き残った研究者たちは爆発の原因を調べ、聖悟が使った薬品
を調べ上げるとベナトナシュを開発した。
 聖悟が目を覚ました時には全てが終わり、自分は犯罪者となっていた。
 しかし、真貴はその事実を隠した。『聖悟』はあの実験の時に爆死した
ことになり、別の名前――明宝翔として生きる事になった。
 真貴の実験体として、今まで以上にあらゆることを強要された。テスト
はもちろん、定期的な体細胞の提出や、感情の分析。
 まるで機械を分解するようにして、真貴は徹底的に翔を調べ上げた。
 機械なら、分解したパーツを正しく戻してやれば動くけれど。
 翔は、調べられるたびに体に、心に傷を負った――。

「ベナトナシュが作り出されたのは、僕が間違って混ぜ合わせた試薬が原
因だ。僕は爆発事故で研究員を殺した。ベナトナシュのせいで、罪のない
人が何十万と死んだ! それなのに、僕だけが生きて……!」
 翔は表情を歪めた。
 本当は泣きだしたいのかもしれない。けれど、それを必死に押さえてい
るようだった。
 かける言葉がみつからなかった。
 実験体として生み出され、自分の意志とは裏腹に生き延びさせられた。
そして、咎人として今も生きている。
「それだけじゃない。僕は恨んでるんだよ。高原博士が僕を生み出して、
死んだはずの僕を生かしてくれたのに、感謝しなきゃいけないのに、僕は
あの人が憎いんだよ!」
「憎むの当たり前だよ!!」
 絵麻は思わず叫んでいた。
「え……」
 翔が深い色の目を見開く。
 彼が泣かないかわりに、絵麻の方が泣いていた。
「そんなことをされたら、嫌いになって当然だよ? 憎んでいいんだよ!
 感謝はいらないよ!!」
「……」
 翔はゆっくりとうつむいた。
「だけど、だけど僕は……」
「翔の意志じゃないでしょう? あんた、頑張ってるじゃない。いろんな
こと一生懸命やってきたじゃない。それで終わりにしようよ」
「翔、帰ってこいよ。お前が何やってても驚かないから。もう誰に何があっ
ても、皆驚かないから」
 リョウと信也がかわるがわるに言う。
「いままでありすぎたもんね」
「ね」
 唯美とアテネが、顔を見合わせて笑う。
「そーだよ。だって、オレらの手なんてとっくに汚れてんじゃん」
「1人殺しても、100人殺しても、人を殺したっていう罪は同じ」
 リリィと封隼は何も言わなかったが、それぞれ強く頷いた。
「……それでも」
 翔は自分の腕の中のユキを、そっと地面に横たえた。
 そして、全員に背を向けて立ち上がる。
「僕は、自分がわからないんだ。手で触れている物や見えているもの、そ
れを僕が見てるのか、他の誰かが見てるのか。全然わからないんだ……」
「でも、翔は翔だよ? 翔は前に、わたしはわたしだって、絵麻は絵麻だっ
て言ってくれたじゃない」
「格好のいい言葉を言うのだけは得意なんだ」
 翔は歩き出しながらそう言った。
「言うのだけは、ね。実行も出来ないのに……」
 翔の後姿が、夕闇に紛れて行く。
 その時に、このまま離れたらもう二度と会えない気がした。
(……)
 気づいたことがある。
 試験管で作られた、ただの研究発表のための人形でも。
 自分の欲望のために何十万人を殺した大罪人でも。
 それでも、自分は――翔のことが好きなのだ、と。
「……翔」
 声を出した瞬間、涙があふれた。
 涙があふれるほど人を好きになるという感情が自分の中にあったことに、
絵麻は初めて気がついた。
 自分を振り向いたリリィと目が合う。
「リリィ。わたし、翔のこと……」
 絵麻が言いかけた言葉を、リリィは白い指先でそっと封じ込めた。
「その続きを言う相手は私ではないよ」
「リリィ」
「追いかけて、首に縄つけて連れ戻して来なさい」
 リョウが夕闇の先を指す。
「見失わないうちに行きなよ。アタシの瞬間移動でも無理になっちゃう前
に」
「絵麻ちゃん、早く帰って来てね」
 絵麻は頷くと、翔の後を追いかけた。
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