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「翔、翔待って!」
 絵麻は走って、街外れまできたところでようやく翔を見つける事が出来
た。
 時刻はすっかり夜になり、空で『青い球体』が輝いている。
「お願い、待って! 話聞いて!」
 絵麻は翔のジャケットの袖をつかんだ。
 びくっと反応して、翔が動きを止める。
「やっと捕まえた」
「……何で追いかけてきたの」
 翔が振り返る。その目はどこかおびえているようだった。
 絵麻が何を言おうか迷っている間に、翔は言葉を続けていた。
「僕は人殺しなんだよ」
 言って、翔は火傷痕の酷い手を差し出した。
 夜の中でも赤黒く焼け爛れているのがはっきりとわかる。皮膚組織は全
て駄目になり、体液がところどころで凝固し、赤い肉がはみ出した手。
「この手が証拠だよ。僕は、この手で作ったんだ。この手で殺したんだ。
だから、僕の手はこんなに汚くて、よごれて!」
 声が次第に激しさを増していく。
 抑え続けていた感情を叩きつけているみたいだと思った。
「翔……」
「なんで博士は僕に心を持たせた? 僕は作り物の実験体……人形なのに!
心がなければ、僕は……」
 感情を吐き出しながら、翔は酷く傷ついているように見えた。
 ――違う。傷ついてきたのだ。たった6歳の子供の頃から、ずっと。今
も。
 そして、今やっと傷を認め、痛みを訴えることができるようになったの
かもしれない。
「翔」
 絵麻は翔の手を取った。
 ユキの流した血の跡が残っている。
 皮膚のない手は直接彼の体温を伝える。翔の手は普通の人よりずっと熱
かった。
 翔は反射的に手をひっこめようとしたが、絵麻は離さなかった。
「そんな悲しいこと、言ったら嫌だよ」
「けど」
「わたしも、前は心なんかいらないって思ったことがあるよ。周りの人の
言葉が聞こえなければいいのに、感じなければいいのにって思ったことは、
何度もあったよ」
「だったら……」
「でもね、心がなくなってたら、わたしはみんなを好きになれなかった。
 翔を好きになれなかったよ」
 翔の目が、驚いたように見開かれる。
 その姿は溢れてきた涙でぼやけてしまった。
「わたしは、翔のことが好き……」
 素直な思いは言葉になって、素直に口からあふれた。
「作り物でも、人形でも、犯罪者でも。翔は翔だよ。わたしを助けてくれ
たのは、翔だよ。これは、格好つけた言葉でも何でもないよ」
「けど」
「翔のことが大好き。こんなふうに人を想えること、わたし、知らなかっ
たよ。翔に会えなかったら知らなかった。心をなくしてたら、思えなかっ
た」
 翔は何も言わなかった。
 涙をぬぐえなかったから、翔の表情はわからなかったけれど、困惑して
いる空気は伝わってきた。
 しばらくの沈黙の後、翔はぽつりと言った。
「絵麻。手、離して」
「やだ。離さない」
「絵麻が汚れちゃう……」
 絵麻につかまえられながら、それでも逃れようと手を僅かによじって。
「汚れないよ。だって、翔の手は汚れてないもの」
「けど、僕の手は」
「だって……こんなにあったかい」
 絵麻はそっと、翔の手を自分の頬にあてた。
 火傷で皮膚のなくなってしまった翔の手は、彼の体温を直接伝えてくる。
 この手は自分を守ってくれた手。
 他の人よりずっと近くで、翔を感じられる。
「絵、麻……」
 翔の声が掠れて震える。
「翔。わたし、翔と一緒にいたいよ。ずっと一緒にいたいよ」
 また瞳から涙が溢れて、視界から翔の姿が消える。
 と、熱い感触とともに視界が晴れた。
 翔が指先で、絵麻の瞳にたまっていた涙をぬぐったのだ。
「絵麻……」
 晴れた視界の先で、翔の頬に涙が伝っているのがみえた。
「最初は……自分の失敗、隠すつもりだった。優しいフリして、本当はそ
れだけだったんだ。
 でも、いつの間にか、ずっと、側にいて欲しいって……そう思うように
なって。その時はじめて、自分が犯罪者じゃなければよかったと思った。
絵麻にふさわしく……なりたかった……」
 そのまま泣き出してしまった翔を、絵麻は腕を伸ばして抱きしめた。
「ふさわしいとか、ふさわしくないとか。それ、違うよ」
 言って、腕を緩めると翔の目を覗きこんだ。
 震えて、おびえている彼を覗き込んだ。
「大事なの、自分の気持ち……わたしは翔が好きで、翔の気持ちも同じな
ら、それでいいよ。それだけで、きっと、すごく嬉しいから」
「……絵麻」
 瞬いた間に、絵麻は翔の腕の中に抱きしめられていた。
 瞳の中は、まだ悲しい色があるけれど。
 でも、もう彼は震えていなかった。おびえてもいなかった。
「翔……」
 絵麻は体重を預けるようにして、目を閉じた。
 僕も、絵麻のことが好き。
 その声は、絵麻のすぐ耳元で聞こえた。
 君と一緒にいたい。
 自分を抱きしめる腕の力が強くなる。
 抱き合う2人を、天上からの青い光が包み込んでいた。
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